当ホームページをご覧になって、若い頃から海外を遊び歩いていたと思われるかもしれないが、残念ながらそういう身分ではなかった。最初の「海外旅行」は、会社勤めも終盤の1993年で、行き先は今回レポートのスイス。それ以前に家族帯同で「海外駐在」経験はあったが、任地は仕事と生活の場であって、「旅行」の気分ではいられない。加えて当時は長期休暇など望外で、子供連れで遊び歩けない事情も、国内勤務と同じだった。

スイス旅行は二度目の米国駐在中だったが、この頃になると日本流「会社人間」は全否定され、イヤでも休暇を取らされ、任地外の旅行もOKになった。加えて、子供と親の面倒から解放された妻を慰労するタイミングでもあった。そんな条件が重ならなければ、スイス旅行など思い立たず、海外旅行の面白さを知ることもなかったかもしれない。

スイス旅行でもう一つ「開眼」をした。山歩きの楽しみである。百名山のページでも白状したように、それまでハイキングもしなかった我々が、百名山を完登することになった動機は、スイスで味わった山歩きの爽快さだった。スイスに着いてから山歩きを思い立ち、山靴を買って初心者コースを歩いた。アルプスの名峰を眺めながら、花々の咲き競う天空の山路を行く心地は、この世のものとは思えない。人間は臨死体験で、深山の花園を行く自分の姿を見ると聞くが、予告編を見てしまったのかもしれない。

(写真と内容は1993年当時のものです。写真はスライドフィルムをデジタル処理しました。)


ルツェルン

最初の海外旅行の最初の訪問地が、「中世の玉手箱」と呼ばれるこの町。チューリッヒ空港から列車でルツェルンに直行し、駅からホテルまで歩いた。二つの尖塔を持っゴシックの寺院、15世紀の木造の橋や城壁など、中世の匂いが街に溢れ、ヨーロッパに来たぞ!、という実感があった。湖に影を映すピラタス山の、悪魔が棲むような姿も忘れ難い。

史跡の一つに「嘆きのライオン」像がある。フランス革命の際、宮廷の傭兵として戦い、786人全員が虐殺されたスイス人兵士を悼んで造られたという。言うまでもなく、傭兵はオカネで雇われた外人部隊。スイス人傭兵の勇敢さと戦闘能力はヨーロッパで定評があり、18世紀までスイスの「花形輸出産業」だった。文字通りの命がけの商売が、当時のスイスの貧しさの象徴だったとも言える。

以下余談。国連が傭兵禁止の条約を採択したのは1989年だが、締約国は32カ国に留まり、国家が税金で外人部隊を雇う所業は今も続く。米国がイラク戦争で民間軍事会社を起用したのも、現代型傭兵の一種だろう。日本は「おもいやり予算」の名目で、某国軍のために年間2千億円余を支出しているが、これが「傭兵」の範疇かどうかはともかく、「抑止力」の核心のように聞こえるのは、議論が逆立ちしている証拠のような気がしないでもない。

城壁の上から眺めたルツエルンの歴史地区。
湖上からみた歴史地区
フィアヴァルトシュテッテ湖畔のホテル。(ドイツ語の地名は頭に入らない)
カぺル橋。1333年建造の木造橋だが、我々が訪れた直後に放火で消失。その後復元再建されたと聞くが、欄間の絵も復元されただろうか。
シュプロイヤー橋は1408年建造。橋上の礼拝堂と欄間の骸骨の絵が有名。
「嘆きのライオン像」(上の記事参照)。
朝の湖。遠くにアルプスが見える。
船着き場から市街。
ピラタス山。登山電車で山頂に登れるが、時間切れで行きそびれた。
ルツエルン中央駅。チューリッヒとインターラーケンを結ぶ鉄道の要地。広軌の幹線と狭軌の山岳線の乗換え駅でもある。

スイス交通博物館

近頃は鉄道ファンのことを「鉄ちゃん」と呼ぶらしい。小生も「小鉄ちゃん」程度の興味はあり、以前は旧国鉄車両など一瞥で型式名や仕様を言えた。昨今は鉄道車両も「草食系」になって興味を失ったが、野武士のような車両に出会うと気もそぞろになる。このレポートが「鉄ちゃん」風なのには、そんな背景があるのです。

