江戸時代の年貢は「四公六民」が一般的で、「五公五民」にすると農民(納税者)のガマンの限界を越え、強訴や百姓一揆が起きたという。封建国家の年貢米と近代国家の税制とは単純に比較出来ないが、今の世でも庶民から収入の半分を税金で召し上げたら、暴動が起きても不思議はない。

北欧三国(スウェーデン、フィンランド、ノルウェイ)では一般市民の税負担は50%を越える。それでも幸福度は世界のトップで政情も安定している(時折り極右の若者が騒ぐことはあるが)。ひと口に「高福祉・高負担」と言うが、税金は少しでも安い方が良いし、高福祉が怠け者を甘やかせるという意見も根強い。北欧三国でも事情は同じ筈だが、国民が「高福祉・高負担」を支持するに至ったプロセスに興味が湧く。

スウェーデンの近代史を覗いて面白い史実が目に入った。1920年に時の国王グスタフⅤ世が社会民主労働党(以下社労党)に政権を担当させたのだ。社労党は都市労働者を基盤とする社会主義政党で、失業問題に頭を痛めた国王が「毒をもって毒を制する」つもりだった? と勘ぐるが、社労党は見事に政権担当能力を発揮し、国民の信頼を獲得して福祉国家構築に着手、第二次大戦の困難な時期も福祉政策を進め、1960年代に現在の福祉国家像を完成させた。

社会主義政党と聞くと理念先行の硬直した政治姿勢を想像するが、スウェーデン社労党の政権運営は一貫して「柔軟」。大戦では「非戦中立」を掲げつつ巧みに立ち回り、戦後は「抵抗勢力」を絶妙に囲い込んで高福祉路線を完成させた。民主主義システムの中で長期政権を担い続けるには、良かれ悪しかれ「政治手腕」が欠かせない。それが国家百年の計に立つ真摯な術策なのか、あるいは偽装された権力欲・利権欲なのか、国民には「おとな」の覚めた目が求められる。

半世紀にわたって政権の座にあり続けた社労党だが、健全な民主主義国であれば政権交代は起きる。社労党を核とする左派連合は1976年に下野し、それ以降保守連合と左派連合のギッコンバッタン交代が続いている。現在の各党の議席数は、社労党112、中道党107、緑の党25、自由党24、中央党23、民主党20、キリスト教民主党19、左党19で、社労党は第一党ではあるが左派連合の議席数が右派連合に僅かに及ばず、政権の座にない。(選挙で右派連合が勝てたのは「市場主義」から「福祉重視」へカジを切った為とも言われる。)

上記の議席数で分かるように、スウェーデンには圧倒的多数党がなく、少数党にも夫々存在感がある。国会運営は他党との協議と妥協が常態になり、連携する政党は重要政策毎に流動する。その過程で政策が多党間で揉まれ、より多くの人が納得する政策に磨き上げられる。それが民主主義政治の狙いどころで、某国政界のように対立点ばかり際立たせ、白か黒かの「勝ち負け」で政治を進めるのは、「おとな」の流儀とは言い難い。

スウェーデンの「民主主義」について付言すれば、2010年の国政選挙の投票率は84.6%。投票率の高さは国民の政治参加意識のバロメータだが、それには「自分の一票を託したい政党」の選択肢が多い方が良く、良識ある「おとな」の協議と妥協が期待できれば、少数党支持でも死票にならない。更に付言すれば、スウェーデンでは各政党の得票率と議席数がほぼ比例し、且つ人口動態の変化に応じて選挙区割り調整が常時行われるので「一票の格差」もない。それに引きかえ・・と嘆きたくなるが、民主主義の成熟には選挙民の成熟が必要条件。せめて過激だけが売り物の論客や集票用芸能人に投票しないのが「落ち着いた民主主義国家」への第一歩かも・・


スウェーデン (撮影:2000年6月)

