「福祉国家」を毎度お世話になっているWikipediaで検索すると、「国家の機能を安全保障や治安維持などに限定(夜警国家)するのではなく、社会保障制度の整備を通じて国民の生活の安定を図ること。広義には財政政策や雇用政策を含める場合もある」とある。ナルホド、連邦政府の機能がもっぱら「安全保障」のアメリカ合衆国は「夜警国家」の典型で、「安全保障」を曖昧にしつつ福祉の原資確保で増税する日本国は「福祉国家」の典型、ということになる。

日本が「福祉国家」と言われてもホンマカイナと思わされる事件が多いが、年金をもらって国民健保と介護保険料をガッポリ差し引かれると、ナルホド、日本は福祉国家だと実感する。国が運営する福祉制度の項目数では、日本は北欧諸国に比肩する福祉国家に違いなさそうだ。しかし福祉国家は国民の負担とベネフィットがバランスしなければ持続できない。日本の福祉システムが破綻しかかっているのは、アンバランスを知りながら先送りし続けた政治の無責任と、それを容認し続けた国民の無関心のツケで、もはや手遅れの感がある。

北欧諸国と日本国では税負担の重さが違うという。これも毎度お世話になっている米国CIAの World Factbook からデータを拾って国民一人あたりの数字を出してみた。経済統計の国際比較は元データの仕訳け方の違いや為替変動等で鵜呑みにできないが、北欧の「大きな政府」が国民の負担(個人とは限らない)で支えられていることが分かる。異常値に見える項目が幾つかあるが、ノルウェイの高GDPは海底油田のおかげ、米国の高医療費(官営健保ナシ)はヤッパリと納得。日本の病床数と教育費は統計上の誤謬か、それとも「死ねない医療」「学力崩壊」を裏付けるデータか、分からない。

  人口
百万人
GDP
億ドル)
1人あたり
GDP
(ドル)
予算規模
歳出額
歳出額/
GDP比
一人
あたり
歳出額

一人
あたり
歳入額

所得分配
公平度
(GINI)
一人
あたり
医療費
1000人
あたり
病床数
一人
あたり
教育費
失業率 若年
失業率
スウェーデン 9.1 5,262 57,704 2,893 55.0% 31,725 31,571 23.0 4,167 2.8 3,168 9.6 22.9
フィンランド 5.3 2,501 47,493 1,340 53.6% 25,446 24,573 26.8 3.393 6.2 2,563 7.3 18.9
ノルウェイ 4.3 5,011 117,134 2,067 41.2% 48,317 66,129 25.0 6,176 3.3 4,746 3.1 8.6
デンマーク 5.6 3,136 56,443 1,889 60.6% 33,999 31,767 24.8 4,278 3.5 3,265 6.4 21.2
(日本) 127.3 59,641 46,868 25,700 43.1% 20,196 15,913 37.6 3,378 13.7 1,351 4.4 8.0
(米国) 316.7 156,800 49,515 36,490 23.3% 11,523 7,784 45.0 8,852 3.0 2,670 8.2 17.3

データを拾っていて「GINI係数」という指標を知った(「所得分配公平度」は小生の訳語)。Wikipediaによれば「主に社会における所得分配の不平等さを測る指標。ローレンツ曲線をもとに1936年イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された。所得分配の不平等さ以外にも、富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される 」。スコアではピンと来ないので世界ランキング(CIAデータ、全136ヵ国)で示すと、スウェーデン1位、デンマーク5位、ノルウェイ6位、フィンランド10位と北欧諸国が上位を占める。他の上位国はスロベニア、モンテネグロ、ハンガリー、ルクセンブルグ、スロバキア、オーストリア、ドイツ。日本は60位でタンザニア、ベトナムと同値。以下米国95位、中国107位、最下位グループにアフリカ・中南米の国々が並ぶ。

上のデータから短絡的に結論を導くとすれば、「福祉国家」を持続させるには重税が避けられず、国民が重税を甘受するには「所得分配公平度」が担保されなければならない。つまり国民の大多数が「困った時はお互い様」と思える社会でないと「高負担・高福祉」は持続しないのだ。「一億総中流」時代の日本はGINI係数が高かった筈で、米国型市場経済の道を歩み続ければ所得格差が拡大し、国際競争力強化とやらで法人減税を進めれば、GINI値はますます「夜警国家」型に近づく。仮に「豊かな日本」に戻れたとしても、人々が相和して暮らす「美しい日本」の夢は遠のくばかりだろう。

「GINI」と標記が似た経済指標に「GNI」(Gross National Income)がある。「国民総所得」と訳されるが、国民世帯の実収入とは関係なく、GDP(国内で生じた経済的付加価値)に国民(企業)が海外で稼いだ付加価値を加えたもの。そのGNIを今後10年で国民一人当たり150万円増やすのが「××ノミクス」の矢の一本と聞く。「GDP」ではなく「GNI」としたところにブレーンの深謀遠慮があった筈だが、親玉が街頭演説で「皆さんの年収を150万円増やします!」とブチ上げて深謀遠慮を台無しにした。

