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ギリシャ
(旅をした時: 1996年6月、 記事のアップ: 2010/6/1)
「チンプンカンプン」を英語で「That's greek to me!」(まるでギリシャ語だよ!) と言うと、どこかで聞き憶えた。英語が母国語の人たちにとって、ギリシャ語はそれほど縁遠い言語らしい。昔の同僚にギリシャ移民の技術者がいて、彼の英語を聴き取るのに苦労させられた経験もあって、この表現が頭に焼き付いている。
だが、待てよ、という気もする。ギリシャはヨーロッパ文明の本家ではないのか。古代ローマがお手本にしたのがギリシャで、当時のローマ人の上流社会では、子弟の教育をギリシャ人の家庭教師に委ねたという。ヨーロッパ文明の底辺にある言語が「チンプンカンプン」とは、腑に落ちない。
調べてみると、Philosophy(哲学)、School(学校)、Symphony (交響曲)、Theater(劇場)等々、ギリシャ語が語源の英単語は結構ある。だが、学術・芸術・医学用語や抽象概念を表す単語が目につく一方で、日常会話で使われるような単語は少ない。語感や響きも異質で、「スコラ」が「スクール」の語源と知る人は教養人だろう。漢字を多用する日本人に中国語が「チンプンカンプン」なのと、似ているのかもしれない。
ともあれ、日本が弥生初期の時代に、驚くべき水準の文明を完成させていた古代ギリシャ人には、畏敬の念を禁じえない。だが、流転の激しいヨーロッ諸国の中で、ギリシャは古代から現在まで同じ国名を名乗り続けているものの、歴史の表舞台に出たことはなく、「5歳で神童、ハタチ過ぎれば…」の感もある。もっとも、この間に混血が進んで「純血ギリシャ人」は絶滅し、現代のギリシャ人にはスラブの血が濃いと聞く。
そのギリシャが、今大混乱している。選挙対策のバラマキが招いた財政破綻が発端と聞くが、他人事ではない。ギリシャの財政赤字はGDPの1.3倍だが、日本は1.7倍。財務省のホームページにも「90年代後半に財政の健全化を着実に進めた主要先進国と比較して、日本は急速に悪化しており(中略)、純債務で見ても、債務残高の対GDP比が主要先進国でひときわ厳しい水準」と書いてある。「国民の金融資産があるから大丈夫」と説く人には、古典落語の「花見酒」を聞かせたい。ギリシャはEUが必死に支えているが、日本が「総夕張市状態」に陥っても、助けに来る国はない。知らぬ間に国債の原資にされた「国民の金融資産」は紙クズになり、日本国民がやっと花見酒から覚める公算が高い。
(本ページで使用した写真はスライドフィルムをデジタル処理したものです。)
ギリシャと周辺の国々
アテネ パルテノン神殿
アテネのホテルの部屋に入ってビックリした。窓の外にパルテノン神殿があったのだ。「京都のホテルからも東寺の五重塔が見えるぞ」と言われそうだが、やはり感慨のレベルが違う。歴史オンチの小生でも、教科書の写真に感じ入った記憶があるし、古代に民衆が政治参加するシステムがあって、アクロポリスがその現場だったことくらいは知っている。古代文明が2千数百年の時空を超えて目の前にあるのは、やはり興奮する。
だが、前5世紀に作られた神殿が、アクロポリスの丘に立ち続けていたわけではない。15世紀にオスマントルコ軍が占領した際に破壊され、更に17世紀にベネチアと戦った占領トルコ軍が弾薬庫として使ったため、爆撃を受けて瓦礫の山と化した。100年ほど前から修復作業が始まり、1996年に小生が訪れた時も、神殿の奥で大小のクレーンが動いていた。完成は2030年頃と聞いたが、昨今の経済危機の影響が心配だ。
ホテルの窓から撮った夕映えのパルテノン神殿。
フィロボスの丘から見たアクロポリス全景。
アクロポリスの入口で待つ見学者の群。
神殿の正面。大理石を削り出して組み立てたもの。2千年5百年前のギリシャ人の建築美のセンスと技術力の高さに圧倒される。
正面破風を飾るギリシャ神話の神像は大半が大英博物館にあるそうな。
エレクティオン神殿(前407年建)の6少女像。
アゴラ(民衆集会)が行われたのはこの辺りだろうか。
アクロポリスの展望台から市街を見下ろす。
アクロポリスの麓に作られたディオニソス劇場(前4世紀)
ヘロド・アクティスの音楽堂はローマ時代(2世紀)のもの。
アテネ国立考古学博物館
考古学的に価値ある物を見たいのならロンドン・パリへ行け、が定説らしい。ギリシャの出土品も、目ぼしいものは大英博物館やルーブルがしっかり「保管」していると言う。20世紀半ばまで「力が正義」の時代だったから、19世紀の英国や他の列強国を非難する気はないし、世界各地の文化遺産を、破壊と散逸から守った功績は認めるとしよう。
しからば、アテネ博物館の収蔵品が残り物のクズばかりかと言うと、そんなことはない。ミロのヴィーナスはルーブルに嫁に行ったままだが、同時代(前2世紀頃)の彫像や、それ以前に造られたレリーフなど、芸術オンチにもその価値が十分に伝わってくる。ただ、ギリシャ神話の知識がないので、作品の面白さや語りかけるものを読めないのは、我ながら遺憾である。
馬に乗る少年像。前2世紀頃
医学の神、アスクレピオスの像
エロス神とパン神。前2世紀頃。
前6世紀、アルカイック・スマイルを浮かべる子牛を担ぐ男。
レスリングのレリーフ。前510年頃
これは戦争のシーンか?
