日本百名山を登り終えたと言うと、山のベテランと勘違いされ、冬山はどちらへ?などと聞かれることがある。毎度の言いわけで恐縮だが、深田久弥の時代はいざ知らず、近年の百名山は「登山」というよりも「山歩き」で、夏のシーズン中に登る分には、特別な体力や登山技術は要らない。北アルプスの峰でも小学生や米寿の登山者に出会うし、昨今は初々しい「山ガール」の単独行も増えている。

だが冬山となると話は別で、冬の日本アルプスの危険度はヒマラヤと同等と言われる。危険の元凶はシベリヤからの季節風で、日本海で水蒸気をたっぷり抱え込み、日本列島の脊梁山脈で豪雪を落とす。気温は標高100m上がる毎に断熱膨張で0.6℃低下し、加えて風速1m毎に体感温度が1℃下がる。冬のアルプスは−40℃の世界で、天候は急変し雪崩も予測しきれない。我々のように還暦を過ぎて山歩きを始めたシロウトの冬山登山など、もってのほかなのだ。

とは言え冬山の美しさは格別で、山の写真の対象としてこの上もない。その道のクロウトは重装備で雪山に挑むが、シロウトにも全く手が無いわけではない。乗り物で行ける山やスキー場でも、けっこう冬山らしい風景に出会えることがある。乗り物の運行時間の制約で、山の写真定番の夜明け・日没時の撮影は諦めるしかないが、楽をしてプロ並みの絶景を撮ろうというのはムシが良すぎる。シロウトは身の程の範囲で楽しめば良い。

とか分かったようなことを言うものの、小生はその「楽な努力」さえ滅多にしない。グータラを恥じるのみだが、今回はその数少ない冬景色の撮影レポートである。


美ヶ原 (撮影:1998年1月、2011年1月24〜25日)

日本百名山に数えられる美ヶ原は信州一円の山を見渡せる展望台。山頂(標高2034m)に通年営業のホテルがあり、真冬でも送迎バスが松本駅から玄関先まで行ってくれる。冬の泊り客の大半は「撮り天狗」のグループのようで、小生が所属する会も何度か冬季撮影会を催したが、小生は1998年、2011年の2度参加した。

1998年は記録的豪雪と重なって交通機関がマヒ。小生は1日遅れで松本にたどり着き、宿の雪上車で山上の仲間に合流できた。翌朝は前日までの荒天がウソのような「記録的好天」で、展望は欲しいままだったが、当時の機材とウデは今以上にお粗末で、2度とないチャンスをモノにしきれなかった。この折の成果は「百名山・関東甲信編」の「美ヶ原」に掲載済だが、以下6コマを追加する(スライドフィルムをデジタル化)。

猛吹雪をついて雪上車で美ヶ原山頂に到着。
翌朝はウソのような快晴。名物の霧氷と北アのツーショット。
陽が出ると霧氷は落ちてしまう。遠景は穂高から槍への稜線。
信越五山の内、焼山、火打山、妙高山、飯縄山。
早朝の好天は朝食後に崩れた。足元を雪煙が舞い始めると…
あれよという間に雲高が下がりホワイトアウト(真っ白け)。

2011年1月の撮影会はデジカメを買い換えて勇躍参加。山上のホテルも改築されて里の温泉旅館のように快適になっていた。昼過ぎにチェックイン、宿にバスをお願いして、山頂から少し西に下って定番撮影ポイントの「王ヶ鼻」に三脚を据えたが、肝心の北アルプスは雲の中。日没間際まで粘ったものの成果はイマイチだった。

王ヶ鼻から。霧ヶ峰の先に富士山が霞む。
北アルプスの眺望はNG。
王ヶ鼻の石仏群。
撮るものがなく辺りの雪原を徘徊。深い雪の中に春の芽吹きが始まっていた。
ウサギの足跡にも命の温もり。
日没直前まで王ヶ鼻で粘る。
蓼科山が夕陽に浮かぶ。
南アルプス、左から甲斐駒、北岳、間ノ岳、仙丈岳。
もう撤退しなければ・・・
王ヶ頭の無線塔。
夕食後、宿の外で新調カメラの高感度モードをテスト。

翌朝、お目当てだった樹林帯の霧氷はゼロ。近頃は温暖化で滅多に付かなくなったという。北アルプスも雲の中で、「絵になる風景」を求めて極寒の雪原をウロウロ。灌木に付着した氷片が太陽光を反射して豆電球のように光るのが面白いが、写真には思うように写らない。ふと顔を上げると「太陽柱」が現れているではないか!空気中の水蒸気がダイヤモンドダストになって太陽光を散乱させる現象で、滅多に見られないという。山頂に走りながらシャッターを押し、数コマ撮ったところで太陽が雲に隠れて太陽柱も消えた。何とか間に合って、手ぶらで帰らずに済んだ。

日の出を待つ富士山。
浅間山に小さな噴煙。
朝日に豆電球の如く光る氷片。写真にはうまく写らない。
突然「太陽柱」が現れた。
雪道を駆け登って撮影、この直後に消滅。
欲求不満だった「撮り天狗」達の置きみやげ。

蔵王 樹氷原  (撮影: 2011年2月15日)
蔵王の樹氷が近年になく見事と聞きつけ、天気予報を確かめて出かけた。昔は蔵王温泉の宿の確保に苦労したものだが、近年は当日でもゲレンデ直近の宿が取れる。利用者は有り難いが観光業者はさぞ頭の痛いことだろう。

