昨年「百名山」を登り終えて何となく気が抜けた上に、今年は残雪が多く登山道が危険だったり、梅雨明けがグズグズしたりで、山行に気合が入らない。山登りはシンドくて何かと面倒が多い割には、達成感の保証が無い遊びなので、自らを鼓舞するモチベーションが要る。

直近のテーマは「リベンジ」。高潔たるべき境地に「仇討」とは不穏当だが、百名山登山でひどい目に遭った山の登り直しである。登山の満足度は天候次第で、好天に恵まれれば、どんなに苦しい山でも素晴らしい登山になるが、どんな名山でも悪天候に遭えば、得るのは「くたびれもうけ」と遭難のリスクだけ。

我々の百名山登山では、3割の山で雨に遭った。中には強風雨でカメラも出さず、登頂の証拠写真の無い山もある。そんな山は心残りで、できれば登り直したい。「百名山」を卒業できないのは、登山者として未熟と自覚するが、「クロウトすじ」の山は非力な中高年ハイカーにはムリ。登山道や小屋が整備された「百名山」が、身の丈に合っているのだ。


久住山(1787m)・阿蘇山(1592m) (5月25,26日)

2001年春の連休に登った時は、麓では曇天だったが、高度を上げるにつれて冷たい雨になり、山頂部の這って歩くような強風に、九州の2千mに届かない山の想像を超える厳しさを知った。

2010年の梅雨入り前、「週末千円均一」を利用して宮崎の連れ合いの実家を訪れ、ついでにリベンジ登山を試みた。結論を先に言うと「リベンジ成らず」。久住山は前回同様の冷雨、阿蘇(高岳)も濃霧で視界ゼロだったが、風が弱かっただけでもラッキーと思うことにした。

無念ついでに苦言を一つ。火口東展望所から仙酔峡に下る標高差500m近い登山道が「整備」され、コンクリート舗装になっていた。善意ではあろうが、舗装された下り急勾配がどれほど足に負担のかかるものか、施工者は承知しているのだろうか?その道のプロならば、山道は山道らしく整備して欲しい。

久住山頂は今回も冷たい雨。
阿蘇カルデラの水田風景。背景は阿蘇連山東端の根子岳。
阿蘇仙酔峡のミヤマキリシマ。
阿蘇最高点の高岳山頂も霧の中。
中岳から下ると噴火口が見えた。問題の舗装路は火口縁から登山口まで続く。


高千穂峰(1574m) (5月27日)

いくつもの峰が連なる霧島山は、百名山では最高点の「韓国岳」(1700m)に登ることになっていて、我々は2001年に登頂済み。だが、「百名山 西日本篇」で書いたように、深田久弥は「霧島山」の紙面の殆どを「高千穂峰」に費やしている。高千穂峰は標高では韓国岳に及ばぬが、秀麗な姿と神話の重さで圧倒する。戦時中は登頂が不敬とされたが、今は自由。坂本龍馬が戯れに引き抜いたという山頂の「剣」も是非見ておきたい。

宮崎は「口蹄疫」騒動の真っ只中で、道路に敷いた消毒液マットの上を何度も通らされた。高千穂峰の登山は、標高1000mの霧島神宮跡の駐車場から往復3時間の手軽なコース。火山礫の斜面を「御鉢」の肩まで登ると、噴火口の周辺は名物のミヤマキリシマが真っ盛り。「御鉢」から40分の山頂に例の「剣」はあるが、今は石積みと鎖で厳重に防護され、龍馬のイタズラの真似は出来ない。脇の碑に「天孫瓊瓊杵尊降臨之霊峯、1911.4.29、高原ライオンズクラブ建立」とある。明治44年に九州の地方都市に「ライオンズクラブ」があったことに驚くと共に、西欧由来の団体と「天孫降臨」の組合せにも興味が湧く。

 
東麓の「御池」から見た高千穂峰。
登山口の霧島神宮跡。
肩の御鉢から高千穂山頂を望む。
御鉢(噴火口)斜面のミヤマキリシマ群落。
ミヤマキリシマ
御鉢から山頂部を仰ぐ。
山頂から霧島連峰最高峰の韓国岳方面を望む。
山頂の「剣」。
ライオンズクラブ1911年建立の天孫降臨碑


西穂高独標 (2701m) (7月18日~19日)