どこかの壁に彫られていたレリーフ。
同上(部分)
ミケーネで発掘された黄金のアガメノンのマスク。前1580年頃のもの
前13世紀頃の壺
前750年頃の壺に描かれた人の紋様
前2200年頃に造られた神像
大統領官邸・国会議事堂
近頃テレビのニュースでアテネの騒乱の様子を見るが、その現場がここ。大きな公園に隣接して国会議事堂と大統領官邸があるのは、東京の日比谷から永田町界隈と似ている。1996年に訪れた時は、以下の写真のように至極のどかだったが、昨今のデモ隊と警官隊がもみ合う様子は、1960年の日本の首都を思い出させる。「普天間問題」はあの時の「安保」の延長上にある筈だが、日本人の政治感覚は半世紀前から成長していないようだ。
大統領官邸の衛兵。
国会議事堂。
議事堂の衛兵。ハンサムな兵が選ばれるのだろう。
正面の壁に無名戦士の碑。
無名戦士碑の前で行われる衛兵の交代。ボンボンのついた木靴を高く蹴り上げて行進する独特のポーズ。
アテネ市内見物
2千5百年前から首都であり続けている都市は、アテネの他に思い当たらない。しかし、現在のアテネは、パルテノン以外にも古代史跡がポツンポツンとあるものの、ローマのように歴史の匂いを濃厚に放っていないのは、中世~近世の歴史遺産を欠く為だろうか。現代になってからも目覚ましい経済発展がなく、人口80万の首都アテネは、精彩を欠く地方都市のような感じがする。(小生が訪れたのは1996年だが、その8年後にオリンピックが開催されたので、だいぶ様子が変わったと思うが。)
古代オリンピックの競技場が、1896年の第1回近代オリンピック開催時に復元された。縦長のギリシャ式トラックに大理石の観客席が眩い。
競技場復元のスポンサーとなった富豪アベロフの像。
アクロポリスの対面にローマ時代の執政官フィロボスの記念碑。
バスから撮った市街地の遺跡。ゼウス神殿と思われる。
ローマ時代のハドリアヌス門も市街に唐突に立つ。
市街の中央にそびえるリカベトスの丘(295m)。ケーブルカーで登れる。
リカベトスの頂きからアテネの夜景。
パネビスティミウ通りはアテネの銀座通り。
雰囲気のある裏通り。
なつかしい軽3輪トラックも走る。
エーゲ海 クルーズ
「エーゲ海のクルーズとは、豪勢ですな」と言われそうだが、小生が経験したのは、アテネ近くの島を巡るワンデイ・クルーズ。それも酒を呑みながらの「商用」で、どの島を訪れたのかも定かでない。今になってガイドブックと見比べ、「多分ここだろう」と思いつつ、下記の写真説明を書いている次第。
とは言え、太陽の輝きと海の碧さの記憶は鮮烈に残っている。アテネの緯度(北緯37度58分)は新潟市(北緯37度55分)と同じだが、地中海と日本海の気候は、何故こんなにも違うのだろう? 太陽の照射角が同じでも、地形・海流・風向きなどの違いで、自然は全く違った姿を見せてくれる。
ピレウス港から見たアテネ。パルテノンとリカベトス丘が直線上に並ぶ。
白い石灰岩の山。神話の舞台になりそうだ。
島の急斜面に造られた町。
イドラ島での短い停泊時間に斜面を登ってみた。眼下にイドラの港。
急斜面の石段の両側に白亜の別荘が立ち並んでいる。
イドラの入江からエーゲ海を見る
この写真はエギナ島のアフェア神殿と思われる。前5世紀頃に石灰岩の1枚岩から彫り出して造ったものらしい。
アフェア神殿とは別の場所で撮ったものと思うが、撮影場所が分からない。
これもエギナ島の港と思うが、自信なし、。
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