写真のウデが少し上がると欲しくなるカメラがある。スウェーデン製のハッセルブラッド(日本では通称「ハッセル」)。アポロ宇宙船の月面着陸に宇宙飛行士が持って行ったカメラと言えば「あれか」と思い出してもらえるかもしれない。6㎝×6㎝の正方形の中判フィルムを使う一眼レフで、すりガラスに映る倒立像を上から覗いてルーペでピントをあわせて、絞りとシャッターも露出計の値を見て手動でダイヤルを回す。クロウトでなければ使いこなせないカメラで、それがシロウトのカメラテングのココロをくすぐるらしい。(ちなみに小生は持っていない。)

1960年代に宇宙へ持って行けるカメラはハッセルしか無かったという。その起源は第二次大戦時に開発された航空偵察用カメラで、完成前に戦争は終わったが、1948年に商業写真用カメラとして世に出た。折りからの消費ブームに乗って広告写真のニーズが急増し、ハッセルは商業写真業界の標準機になった。近年は商業写真のデジタル化でお役御免になったハッセルが中古市場に値ごろで出回っている。ハッセルもデジタル機を出しているが、数百万円の値段ではプロの手も伸びず、業界標準は日本メーカーのデジタル一眼にとって代わられた。

スウェーデンは人口9百万の小国だが世界に冠たる工業国。得意分野はハッセルに見る如く「クロウト」スジで、有力企業には重火器のボフォース、航空機のサアブ、特殊鋼のウッデホルム、通信機のエリクソン等がある。自動車のボルボも大衆化した乗用車部門を中国資本に売却してトラック・バスに特化した。(民生品にも家具のIKEAや家電のエレクトロラックス等があり、「クロウト」スジばかりではないが)。

昔から「一番儲かるのは武器商売」と言われる。スウェーデン企業のキナ臭さには同国の「不戦中立」の国是が関係するようだ。地勢的にヤバイ場所のスウェーデンは、「戦争当事者になったら損」が身に染みている。ナポレオン戦争以降「非戦・非同盟」を掲げ続け、第一次、第二次大戦でも不戦中立を貫いて戦渦を免れた。同時に交戦する双方と武器商売する妙味も味わい、今も独自の技術を磨き続けているらしい。そんな商売にあやかりたい人もいるらしいが、大国との同盟が最重要課題で且つ「非戦」の看板も下ろしかけている国には、「不戦中立」の芸当も甘い汁もありえない。

閑話休題。小生のスウェーデン滞在は13年前にストックホルムで1日だけ。高緯度で太陽光が弱い上に小雨降る薄暗い日だったが、35㎜カメラにISO感度400のスライドフィルムを入れて手持ちで撮った。1/5秒より遅いシャッターもあった筈だが、手ブレはあまり目立たず、三脚不携行が単なるズボラから確信に変わった。

小雨の早朝、ホテルの窓から旧市街を望む。
小雨をついて朝飯前の散歩。ガムラスタン(旧市街)の門をくぐる。
旧市街
左の尖塔は旧市街のリダルホルム教会。
左端は市庁舎のタワー。
軍港。

小鉄チャンの朝の散歩コースに駅は必須。キップなしでホームまで入れるのが嬉しい。通勤時間前で閑散としているが、重厚な駅舎や重量感のある長距離列車にスウェーデンらしさを感じる。

中央駅前広場。銅像は16世紀のグスタフ・ヴァーサ国王とか。
長距離列車の出発
近郊電車。
橋梁を渡る地下鉄。
超クラシックな市電。

1923年に完成したストックホルム市庁舎には宮殿のような大広間が二つあり、ノーベル賞授賞式の晩餐会と舞踏会の会場が主目的で設計されたと想像する。ダイナマイト発明者のアルフレッド・ノーベル(1833-1896)は莫大な資産を築いたが、1888年に実兄が死亡した際、ある新聞が弟と取り違えて「死の商人、死す」と誤報した。その見出しをひどく気に病んだノーベルは、遺産を基金にして運用益を「人類に最も貢献した人々」に毎年配分するよう遺書にしたためたという。現在の基金の残高は約400億円の由、他人事ながら経済危機で目減りしないことを祈りたい。