海抜ゼロで酸素濃厚な南の島(バヌアツ)で2年間暮らしてから、それまで富士山頂でも平気だった小生が、標高2000mで高度障害が出るようになった。(単なる老化現象?)。その為、本格登山の前に高度順応の慣らし運転が必須で、今年は標高2160mまでロープウェイで行ける西穂高岳(2909M)に出かけた。

ロープウェイ終点から1時間で標高2400mの西穂山荘着。早くも息が切れたが、売店のソフトクリームで元気を取り戻し、尾根を登り始める。西穂山頂への中間点、標高2701mの「独標」で弁当を開いたが、食欲ゼロ。高度障害の典型的症状だ。独標から山頂まで、地図上の標高差は200mだが、険しい岩場のアップダウンが連続する厳しいルート。天候悪化の兆しの雲が山頂部を覆い、展望は期待できない。西穂は百名山ではないので、ムリに登頂することはない。独標でUターンし、高度順応で一泊予定だった西穂小屋もパス。ロープウェイ終点まで下ったら、高度障害はケロリと治っていた。

ロープウェイ終点の眺め。右に西穂、左奥に槍ヶ岳。
槍ヶ岳から南岳への稜線。この眺めが槍ヶ岳再登の伏線に。
夏空に笠ヶ岳もごきげん。
ここから見る焼岳は重量感がある。
黒部源流の峰々
独標手前の尾根道。左下に上高地大正池。
人の立っているコブが中間点の西穂独標。
独標から前穂と明神岳。岳沢の小屋も小さく見える。
河童橋周辺。右に帝国ホテルの赤屋根も。
独標から西穂山頂方面。空模様がアヤシい。
ロープウェイ終点の播隆上人像(1828年に槍ヶ岳を開山)。
登山道で出会った蝶


至仏山(2228m) (7月27日~28日)

43年前の1967年秋、友人と4人で尾瀬の至仏山に登ったが、連れ合いは登頂の記憶がないという。写真も中腹から草紅葉の尾瀬ヶ原を撮ったものしかない。登頂の確信が持てなくなり、急遽登り直すことにした。この季節、尾瀬は端境期で、山ノ鼻の国民宿舎に空き部屋があった。

予報では雨は午後からの筈だったが、朝6時に歩き出すと同時にポツリ。至仏山を形成する蛇紋岩は樹木の生育に適さず、標高1700mで森林限界を抜けるが、霧雨に阻まれて視界はない。濡れた蛇紋岩の登山道は滑りやすく、山頂に着いた時はドロンコ。鳩待峠への下りも結構長かった。(帰宅後、別のファイルから、至仏山頂で4人が写ったカビだらけの写真が見つかった。)

尾瀬ヶ原から燧ケ岳。
同じく至仏山。雲ゆきがアヤシイ。
この季節、尾瀬ヶ原に花が少ない。ヒツジグサ(上)とキンコウカ(下)。
至仏の森林限界から尾瀬ヶ原。ここから上は霧で視界なし。
山頂の標識。40年前は木製の粗末なものだった。


槍ヶ岳(3180m) (8月3日~6日)

2004年7月の槍ヶ岳登山は、百名山の中で最もミジメだった。迷走台風の影響で、小屋は停滞した登山者でギュウ詰め。上部は烈風が吹き、軽量の連れ合いは飛ばされて腰を強打した。それでも鉄ハシゴにしがみついて山頂に登り、小型カメラで証拠写真は撮ったが、百名山のハイライトとなるべき槍ヶ岳登頂の満足感はゼロだった。

あれから6年、山の知恵も多少ついた。前回は上高地・槍沢のルートを往復したが、今回は飛騨側から西鎌尾根を詰めて登頂し、南岳まで縦走して周回するルートにした。理由は、ルート上で期待できる多彩な撮影スポットである。

第1日目:都内の交通渋滞にヤキモキしたが、新穂高の駐車場に車を置き、林道を歩いてワサビ平小屋に着いたのは予定ピッタリの午後4時。標高1400mには下界の「熱帯夜」も届かず、睡眠をたっぷりとって長丁場に備える。

第2日目:ワサビ平から鏡平経由双六小屋(2600m)まで、標準7時間の長い登り。日が高くなると、肌を焼く暑熱と高度障害で息も絶え絶えに。鏡平山荘(2300m)が供する一杯500円の「かき氷」で蘇生し、弓折岳の急登でようやくペースを掴んだ。混雑を心配した双六小屋は、1人一畳分の寝場所を確保出来て一安心。高度にも慣れたようだ。