ルツェルンにヨーロッパ屈指の交通博物館があると知り、短い滞在時間を割いて見学した。初期の蒸気機関車など、鉄道ファンならずとも興味を惹かれる車両がところ狭しと並んでいるが、スイスの花形は電気機関車。鉄道は軍事施設としても重要だが、石炭も石油も出ないスイスでは、自前のエネルギー源は水力発電しかない。この為、早くから電化が進められ、急峻な山岳路線で重貨物を引く電気機関車(EL)が造られた。その迫力は蒸気機関車(SL)に優るとも劣らない。

       
初期のSL。木製の保温カバーが珍しい。
20世紀初めに造られた重量感あふれるEL。
ELのカットアウト。中央の巨大なモーター2基からロッドで車輪に動力を伝える。
クロコダイル(鰐)と呼ばれる中央運転台型のEL。
ロータリー式除雪車。小生が子供の頃、飯山線でも活躍していた。
初期の登山用EL。三相交流駆動のためパンタグラフが2式ある。

いざ、グリンデルヴァルト へ

ルツェルンからアルプスの景勝地グリンデルヴァルトに向かう列車の旅も、「小鉄ちゃん」をワクワクさせてくれた。動力分散型の電車・気動車化を推進した日本と違い、ヨーロッパでは機関車が客車を引く伝統的な列車スタイルが主流で、鉄道ファンには後者の方が面白い。ウンチクは省くが、スイスの鉄道は高性能ELと軽量客車の宝庫なのだ。この路線には急坂のラック区間があり、前方の客車に乗ると、機関車の歯車がラックを噛む音が聞こえる。インターラーケンからグリンデルヴァルトまではBOB鉄道の電車区間だが、強力な電動車が付随車を引っ張る列車のような編成で、急坂をグイグイ登る。

終点のグリンデルヴァルト駅周辺にはホテルや郵便局などが並ぶ市街地だが、メイン通りを抜けたとたん、日本のスキー場の民宿街を思わせる田舎くさい風景になり、これが世界に冠たる観光地?と不思議な感じがする(20年近く昔のことだが)。大規模化を規制して自然環境を保全しつつ、価格破壊を避ける戦略があるのだろう。

 
     
ルツエルン駅で発射を待つ。先頭はラック区間兼用のEL.
色とりどりの客車を引く重連の機関車(ラック区間用の歯車を装備)。
客車の窓下のテーブルに貼られた鉄道路線図。
いかにもスイスらしい風景が車窓を流れる。
氷河が削り出したU字谷のグリンデルヴァルト。ヴェッターホルンが印象的。
山荘風のホテル。これでもグリンデルヴァルトでは最大級。

グリンデルヴァルト周辺図(鉄道路線はラフな概念図)

ユングフラウヨッホ

ユングフラウの観光開発が始まったのは1870年。日本の明治維新である。事業申請には、大口径の鉄管に人間を乗せたカプセルを入れ、圧縮空気で押し上げる奇抜な案もあったという。民間のベンチャー事業ゆえ、技術の裏付けと資金集めが鍵で、既に実績のあったラック式鉄道に免許が下り、1898年にアイガーグレッチェルまでの2kmが開通した。その先はメンヒとアイガーの胴内に7.5kmのトンネルを穿つ大工事で、加えて電化用の発電所建設も必要だったが、資金調達が順調に進み、1912年8月に標高3454mのユングフラウヨッホまで全線開通。日本で明治天皇が崩御した年である。

100mで25m登る連続急勾配は登山道でもキツい。自動車なら下りでブレーキが焼きつくが、3相交流の同期電動機で定速走行するメカで難問解決。鉄ちゃんなら思わず「アタマイイ!」と叫びたくなる。アイガー北壁にトンネル掘削の岩屑を捨てた穴が残っていて、途中停車して北壁を覗き込ませてくれるのも面白い。北壁登攀中の今井通子を撮った写真も飾ってある。

終点ヨッホ駅の洞窟を出ると、メンヒの氷壁とユングフラウの雪田が迎える氷雪の世界。岩壁に巧みに隠された展望ビルから眺めるアレッチ氷河の景観は天下一品だが、氷河トンネル内に彫った富士山や横綱の氷像は、たぶん日本人業者の仕業だろうが、バチガイな異物を同朋客が喜ぶと考える神経はいかがなものか。

