ツール・ド・モンブラン(TMB) に行ったと聞いて、トレイルランのレースに参加したと勘違いした友人がいる。同じモンブラン一周でも、トレイルランは全行程166Km・累積標高差9400mを昼夜兼行で走り抜ける超人レースで、トップランナーは22時間台で走破するらしい。これはもう「天狗様」の早駆け競争で、コース半分を乗り物でキセルして1週間を要したシルバー登山隊と混同しては、バチがあたる。
そんなノンビリ行程でも、TMBを終えての感想は「けっこうハードだった!」。6泊7日で歩いた距離は86.4km、登った累積標高差が5300m。我々がこれまで経験した最もハードな山旅は、2009年の北アルプス黒部源流縦走で、山中4泊5日、歩行距離50Km、累積標高差2800mだった。1日平均で比べても、TMBは12㎞・757m、黒部源流縦走が10㎞・560mとなり、TMBの方がキツい。「けっこうハード!」は、気のせい・齢のせいではなかった。
北ア縦走よりハードなTMBだが、山頂に立つ機会は無い。思い出してみると、ニュージーランドや北アメリカのトレッキングコースも「山中歩き」で、ピーク登頂がない。日本人の登山者は何が何でも頂上に登りたがるが、彼等(欧米トレッカー)は自然と一体になれればハッピーで、山頂征服には無関心らしい(プロの登山家は別として)。民族の特性として、欧米人は征服したがり、日本人は調和したがるとよく言われるが、こと山登りに関する限り逆なのは、何故だろう。
もう一つ日本との違いを挙げれば、トレッカーの年齢層。日本では圧倒的にリタイア族(60歳以上)だが、欧米では殆どが現役世代(30~50歳代)。独断と偏見で言い切れば、現役世代の「ゆとり」の差は、「社会の豊かさ」の差ではないだろうか。山歩きは少しでも若くて体力がある内の方が楽しいし、リクリエーション(再生産)として社会にプラス還元されるものも多いが、現役世代の「ゆとり」は、物心共に豊かな社会でなければ生まれない。日本はGDP値の豊かさでは欧米に追い付いたものの、それを社会の豊かさ(ゆとり)に転じそこなった。その責任の大半は我々の世代が負わねばならぬが、それを忘れて遊び呆けてばかりで、スミマセン。
朝起き上がると、前日セーニュ峠でギクッとした左腰に違和感がある。小屋周辺の写真散歩には支障無いが、重いザックと長い下りが不安。小屋の朝食はフランス側と同じ「コンチネンタル」だが、昼弁当にライスサラダが入るのがイタリア流。小屋のトイレは水洗式だが数が少なく、それも男女共用なのは少々意外(TMBの小屋はどこも同じ)。それなのに、出発前のトイレが日本の山小屋ほど混雑しないのは、何故だろう。
前号でアルプスと戦争について記したが、エリザベッタ小屋にもその痕跡があった。一つは敷地内の半壊した兵舎風の建物で、第二次大戦時の監視所跡と思われる。小屋の補給用車道も元は軍用に拓かれたものだろう。もう一つは2011年11月3日と日付けのある真新しいレリーフで、1946年11月にグラシエ針峰で墜落した米軍B-17爆撃機の搭乗員8名の名が刻まれている。大戦後に駐留した米軍機が遭難したものだろうが、事故から65年を経て戦友がこの地を慰霊に訪れたのだろうか。遭難者名に当時の軍の階級(大尉・軍曹など)を付けてないのは好ましい。
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小生が下りが不得意なのは成長期に「体育」を忌避したバツで、図体に比して心肺機能と筋力が乏しい。例えて言えば、軽自動車のエンジンと足回りに大型車のボデイを載せたようなもので、登りはエンジンを吹かしてローギアで休み休み行けば何とかなるが、下りは大腿四頭筋の制動力不足でブレーキが利かず、ヨタヨタして転倒する。モンブランとグランドジョラスを左に見ながらの長い下りは、重いザックと腰痛も加わって、せっかくの眺望を楽しむどころでなく、傍目にもミゼラブルだったに違いない。
やっとの思いでクールマイユールを眼下に望むレストランにたどり着いたが、昼食後に更に標高差800mの下りが待っている。暗い顔で食事をしていると、ガイドから救いの声がかかった。隣のテーブルのフランス人グループが呼んだ四駆タクシーに空席があるので、便乗させてもらってはどうかと言う。渡りに舟とはこのことで、午後の苦行を免除してもらったおかげで、TMBを中途でリタイアせずに済んだ。
5日目はバス終点のアルヌーバ(1789m)から登り始め、イタリア・スイス国境のフェレ峠(2531m)を越え、スイス側の谷あいの村ラ・フリ(1593m)までの16Kmを歩く。峠越えと長い谷歩きの一日だが、超望遠レンズや防寒具などの重量物をクールマイユールからシャモニに送り返したので、背中のザックはウソのように軽く、腰痛も爆睡でほぼ解消。
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夕食がスイス名物「フォンデュ」と聞いて期待したが、出てきたのは溶かしチーズの鍋とパン切れのみ。「これだけ?」の声もあったが、フォンデュは元々が古くなって味の落ちたチーズを処分する家庭料理で、我々が残り味噌汁に冷や飯をぶち込んで雑炊にするのと似ていないこともない。日本には「雑炊」を目玉にする小料理屋もあるから、スイスの「フォンデュ」を責めるわけにはゆかない。
いよいよTMBも終盤。6日目はアルペッタ小屋(1800m)からフォルクラ峠(1526m)を目指す。小屋の裏庭から見えるフネートル・ダルベット(2665m)を越えて直行するルートもあるが、急峻で残雪が多くシロウトではムリとのこと。北側の山裾をグルリと迂回する16㎞のルートを歩くが、アップダウンのある長丁場で、迂回路と言ってもイージーではない。
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夜はシャモニのフランス料理屋で打上げパーテイ。平均年齢ほぼ古稀のメンバー13人、「これを冥土のみやげに」などと考える人は一人もおらず、帰国してすぐ山登りや別の旅行に出かける予定の人ばかり。シニア世代の元気を生産活動に振り向けると、現役世代の仕事を奪うことになると心配する向きもあるが、やっぱりモッタイナイ。
一行は7月2日にシャモニ観光、7月3日早朝に帰国の途についたが、我々2人は2日朝から別行動、1週間延泊してクールマイユールとシャモニを起点に追加トレッキングと写真撮りを楽しんだ。続々編でレポートします。