エパウ村での現地語研修で3日間お世話になったアダさんの生活をカメラで追ってみました。アダさんは67歳だそうですが、日本の同年代の人に比べて若々しく見え、左目の白内障を除けば、病気もしたことがないそうです。この国の人は老けやすいのではないか、という小生の偏見を吹き飛ばしてくれました。

本来自給自足だった村の生活ですが、現金収入があるようになってから、主食がイモ類から米に代わり(この国では米は全量輸入)、肉類や豆の缶詰も使うようになったようです。太陽電池をレンタルして、食堂と居間に蛍光灯が1本ずつ点くようになったのも、ここ数年間の変化です。このように貨幣経済がどんどん拡大し、現金収入源の確保が彼等の最大の関心になってゆくのは、避けられない事態のようです。この村のチーフは校長先生も兼ねていますが、現在電力会社に送電線を引くように交渉中とのことで、電気が来るようになれば、村の生活は更に激変することでしょう。

アダさんの家には時計がありません。雄鶏のトキで朝の活動を初め、お腹が空けば昼ごはんです。太陽電池の蛍光灯が点くようになってから、夕飯の時間が遅くなったようです。食後は兄弟と行き来したり、集会所に行ってカバ(精神安定効果のある伝統的な飲み物)を飲んでだべったりして、10時過ぎまで起きているようです。

アダさんは自動車と船には乗ったことはありますが、飛行機に乗ったことはなく、汽車は見たこともありません(バヌアツには鉄道がない)。小生の未熟な現地語で、汽車とはどういうものかを説明するのは大変でしたが、新幹線が時速300kmで走ることは理解してくれたようでした。

竹ざおに付けたフックで椰子の実を落とす。この椰子の木は30年前に植えたもの。

素手で椰子の実を持ち、よく研いだ山刀を振り下ろして割る。見ていて怖いが、誰でもこのやり方。

小学生でも刃渡り30センチの山刀を持ち歩き、学校でも身辺から離さない。護身用ではなく、藪を切り払ったり食べ物を採ったりする道具。鉛筆削りもダメな日本とは大違い。

燃料は全て薪。大きな木を切り出して斧やノコギリで丸太にして乾燥させ、孫のクマ君が薪割りしてタキギにする。 これは「宅配」された食料品。サトイモに似たタロイモ、バナナ、トウモロコシである。アダさんの畑のものはまだ収穫時期になっていないとのこと。
アダさんの畑。歩いて20分もかかる山の斜面にある。焼き畑が許される場所が限られているらしい。 キッチン。バナナの葉などを使った石蒸し料理専用の場所がある。
真っ暗なキッチンでの夕食作りは「闇鍋」の雰囲気。 この日の夕食は料理はご飯とサツマイモと「バヌアツスープ」。スープが美味かったので料理法を聞いてみた。「鍋に脂を敷いて玉ねぎを炒め、次に豆の缶詰を開けて入れ、最後に肉の缶詰を開けて入れ、1時間ほどじっくりと煮込むのだよ」の説明に、思わずズッコケた。
洗濯は娘のウイニーさんの仕事。小生も汚れ物を出すように強制された。 洗濯が終わればお昼寝の時間。