日本で会社員生活を終え、ひょんなことからバヌアツ共和国で働くことになりました。「そんな国どこにあるの?」と聞かれますが、オーストラリアの東の南太平洋上、フィジーとニューカレドニアに挟まれています。大小80余の島々から成り、国全体の大きさは新潟県とほぼ同じです。
日本との関係では、太平洋戦争初頭に日本軍がソロモン諸島まで勢力を拡げた際、その南下を食い止めるために米軍が戦陣を張った場所で、一時は10万を超える米兵が駐屯したそうです。米軍はガダルカナルで戦況を逆転させ、撤収時にバヌアツの海岸に装備類を廃棄したのですが、それらが海中に沈んで漁礁となり、今はダイバー達の絶好のポイントとなっているのも、何か皮肉な感じがします。
バヌアツの総人口は20万人。日本の中都市くらいの小さな国です(世界にはもっと小さな国がたくさんあります)。人口の92 %はメラネシア人で、残りは中国系やベトナム系ですが、彼等は英国・フランスの植民地時代に労働力として連れて来られた人達の子孫だそうです。日本人は約30人の国際協力機構(JICA)の関係者(青年協力隊員、シニアボランテイア、職員と家族)を含め、現在約70人が在留しています。
バヌアツは1980年に独立するまでニューへブリデスと呼ばれ、イギリスとフランスが並列統治していました。独立後も学校教育で英語、フランス語が使われているため、都市部では英語とフランス語が通じます。しかし村部では就学率が低く、100を超える部族には夫々古来から使われてきた言語があるため、部族間のコミュニケーションが難しく、また白人との交易にも困難が伴ったので、メラネシア系言語と英語・仏語のエッセンスを混合したビスラマ語が発生し、現在では標準語として用いられています。従って、バヌアツの人たちは、出身部族の伝統的言語、ビスラマ語、英語、フランス語を時と場合によって使い分けているわけです。外国語が不得意な日本人からみると天才ではないかと思われます。
バヌアツの観光パンフレットには、裸族のような写真ばかり載っているので、未開の国と想像しがちです。今も儀式などでは伝統的な衣装(すなわち裸)になることもあるようですが、日常は男性はシャツにズボン、女性はアエラン・ドレスと呼ばれるワンピースで生活しています。男性にはいかつい顔立ちの人も多く、一見怖い感じもしますが、陽気で人なつこい人ばかりです。
都市部には電気や上下水道が完備し、モダンな生活に慣れた我々の生活にもあまり不便はありませんが、国全体としてはまだ発展途上にあります。鉱物資源がなく、主たる産業は農林業であり、しかも国際市場から遠く離れているので、国を豊かにしてゆくことは容易ではありません。子供達の6割は小学校(6年)で学校をやめており、識字率が低いのも大きな障害です。日本では想像できないことですが、世界にはこのような環境に住む人の方が多いことを改めて認識しています。