重厚な市庁舎の正面。
ノーベル賞の祝賀晩餐会が行われる大広間。1千数百名の賓客にデイナーを供するキッチンにも興味が湧くが、そちらは非公開。
ノーベル賞受賞式の舞踏会会場となる黄金の間。文字通り金箔が貼り巡らされている。
市議会会議場の天井はバイキング船の竜骨がテーマとか。

スェーデン王室は「万世一系」ではない。現ベルナドッテ王朝の祖は1818年に即位したカール14世。彼はフランス人で一兵卒から元帥まで成り上がり、ナポレオンⅠ世の右腕と言われた。ナポレオンは彼を自分の地位を脅かす人物と見たようで、世継ぎがなく養子を探していたスウェーデン王室に送り込んで「厄介払い」した。摂政時代の彼はライプツィヒの戦い(1813)でナポレオン軍を破り、結果としてナポレオンの懸念が当った。前述の「不戦中立」の国是はカール14世がこの戦勝を機に掲げたもので、勝った時に成すべき事を知る名リーダーと言ってよいだろう。「ウマのホネ」が賢王だった事は、スウェーデンにとって最大の幸いだったのではないか。それにつけても、戦争の勝ち方も負け方も知らなかった国の政治家たちの、無神経で不毛な発言と行動に嫌気がさす。(歴史オンチの独断と偏見だが)。

王宮。1854年に完成した堂々たる建築物。現王家は郊外の宮殿に居住し、王宮は国王のオフィスとして使用されている。
王宮前広場で衛兵の交代式。
王宮の宝物殿。
王宮近くの旧市街を散歩。

フィンランド (撮影 2000年6月)

スウェーデンは「バイキング末裔」の先入観もあって「強く逞しい国」の印象が強いが、隣国のフィンランドには「ムーミン」の先入観がつきまとう。ムーミンの「ほんわか」したムードの背後に漂う「せつなくやるせない」気分は、学生時代のサークルの愛唱歌だったフィンランド民謡「白いバラ」にも共通する。

フィンランドの近代史はせつなくやるせない。1581年にスウェーデンが宗主国となってフィンランド公国が建国されたが、ナポレオン戦争のドサクサで1809年にロシア帝国に取り込まれる。1917年にロシア革命に乗じて独立宣言し、フィンランド社会主義労働者共和国を成立させるが、1921年にスウェーデンとの領土争いでオーランド諸島を失い、1939年にはソ連に侵攻されて東部の産業地帯も失う。第二次大戦ではソ連と対抗するために枢軸国側に付くが、1944年にソ連と休戦してドイツ軍の駆逐で血を流したものの、敗戦国扱いでソ連に莫大な賠償金を払わされた。戦後もソ連の勢力下におかれたが、ソ連崩壊でやっと真の独立国になり、今はスウェーデンと並ぶ福祉国家の路線を歩んでいる。

フィンランドの人口は520万で北海道とほぼ同じ。その小国があのヤバイ地勢の中で精一杯頑張ってきたのだが、どうやっても自立を保つのは難しい。後見人ごかしの叔父たちは身勝手で、不都合になれば遺棄するし挙句の果てに身ぐるみまで剥ぐ。そんな小国のやるせなくせつない思いがフィンランド人の血に染み込んでも不思議はない。

そんなフィンランドの一企業が20世紀末になって一矢を報いた。ケイタイ電話のノキアである。ノキアは1865年創業の古い会社で本業は林業と製紙業。1970年代に通信電子分野に進出するが不振が続き、1988年にCEOの自殺もあったが、90年に大ブレイクし、アッという間に全世界のケイタイ市場の1/3を席巻した。小生もその頃ケイタイ業界に身を置き、米国市場でジタバタしていたのだが、米国に上陸して半年で市場をかっさらったノキアの猛進を茫然と眺めた記憶がある。ノキアの成功は「明確な戦略でやるべき事を即座に且つ徹底してやった結果」と言われるが、それはビジネススクールの模範解答で、小生にはフィンランド人の民族的わだかまりが一挙に爆発・昇華したように見える。