1日目は奥穂高登山口から70分のワサビ平小屋まで。
鏡池(標高2300m)は槍・穂高の姿見。
中間点の鏡平山荘。一杯のカキ氷で生き返った。
弓折岳の斜面で出会った花たち。クロユリもある。
黒部源流歩きの交差点、双六小屋の賑わい。

第3日目:双六小屋から西鎌尾根を登り、槍ヶ岳山荘まで標準6時間の行程。双六小屋を出てすぐの樅沢岳を越えると、西鎌尾根の長い稜線の先に槍ヶ岳がスックと立っている。尾根の南側は穂高連峰から焼岳、乗鞍岳、その先に木曽御嶽の頭まで見え、北側は黒部源流の峰々の揃い踏み。登山道の両側に高山植物が咲き競い、これぞ山歩きの醍醐味! 想定外は、空の明るさと槍のシルエットのコントラストが強く、思い描いたようには写真が撮れなかったこと。

申し分ない快晴の夜明けに東の稜線が浮かぶ。
樅沢岳の登りでブロッケン現象。
樅沢岳山頂から北側に黒部源流の峰々。
東にこれから歩く西罐尾根、その先に槍ヶ岳。
稜線の南側に穂高連峰、焼岳、乗鞍、木曽御嶽。右下に鏡平山荘。
ウスユキソウの群落。
西罐尾根の稜線歩き。槍の穂先がだんだん近づく。
硫黄沢。硫黄の採掘が行われたこともあるとか。
ここから1時間半の急登。
ここを登り切ると槍ヶ岳山荘前に出る。
大槍と小槍。
穂先を登る登山者たち。

最後のガレ場を登り切り、12時過ぎに大槍直下の山荘前に到着。山頂部を午後の雲が流れ始めたので、休む間もなく標高差100mの穂先をアタック。前回は濃霧の中を標識を頼りに無我夢中で登ったが、晴れて周辺が見えると、高度恐怖症は垂直鉄ハシゴの昇降に覚悟が要る。山頂部は20人分程のスペースで、急いで写真を撮って後続に場所を譲る。小屋に下ると同時に穂先は雲に隠れ、まさに間一髪のセーフだった。

槍ヶ岳山頂の祠。
祠の裏からエクスパート専用の北罐尾根を覗く。
東罐尾根の稜線

東鎌稜線上のヒュッテと槍沢上部の殺生小屋

山頂直下に槍岳山荘
夕方、雲の切れ間から槍の穂先が顔を出した。

第4日目 当初は南岳小屋に1泊して朝の大キレットを撮るつもりだったが、山の天気は下り坂。小屋食に飽きたし風呂も恋しくなり、1日早く下山することに。槍から南の稜線をたどり、大喰(おおばみ)岳、中岳を越えて南岳まで3時間の縦走。韓国人の団体と前後しながら、外国人から見ると日本人の団体も傍若無人なんだろうな、などど考える。南岳と北穂高岳の間を抉る大キレットは雲に隠れ、絶景の撮影を断念して南岳新道の下りにかかる。

木ハシゴが連続する標高差1000mの急な下りは、疲労の蓄積した脚には、登りと同じくらい辛い。標準3時間を4時間かけて槍平小屋まで下ったが、終点の新穂高までまだ道半ば。挫けそうになる気分を小屋の「カキ氷」で掻き立て、「足が棒」とはこのことかと思いつつ、夕暮れ迫る林道をトボトボ歩き、午後5時、やっと新穂高に帰着。この日の行動は11時間余。53200歩の褒美に右足親指裏に大きなマメをもらった。案内所を閉めていたオネエサンをつかまえて新穂高の「最後の一部屋」を獲得し、温泉と生ビールでリベンジ登山を締めくくった。

雲海に浮かぶ富士山と南アルプス。
西側の雲海に黒部源流の峰々が浮かぶ。
槍ヶ岳山荘前から北穂高岳と前穂高岳
黒部五郎岳に滝雲。
大喰岳から槍ヶ岳を振り返る
中岳山頂から笠ヶ岳。
北穂高山頂の小屋は修道院のよう。
南岳新道上部のガレ場に咲く花たち。
南岳新道はなかなか厳しい。
下山路から北穂「滝谷」。垂直の岩壁はクライマーのメッカ。