1774年、近くを航海中のクック船長は夜空を赤く焦がしている島を発見した。上陸してその火山を探検しようとしたが、原住民に阻止されたという。それがヤスール火山である。その後、19世紀にビャクタン(白檀)の産地として注目されたが、直に伐採されつくしてしまった。現在はタンナコーヒーの産地として知られているが、産出量はそれ程多くない。

タンナ島には変わった宗教がある。1936年に John Frum という男が訪れ、「近くヨーロッパ人がこの島から退散し、その後に巨大な富がやって来て、疫病もなくなる」、と予言した。間もなく訪れたのは米軍であった。彼等は膨大な物資を持ち込み、基地建設のために島民を雇用し、赤十字は島民に無料で医療を施した。島民たちはFrumの予言が的中したことを喜び、赤十字に似た赤い十字架を立て、Frumの再来を祈って踊りあかすようになった。現在も Frum 教として続いており、毎週金曜日には夜通し礼拝の踊りが行われると言う。(日本の観光案内書には違った説が書いてあるが、小生はこちらの方がもっともらしい気がする。)

日本軍は北隣のソロモン諸島で食い止められ、バヌアツが日米の戦場になることは免れたが、あの巨大な米軍を相手に果敢に戦った日本に対する畏敬の念のようなものが、今もバヌアツ人の間に語り伝えられているらしい。経済大国として再興を果たしたその後の日本の姿と二重写しになり、その分、現在の日本の援助に対する期待感も強いようである。(日本の金銭的援助はそれ程目立っていないようだ)。

中国が対バヌアツ援助に熱意を燃やしているのには、そんな日本に対する対抗意識も多少あるのでは?などと考えるのは下司の勘繰りであろうか。

我々が泊まった White Grass Resort はオーストラリア人夫妻の経営で、料金は安くないが、敷地内にBlue Hall というダイビングスポットもある。 タンナ島には舗装道路は殆どない。
野生化した馬に出会う。この島では観光用の車両は四駆トラックの荷台で、多少の体力勝負の覚悟が要る。 タンナコーヒーの実。
Loanial 展望ポイントからの眺め。雨天だったが一瞬展望が拓けた。 ヤスールの麓にあった Siwi 湖は、2年前の豪雨で地形が変わり、草原になってしまった。
ヤスールの降灰で埋まった平原。 火山原は火山灰と溶岩が交互に堆積している。
レナケルの海辺を漁師のカヤックが行く。 バヌアツのローカル便は、草原でも離着陸可能なカナダ製ツインオッター機(頑丈なことでは定評あり)。客が多い時は一回り大きな ATR 機が飛ぶ。