グリンデルヴァルトの町外れを行くWAB鉄道の登山電車。動力車と付随車の2両連結で、線路中央のラックを噛みながら走る。
ユングフラウ鉄道の分岐点、クライネシャイデック駅
クライネシャイデックで発車を待つ。
クラシックな車両は臨時列車で出番があるらしい。
アイガー北壁に残った岩屑の捨て場から垂直の氷壁を覗きこむ。
ユングフラウヨッホ展望台からアレッチ氷河の眺め。
メンヒの氷壁。
展望台のビルは岩壁内に巧みに造られている。
氷河をくり抜いた遊歩道に日本人観光客向けの氷彫刻。サービスのつもりだろうが、興ざめ。

フィルスト~バッハアルプ湖 天空のハイキング

早朝にホテルを出ると、冷たい霧雨が降っていた。日頃の行いを反省しつつゴンドラに乗ったが、終点のフィルストで雲海を抜け出た。雲上のアルプス名峰の揃い踏みを見て、ヤッパリ神様は我々の味方だと思った。

フィルスト~バッハアルプ湖のハイキングは、グリンデルヴァルトのU字谷越しに、ベルナーオーバラントの名峰群と平行して歩くルートで、まさに「天空のハイキング」と呼ぶにふさわしい。おまけに7月初旬は高山植物の花盛り。日が高くなるにつれて霧が晴れて展望も欲しいままで、冒頭に書いたように「この世のものとも思えぬ」心地だった。

歩き始めて3時間ほどで終点のプス・アルプに到着。バスを待つ間にスイス風ランチと常温ビールを楽しんだ。スイスの山村を走るバスは「郵便バス」で、郵便物運搬のついでに乗客を運ぶ。日本では「役所の管轄」が違う郵便業とバス業の一体化は考え難いが、過疎の村を廻る郵便車に高齢者を便乗させれば、郵政民営化のサポーターが増えるかもしれない。

  
 
フィルストでゴンドラを降りると雲海の上。アイガー北壁のピラミッドが目を惹く。
歩き始めると霧がドンドン晴れ、4千m級のベルナーオーバーラントの名峰群が全貌を顕す。
アイガー北壁を眺めながら花の山道を歩く。
山上のバッハアルプ湖はシュレックホルン(4078m)の姿見鏡。
ユングフラウはこの角度が最も迫力がある。
アイガーを眺めながらゆっくり歩く。
山上の放牧地(アルプ)。羊や牛がのんびりと草を食む。
ブス・アルプに郵便バスが登って来た。
グリンデルヴァルトまで郵便バスで30分ほど。

メンリッヒェン展望台

ハイキングから午後の早い時間に戻ったので、メンリッヒェン展望台に出直した。冬はスキー場になる放牧地の上をリフトで高度を上げるにつれ、視線がアルプスの峰々と水平になる。終点から10分ほど歩くと、アイガー北壁と真正面に向き合う展望台に着く。更にクライネシャイデックまで歩く道もあるが、「小鉄ちゃん」の虫がうずき、ロープウェイで反対側のウェンゲンに下って、乗り残した登山電車に乗車した。

午後の雲をまとい始めたユングフラウの裾を縫うように登り、最高点のクライネシャイデックに到着。少し散策して、グリンデルヴァルトに下る電車に乗る。モーターの発電ブレーキの唸りが何とも言えない。客が多いと、あたかも増発バスを出すように、2両編成の電車を数珠つなぎで運行する。250/1000の急勾配だが、車間距離は10m足らず。運転手は乗客と軽口を交わして気軽にやっているが、車両の信頼性と運転技術に絶対の自信があるに違いない。

 
グリンデルヴァルトの町外れから長いリフトでメンリッヒェンに登る。
グリンデルヴァルトが一望の下に。
メンリッヒェン展望台からアイガーとユングフラウの眺め
岩登り屋憧れのアイガー北壁は標高差1845mの垂直の岩壁。
ユングフラウの上部
メンリッヒェンからロープウェイでウェンゲンに下り、登山電車を待つ。
クライネシャイデックに登る電車。ユングフラウが真正面に。
メンヒの斜面に貼りついたユングフラウ鉄道の最初の開通部分。
クライネシャイデックからグリンデルヴァルトに下る電車。

後篇に続く