事後のごまかし方を見るに、意識的にミスリードしたというよりもご本人が早トチリしたフシがある。とすれば自名を冠した重要事を曲解していたわけで、オソマツ度は自名をボールに印しながらその意味を「知らなかった」プロ野球の親玉にも劣る。政治家の片言のアゲ足を取って喜ぶ趣味はないが、調子に乗って口から出まかせはいただけない。


ノルウェイ (撮影:2000年6月)

鬱陶しい前置きになったが、本題のノルウェイレポートは爽やかにゆきたい。13年前の短い旅ではノルウェイがそれ程豊かな国という実感を持たなかったが、今回データを拾ってビックリ。とんでもなくリッチな資源国なのだ。国家財政は石油・天然ガスの国有企業からのアガリで歳入が歳出を大きく上回り、余剰金を将来の資源枯渇に備えて貯め込んでいるという。他の産油国のように王族や私企業だけが潤うのではなく、国民共有の資産が着々と増えているのだ。国民一人あたり770万円(総額1千兆円)の借金地獄から見ると、ノルウェイ人は金の成る木の森に住むとしか言いようがない。

もっとも、その豊かさは北海油田が発見された1969年以降のもので、それまでの主産業は捕鯨・タラ漁と林業。政治的にも1905年にデンマークの王子を招いて独立王国になるまでは、隣国スウェーデンの国王を頂く属国の立場だった。その時代のノルウェイ人のやりきれない気分は、画家ムンク(1863-1944)が描いたやせた男の「叫び」や、国民楽派作曲家グリーグ(1843-1907)のハラワタから絞り出すような旋律に込められているような気がする。(村上春樹の「ノルウェイの森」は読んでいないが、ノルウェイとはあまり関係がないらしい。)

ノルウェイ観光の目玉は「フィヨルド」。氷河に削られたU字谷が海面上昇によって水没した地形で、ノルウェイで最大規模のソグネフィヨルドは内陸に200㎞以上も切り込む狭い水路を形成し、その水深は1400m、断崖の高さも1000mを超える。右は米国カリフォルニア州のヨセミテ渓谷だが、U字谷の半分まで水没した風景を想像すれば分かり易いだろう。

地球は寒暖のサイクルを繰り返してきたが、寒冷化が起きるメカニズムはまだ解明されていないらしい。北半球の氷河地形は300万年前に発達した氷床が拡大と後退を繰り返して岩山からU字谷を削り出したもので、約1万年前に氷期が終息してU字谷が露出、海面上昇で溺れ谷になったと考えられている。地球が寒冷化のサイクルに入って次の氷河期が訪れるのは5万年先とか。数十万年後の地球に新たな造形が現れることになる。(「地学」は変化の単位が「万年・億年」、そのアバウトさが非理科系の小生の興味を誘う。)

オスロから国内線でベルゲンに飛ぶと、右側の窓からフィヨルドの景観がよく見える。ベルゲンからバスで北上し、ソグネフィヨルドを目指す。6月でも標高1000mの台地は雪に覆われ、休憩でバスを出ると冷涼な空気が肌を刺す。このあたりの緯度(北緯60度)はアラスカやグリーンランドとほぼ同じ、もうちょっとで北極圏(北緯66度33分)なのだ。


オスロからベルゲンに飛ぶ機上から。フィヨルドが岩山に深く切り込んだ様子がよく見える。6月でも台地は雪深い。
バスでベルゲンからソグネフィヨルドに向かう。途中のヴォスで休憩。
道路脇に雪壁が残る。
道路脇の湖も凍結したまま。

バレストランドはソグネフィヨルド北岸の小さな集落だが、観光の拠点で立派なリゾートホテルがある。夕着朝発の日程ではもったいないが、短い旅ゆえ仕方がない。フィヨルドの北岸を東へ2時間ほど走り、最奥部に近い入り江でフェリーに乗船、静かな水路を西行する。冷たい風をガマンしてトップデッキに立ち、両岸から断崖絶壁が迫る景観にシャッターを押し続けたが「これぞ」というコマがない。フィヨルドを海面から見上げて撮っても(小生のウデでは)大自然の迫力は写真に写らない。やはり大自然の造形は高い場所から撮った方が画面に収まりやすいようだ。

ソグネフィヨルドから凸状になった支湾のヴィク村。右の岬の先端からフェリーで対岸のバレストランドに渡る。
バレストランドの入江。
バレストランドからフィヨルドの夕暮れ。対岸に上の写真を撮った峠とヴィク村のU字谷。
バレストランドの集落。民宿風のコテージが多い。
小さな教会(上の写真の中央を裏から撮った)。
バレストランドのリゾートホテル。故橋本首相も泊まったとか。
定期フェリーで静かなフィヨルドをクルーズ。
フィヨルドの最奥部。
上陸して峠越え。U字谷の最奥部は水没を免れた垂直の岩壁がそそり立つ。
フラムからミュルダルまで急勾配の鉄道が走る。
列車の両端に強力な電気機関車が付く。
途中の観光ストップ。滝壺で「やらせ」のパフォーマンス。
ミュルダルでオスロからの列車に乗り換えてベルゲンへ。

