1週間足らずの旅で英国を云々するのは気が引けるが、古い写真を眺めて思った。英国は陰鬱だ。暗いのには気象的な根拠がある。英国が位置する緯度はカムチャツカやアラスカと同じで、太陽光の地面への入射角が低い。そのため光量が日本の半分しかなく、写真を撮るには、絞りを1段階開くか、ISO感度を2倍に設定する必要がある。最近のカメラはオートで補正してくれるが、それでも暗さは画面に表れる。
緯度は北極圏(北緯66度33分)に近いが、暖流に囲まれているので、気温はそれほど下がらない。そのかわり湿気をたっぷり含んだ空気が流れ込み、1年中厚い雨雲が空を覆って、英国の陰鬱に拍車をかける。
人間は皮膚に日光があたらないとビタミンDを作れない。乏しい太陽光を目いっぱい取り込む為に、この地域に住む人たちの肌はメラニン色素を失い、白く透明になった。「肌が白い分だけハラが黒い」と英国人の悪口を言う人がいる。小生が付き合ったのは北米に移民した英国系の人たち(アングロサクソン)だが、「ハラ黒い悪党」には出会わなかった。しかし「ハラの底が深くて見えない」人は少なくなかったような気がする。
「ハラの底が深い」のは気象環境のせいではなく、歴史が作った「文化的特性」だろう。小生は歴史オンチを自認するが、特にヨーロッパの歴史は苦手。登場人物や出来事が多い上に、流れが交錯して頭に入らず、要するに「権謀術策が渦巻き、侵略に明け暮れた血なまぐさい歴史」と乱暴にくくっている。
中世ヨーロッパで後進国だった英国は、近世になって世界最強国にのし上がった。植民地経営で大英帝国を築き、産業革命で最強の工業国になったのだ。そんな修羅場をくぐった人たちの子孫に、「ハラの底」を見せない処世術が伝わっていても不思議はない。「ハラを割る」ことを美徳とする民族には、そんな気質が「陰鬱」と感じられることがある。
中世ヨーロッパの歴史は、王家間の政略結婚で動いたらしい。スコットランド王国の基盤を固めたジェームス4世(在位1488-1513)はイングランドの王女と結婚し、それまで同盟国だったフランスと戦う破目になる。その子供のジェームス5世(1513-1542)はフランス貴族の娘と結婚。生まれた王女は生後6日目で即位し、メアリー1世(1542-1567)になる。幼少時に母の実家のフランスで育ち、ゴチゴチのカトリック教徒としてスコットランドに戻ったメアリーは、宗教改革で力を得つつあった新教徒を大虐殺し、自らはエリザベス1世暗殺未遂の疑いで首を刎ねられた。ウオッカとトマトジュースのカクテルを「Bloody Mary」(血まみれメアリー)と呼ぶが、その由来は、虐殺メアリー、打ち首メアリーのどっちだろうか。
イングランドの処女王エリザベス1世には子がなく、メアリー1世の息子ジェームス6世がイングランド王を兼ねた。それが1707年の両王家合同・グレートブリテン王国誕生につながり、主導権がイングランドに移る。外様にされたスコットランドは大英帝国の繁栄から取り残され、産業革命で格差は開くばかり。スコットランド人の反骨精神が呼び覚まされ、独立運動は今も執拗に続く。スコットランド人のブレアを首相にして独立運動のガスを抜いたとの説もあるが、王家の都合で被支配民族にされた人たちの「歴史的わだかまり」が、その程度で消えるとは思えない。
エジンバラは日本の金沢を彷彿させる。晴れ間の少ない気象だけでなく、人口(47万と46万)や首都からの距離感(鉄道で5時間、飛行機で1時間)がほぼ同じ。分厚い歴史があり、強大な藩主がいて独自の文化を持ったことも似ている。顕著に違う点は、現在の金沢駅前は21世紀だが、エジンバラ駅前は19世紀。何しろ「新市街」が「18世紀後半の区画整理で開発された地域」というのだから、古色蒼然は半端でない。
高緯度の夏は日の出が早く、朝飯前の散歩で写真が撮れる。5時前にホテルを出た時は薄暗い街路が雨に濡れていたが、10分程歩いてカールトンヒルに着いた時は雲が薄れ、不気味な朝焼けになっていた。
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小鉄チャンは何をおいても駅を見たい。外国の駅は切符なしでホームに入れるのが嬉しい。ホームの高さが客車のデッキと水平なのは英国系の特徴だ(日本も英国系。大陸や米国の駅のホームは低い)。ロンドン行き特急の発車時間が近いが、ホームは閑散。特急の乗車定員が250人程度だから、発車ホームが混雑しないのも頷ける。日本では定員1500人の新幹線が数分おきに走るが、これは極端な中央集権・一極集中の証拠で、あまり自慢できることではない。
ロンドン特急は10分遅れで発車。先頭のディーゼル機関車がSL(蒸気機関車)顔負けの黒煙を盛大に噴き上げ、重々しく動きだした。この特急は1963年まで「フライング・スコッツマン」が引いていた筈。1923年建造の大型SLで、3シリンダーと直径2mの動輪を持ち、時速160㎞で走ったと言う。見たかったなあ・・・
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ちなみに、エリザベス2世の夫君フィリップス殿下の称号は「エジンバラ公爵」(Duke of Edinburgh)。うかつにも旧エジンバラ領主の末裔と思い込んでいたが、念のため調べたら旧ギリシャ王国第2代国王の孫だった。幼少時にクーデターに遭って命からがら祖国を脱出し、英国の海軍士官になって1947年に帰化。英国王室に婿入りし、妻のエリザベス2世戴冠で「エジンバラ公」の称号を授けられた。家系をたどるとヴィクトリア女王の曾孫で、デンマークの王子でもある(継承権は放棄)。こうなると「万世一系」の王室を頂く国の民の想像力では追いつけない。
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1ドル360円だった頃、スコッチはあきれる程高価で、自分のカネで飲める酒ではなかった。ある時先輩の出張土産の「ジョニ黒」を拝飲し、うっかり「値段ほどじゃないですね」と口走って、座をシラケさせたことがある。その時は自分の軽口と味覚の未熟を恥じたが、後に何かの雑誌で「ジョニ黒は2級品」と書いてあったのを読み、溜飲を下げた。
嗜好品には「こだわり」が欠かせない。高じると独りよがりに陥るが、賢くこだわれば価値が高まることがある。スコッチ製造の場合、原料や醸造・蒸溜・熟成の技術もさることながら、「ブレンド」(混ぜ合わせ)の技が何よりも重要という。
ウィスキーの原酒はクセが強く、且つ時々の出来具合で味が変わる。蔵元は熟成した数種の原酒をブレンドして飲み易い味わいを創り出し、それを安定的に再現するブレンド技を磨くことによって商品価値を維持するのだ。この辺の機微はヨーロッパ王室のしぶとさに通じるような気がしないでもない。
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