樹氷は雪塊ではない。空気中の過冷却の水蒸気が樹林にぶつかって氷結・成長したもので、生成には地形と気象に微妙な条件が必要。世界でも数か所でしか見られない珍しい現象で、蔵王樹氷原の場合、シベリア季節風が運んだ水蒸気が西の朝日連峰で豪雪となって落ち、残された適量の過冷却水蒸気が蔵王地蔵山西斜面のトドマツにぶつかって出来る。その樹氷原はスキー場の東側にあり、ゲレンデの最上部から見物できる。以前は地蔵山頂へのロープウェイの運搬能力が低く、整理券の獲得が至難だったが、近年ゴンドラ式に換装されて待ち時間が格段に短くなった(蔵王温泉からロープウェイを乗り継げばスキー無しでも登れる)。

早めに宿をチェックアウトし、スキー場東端の黒姫リフトから地蔵山頂行ロープウェイに乗り換え、終点でスキーをはいて地蔵山頂に登った。評判どおりの見事な樹氷原に加え、西の朝日連峰・月山や南の吾妻連山の眺めもバッチリ。ゲレンデ脇の樹氷原にもスキーを乗り入れて撮ることができた。久しぶりの本格スキーだったが、まだ中級ゲレンデで頑張れると確認できたのも収穫だった。

  @〜Cは撮影場所を示す。@黒姫リフト終点、Aゴンドラ終点、B地蔵岳山頂、C樹氷原コース
@黒姫リフのト終点。この辺りから樹氷原が始まる。
A蔵王ロープウェイ終点の駅舎から。
A駅舎から地蔵山頂を見上げる。
A駅舎横のお地蔵さんは肩から下が雪に埋まっていた。
Aの上部から地蔵山の北西斜面を見る。
B地蔵山頂(1736m)。
B樹氷の出来方の見本。風上側にエビの尻尾が成長する。
B地蔵山北面の樹氷原。
B地蔵山頂から南の吾妻連峰方面の眺め。
B月山(1984m)
B朝日連峰(中央ピークが主峰1879m)。この山脈が余分な水蒸気を雪にして落とし、蔵王に適量の過冷却水蒸気を送って樹氷を作る。
Aザンゲ坂上部のゲレンデ。
Cゴンドラ式になって輸送力が増えた地蔵山ロープウェイ。
Cスキーで樹氷原に踏み入れるとモンスターの別世界。
Cのゲレンデ下部から地蔵山。
C蔵王の主峰熊野岳(1841m)。

奥日光 戦場ヶ原・中禅寺湖 (撮影:2004年1月)
奥利根から奥日光に入る金精道路は冬季閉鎖になるが、日光側からはどんづまりの湯元温泉まで道路が開いている。我々は光徳牧場でのクロカン(歩くスキー)目的で何度か出かけた。戦場ヶ原の中はスキーかスノーシューが必要だが、道路脇を歩くだけでも日光の山と戦場ヶ原の冬景色を手軽に楽しめる。
戦場ヶ原の「貴婦人」(白樺)は冬は絵になりにくい。
戦場ヶ原を周回するクロカンのコース。不凍の池もある。
中禅寺湖東岸から男体山(ここまで車で行ける)。波しぶきで灌木がアイスキャンデイになる。
雪に埋もれた立木観音も風情がある。

白馬 八方尾根 (撮影 1997年2月)

八方尾根スキー場のゲレンデは唐松岳の東尾根に拓かれた。麓からロープウェイとリフト2本を乗り継いで終点の標高1800mに上がれば、見事な冬の山岳風景が拡がる。このルートは夏場は日本百名山の五竜岳に登る近道で、冬季もスキーなしで乗せてくれる筈。古い写真ばかりで恐縮だが(スライドフィルムをデジタル化)、冬の八方尾根にしばらく行ってないのでお許し頂きたい。

スキー場でも吹雪をついて滑ったりすると遭難の恐怖を味わう。八方の上部ゲレンデでホワイトアウトに遭ったことがある。一瞬にして視界が全く閉ざされ、自分の足元さえ霞む。白い魔物にすっぽり包まれて平衡感覚を失い、一種の閉所恐怖に陥る。この時は数分で視界が戻ったが、冬山でそんな状態が数日続いたら気が狂うだろう。標高の高いスキー場で雪に降られたら、ムリにゲレンデに出たりせず、宿のコタツで熱燗を楽しんでいる方が身のため。

リフト終点から鹿島槍ヶ岳と五竜岳(何れも日本百名山)。
鹿島槍ヶ岳(2889m)
五竜岳(2814m)
白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳(2932m)。
手前は岩岳スキー場。遠景左から焼山、火打山、妙高山。
リフトを降り、パノラマを楽しみながら長い滑走。

裏磐梯  (撮影: 2001年2月)

「山の冬景色」に含めるには躊躇があるが、心休まる日本の冬景色として加えておきたい。裏磐梯のクロカンコースでのんびり滑って桧原湖畔の温泉に泊り、部屋でコタツであたりながら氷上のワカサギ釣りを眺めた。

国民休暇村のクロカンのコースから。
キャンプ場のトイレが屋根まで埋まっていた。
桧原湖西岸の旅館の部屋から。
ワカサギ釣り。
朝の磐梯山。
五色沼からの磐梯山は違った顔を見せる

こんな冬景色も悪くない?

実は1月下旬に冬景色を撮って新作を掲載するつもりだったが、天候が崩れて取り止めた。「非本格派」冬景色写真集のEndingにこんな写真はいかが?


2011年2月、孫連れで行った蓼科ブランシュたかやまスキー場で