ベルゲンはオスロに次ぐ第二の都市で人口は27万。13世紀にノルウェイの首都で、北ドイツの都市と共にヨーロッパ北部の経済圏を支配したハンザ同盟の都市でもあった。当時の面影を残すベルゲン港周辺の旧市街(世界遺産)の木造建築は度重なる火災で再建されたもの。

旧市街の夕暮れ時。
フロイエン山のケーブルカー終点から。
ハンザ同盟時代のドイツ人地区を再現したブリッゲン地区。
ブリッゲンの一画で幼稚園の子供たちに出会った。
木造の教会。
教会の内部。

デンマーク (撮影 2000年6月)

デンマークはヨーロッパ大陸から北に突き出たユトランド半島に位置する。スカンジナビア半島の3国と一緒に扱って良いのか迷ったが、歴史的に関わりが深く(攻めたり攻められたり)、福祉国家としての国の姿も似ている。小生の旅も4国一括だったので北欧レポートに入れた。

デンマークは面積が北海道の半分(デンマーク領グリーンランドを含まず)、人口(560万)は我が千葉県(620万)より少ない。経済規模(GDP3100億ドル)はさすがに千葉県(県内総生産19兆円)の1.5倍あるが、それでも神奈川県(30兆円)とほぼ同じ。北欧の国々はこの程度のサイズでも存在感があって国民の満足度も高い。個人的な好みを言えば、総身に知恵が回らない大国よりも、小粒でもピリリと締まった国の方が魅力がある。

デンマークの正式国名は「デンマーク王国」(Kingdom of Denmark)。10世紀のゴルム王に始まる現王室の歴史は、日本の天皇家に次いで世界で2番目に古いと言う。1953年の皇室法改正で男女を問わず長子が王位継承することになり、1972年に現国王のマルグレーテ2世女王が即位した。(14世紀のマルグレーテ1世はノルウェイ王妃に嫁いだが、実家の男系が絶えたため幼い息子をデンマーク王に戴冠させて自らは摂政として王権を行使した。今は実質的な王として王統にカウントされている)。ちなみに2世の夫君はフランス人の元外交官で、英語、中国語、ベトナム語は堪能だが、今もフランス訛りのデンマーク語はジョークのネタにされる由。王子にはアジア系の妃との離婚歴があるが、前妻とその子供、前妻と再婚した夫まで皇族扱いと聞く。デンマーク国民の王室に対する度量の広さには驚くばかりだが、メンドウなことは何でも棚上げする国の参考にはならないか。

コペンハーゲン中心部にあるマリエンボー宮殿。屋根上の旗は女王の在室を示す。広場の馬上の銅像はフェゼリク5世(在位1746ー1766)。

この衛兵はお飾り用ではなさそうだ。
市内の城で撮ったものだが、どの城だったのか記憶にない。
近くのローゼンボー宮殿は別荘として建てられた。周辺の公園が美しい。

スェーデンとの海峡に面したクロンボー城。シェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台と言われる。

1420年に要塞として築かれ、峡を通行する船舶に通行税を課した。現在の城は1629年の火災後に再建されたもの。

クロンボー城の内部。
郊外のフレデンスボー宮殿。1720年にスウェーデンとの戦争終結を祝って建てられた。今も夏の離宮として使われている。
衛兵の交代式に間に合った。
宮殿前の貴族の館を改造したレストラン。

着陸前アナウンスで早口の「クプハウ」が「コペンハーゲン」のこととは知らなかった。「コペンハーゲン」はドイツ語読みが英語に転じたもので、デンマーク語の「クプハウ」は「商人たちの港」に由来するという。良港ゆえに争奪戦の歴史が重なり、17世紀にスウェーデン軍に包囲され、19世紀初頭には英国艦隊との戦闘があり、ナポレオン戦争でも英軍の干渉を受けた。第二次大戦ではドイツ軍に占領され、終盤でドイツ軍を排除のためデンマーク軍が自国船を沈めて港湾封鎖した。ヨーロッパの国や都市は夫々激しい歴史をかいぐった経験を持つ。それが良い意味でも悪い意味でも夫々の国民や市民の血に「オトナ」のDNAを書き込んだような気がする。

コペンハーゲンはベニスを思わせる「水の都」。運河を巡る遊覧船で見物する。
人魚姫像は雰囲気ゼロのゴタゴタした場所にあるのはちょっと意外。
旧証券取引所の螺旋状の尖塔。

どこで何を撮ったのか、思い出せない。

フレデリック教会のドーム。
チボリ遊園地。19世紀に作られたテーマパークの先駆。
通勤列車も機関車が引っ張る。
連結部にゴム製の圧着ホロがある特異な面構えの通勤電車。

アンデルセンの童話にちなんだ像と思われる。

城塞内の兵舎は一般のアパートとして解放されているようだ。
旅の終わりに瑞雲が現れて、また来いよ、と言われたような気がした。