そのノキアのケイタイが日本では殆ど売れず、「業界の七不思議」と揶揄された。その後日本のケイタイも「国際標準」を使うようになり、官・民・消費者の「三位一体」の閉鎖体質が崩れて、日本メーカーの息の根が止まりかけていると聞く。止めたのはノキアではなく、ノキアと同様に民族的わだかまりを爆発・昇華中の韓国メーカーと、カリスマ的商品力で勢いを盛り返した米国メーカーだそうだが。

再び閑話休題。ストックホルムから夜行のフェリーでボスニア湾を横断。6万トン級の超大型カーフェリーは巨大豪華ホテルそのもので、目が覚めたらヘルシンキだった。

フェリーでボスニア湾を渡る。
西行きのフェリーと行き交う。
ヘルシンキ港入り口の要塞。展示されている小型潜水艦のすぐ脇を航行。
ヘルシンキのフェリーターミナル。ストックホルムとの間を巨大フェリーが毎日複数便就航している。

フィンランド国民の82.5%はフィンランド福音ルター派教会の信者。2位のフィンランド正教会(1.1%)と共に「国教」扱いで、信者は教会を指定して「信仰税」を納税し、国は教会に財政支出する。この時代に国が「献金箱」を代行するのはいかがなものかと思うが、隣国の圧力下で教会が民族結束の要だった時代の名残りかもしれないし、単に中世の1/10税の遺物かもしれない。今は無宗教の人が15.1%に増え、国の「献金箱」代行に批判が強まっているという。

「信仰税」は献金先を指定して申告納税する一種の目的税だが、日本の「政党交付金」は一般税収の320億円を政党の議席数に応じて山分けする仕組みで、結果的に国民はこぞって大政党に献金する形になる(得票率2%以下の小政党には交付されない)。支持しない党にも強制的に政治献金させる制度は議会制民主主義の本義に悖るが、交付金を返上しているのは1党だけ。無党派層もシラケてばかりいないで、もっと怒るべきではないだろうか。

大聖堂はフィンランド福音ルター派教会の本山。広場の銅像はロシア皇帝でフィンランド大公だったアレキサンドルⅡ世。この皇帝は開明的でフィンランドの民族基盤を保護し、今も敬愛されているという。
ウスベンスキー寺院はフィンランド正教の本山。
市内のテンペリアウキオ教会は観光スポット。岩をくり抜いた半地下式で音響効果が素晴らしい。
ノキア本社ビル。

ヘルシンキは爽やかな街。波止場の路上に八百屋や花屋の露店が並び、その背後に大統領官邸がある。大統領は直接選挙で選ばれ、1982年から2012年まで社会民主党の出身だったが(2000年~2012年は女性大統領のタルヤ・ハロネン)、2012年の選挙で国民連合党のサウリ・ニーニス(男性)に代わった。フィンランドにも圧倒的多数党がなく、右派・左派の勢力が拮抗して政権がギッコンバッタンする。「フィンランド老人党」という政党もあるが、得票率0.3%で議席はない。主義主張は知らないが、党名を聞いただけで影ながら応援したくなる。

大統領官邸。以前はロシア大公のオフィスだった。
官邸前のマーケット広場。
作曲家シベリウスを記念する公園。小生の感性ではシベリウスの音楽の印象と違うような気がするが…
しゃれた公衆トイレ(有料)。

小鉄チャンはヘルシンキ中央駅に2度行った。駅舎は堂々たる建物だが、小さい国だから列車の発着は多くない。早朝に再訪した時は、ロシアのサンクトペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)行き国際列車の「シベリウス号」が出発するところだった。シベリウス(1865~1957)はフィンランドの作曲家で、祖国愛が溢れ出る音楽を作り、代表作「交響詩フィンランディア」はソ連当局から「危険音楽」と睨まれ、別名で演奏されたという。フィンランド国鉄がロシア行き国際列車名に特別な意味を込めたかどうかは、知らない。

ヘルシンキ中央駅。
長距離列車のホーム。
これは中距離列車だろか。
ロシアのサンクトペテルブルク行き国際列車「シベリウス号」が出発。