発展途上国にとって記念切手は外貨獲得の貴重な資源の一つである。小生は熱心なコレクターではないが、バヌアツで発行された数種類の記念切手を見た限りでは、出来栄えは悪くないと思っている。下は本年3月2日に発売されたもので、バヌアツ人の祖先、ラピタ人の生活ぶりを描いた切手シートである。(郵便料金は現地通貨のVatu表示。現在のレートは日本円とほぼ同額で、日本宛封書用の切手は110バツー。)

昨年(2004年)4月、首都ポートビラ近くで発掘された古代集落跡から、人骨と共に多数の土器が収集された。年代測定の結果、今から3200年前(紀元前1200年頃)のものと判明したが、土器の形状や文様は日本の縄文中期のものと非常によく似ているという。ラピタとは縄文土器を意味する由なので、ラピタ人は「縄文人」と訳してもよいのかもしれない。

 右の地図は記念切手シートから採ったものだが、彼等は我々日本人と祖先を同じくする蒙古系で、インドシナ半島からフィリピン、パプア・ニューギニアなどの島々を経由してバヌアツに渡来したという。日本の縄文人も大陸から東シナ海を渡って日本列島に定住し、同じような土器を作って暮らしていたと考えると面白い。(ちなみに、日本人は縄文人、弥生人、ヤマト人と進化して現在に至ったわけではなく、夫々が別の時代に渡来した別系列の人たちだという)。シロウトが観察する限りでは、バヌアツ人と日本人が同じルーツだとはなかなか思えないが、バヌアツ人の赤ん坊にも蒙古斑が見られるそうである。人類の起源は元をたどれば赤道アフリカの原人に行き着くというが、46億年の地球的時間で計れば、人類の100万年の歴史などごく最近のことであり、だかだか最近数千年の間に生じた形態的な分化や生活様式・宗教の違いなど、取るに足らないことだとも思われてくる。

ラピタ人は南西太平洋地域に広く分布し、一般にメラネシア人と呼ばれている。バヌアツは険しい火山地形のため海岸平野が少なく、熱帯雨林に阻まれて往来は容易でない。渡来した部族は夫々が狭い入り江で定住を始めたが、他地域に定住した部族と交流する機会に乏しく、狭い地域の言語や伝統文化が孤立したまま今日まで伝承されてきた。部族間の抗争も激しく、抗争に付随する食人の風習もこの地域の特徴と言われている。最も最近の食人は1969年にマレクラ島の州都に近い場所で行われたと記録されている。それ程昔の出来事ではないし、彼等にとってそれ程特別のことでもなかったようだ。本ホームページでもご紹介している如く、現在も村部の集落を訪れると、ラピタ人の縄文的生活さながらの光景も見られる。110の部族では今も夫々の伝統言語が日常語として用いられており、バヌアツ人にとって共通語のBislama語でさえ第一外国語で、学校教育用の英・仏語は第二外国語なのである。

この地域への白人の入植は比較的遅く、最初のキリスト教宣教師の渡来は1839年、本格的な入植は1854年以降と言われている。それから1980年の独立までの約150年間、バヌアツ人は白人の支配を受けることになるが、その間の歴史はまた別項でご紹介したい。