北海道の山歩きを思い立った理由は2つある。標高2千m前後の北海道の山が「体力相応の山歩き」にピッタリで、高山植物の宝庫「花の百名山」で花盛りを撮りたいという気分に加え、半世紀前の新婚時代に登った雌阿寒岳と黒岳にもう一度登ろうかという、いわば「センチメンタル山歩き」の気分が重なったのである。

以前も書いたが、小生幼少時の最大の苦手科目は「体育」で、走れば常にビリ、逆上がり・跳び箱ダメ、球技も常に戦力外だった。成長してからもスポーツの類は極力敬遠してきたが、そんな運動ギライが、新婚4か月の「準新婚・北海道旅行」で、タイトな旅程を割いて2つも山に登り、その後30年の空白期間をおき、60代で日本百名山を踏破。喜寿を過ぎてまだ山を歩くのは、我ながらフシギな気分がする。山歩きは「体育」の埒外で、アスリートの運動能力や筋力を要しないことを、小生が身をもって証明しているかもしれない。

今度の山歩きで、もう一つ気付いたことがある。「若い頃の記憶」のあやふやさだ。半世紀前の旅の記憶は「あの時北海道に行った」という漠たるものだが、いくつか「スポット的に鮮明な記憶」もある。例えば、雌阿寒岳の登山口でバスを降り、次のバスの時間までに山頂を往復したことや(バス停周辺のイメージも残っている)、黒岳で雪渓に寝転んで監視員に叱られ、山頂まで行かずに下山した記憶である。今度の旅行中もそんな「スポット的記憶」に疑いを持たなかったが、旅から帰ってから、それらを覆す資料が出てきた。

10年以上前になるが、古い写真フィルムをスキャンしてパソコンに入れ、昔の写真アルバムは押し入れの奥に押し込んだ(その後の不注意でデータの大半を失ったが、フィルムは処分済)。今度の旅で「準新婚旅行」のアルバムがあったのを思い出し、帰宅翌日に引っ張り出すと、旅程を記録したメモが貼ってあった。それに拠れば、雌阿寒岳では早朝に阿寒湖畔の旅館から登山口にハイヤーで乗り付け、黒岳は山頂の先の山小屋まで行っていた。寝転んだ雪渓は小屋の前だったらしい。要するに、半世紀前の「スポット的に鮮明な記憶」が事実と違っていたのだ。

自分のボケを老人一般に敷衍するつもりはないが、古い記憶がいつの間にか書き換えられ、それを事実と思い込むことがあるらしい。つまり「若い頃の鮮明な記憶」が、事実そのままとは言い切れないのだ。本件のようにどうでもいい記憶違いは人畜無害だが、「歴史的体験」を信念を込めて語ったりすると、存在しなかった「事実」で世を惑わしかねない。権力者が無思慮な放言やフェイクを意図的に流す危険な時代だが、善良な市民がマネしたら人類滅亡に向けて加速するだけ。裏付けのない思い込みで虚言・妄言することがないように、心したい。

(ご注意:本稿中の高山植物名は不正確につき、参考にしないで下さい。為念)



第1日目 (7月12日) 成田 → 新千歳 → 様似

LCCで成田から新千歳に飛んだ。拙宅に近い成田発着の便が多く、料金はJRの老人3割引よりも安い。初体験の成田のLCC専用第3ターミナルは、新築ながら鉄骨・パイプ類ムキ出しの倉庫みたいな建物で、バス・タクシーの乗り場がなく、第2ターミナルから20分歩かねばならない。ボーディングブリッジもないので、機体まで徒歩かバスで移動してタラップをエッチラ登る。最貧国でも、首都の空港にこれほど粗末なターミナルは滅多に無いのではないか。LCC専用ターミナルをわざわざ不便で貧乏くさくしたのは、国営企業の空港運営会社(NAA)が各方面に忖度しまくった結果なのか、それとも合理的計算に徹した成果物なのか知らぬが、粗末で薄暗い待合スペースを豪華絢爛のブランドショップが囲む異様な状況は、どこかで何かを間違えたとしか思えない。

第3ターミナルの「不便さ」を逆手にとる民間駐車場を見つけた。空港入口に最も近い場所にある「高サービス・高料金」の駐車場が、「LCCターミナルまで歩いて5分」をキャッチに、送迎バスなしの低料金(?)サービスを始めたのだ。段差のある通路を荷物をゴロゴロ引いて歩かねばならないが、5分かからずに着いた。

LCCは表に出さない別料金がいろいろあるので、低料金の宣伝を鵜呑みに出来ないが、新しい機体でアテンダントの感じも悪くない。安全確保が大前提だが、空港当局のイヤガラセを別にすれば、コスパの高さを納得できる。

新千歳に定刻到着、久しぶりのレンタカーもスムーズに借りられた。「軽」を予約してあったが、ワンランク上で前日納車されたばかりの新車が出てきて緊張。停止するとエンジンが止まったり、一時停止で警告音がポンと鳴る新機能にもドキドキしたが、170㎞のドライブを無事に終えて様似の宿舎に到着。

初日に襟裳岬に近い様似まで走ったのは、アポイ岳(819m)登山が目的。「かんらん岩」の山で、超塩基質のため普通の植生が育ち難く、標高は低いが高山植物の固有種が多いことで知られる。特殊な地質と自然環境で2008年に「日本ジオパーク」に指定され、2015年にユネスコ世界ジオパークにも加盟。そんな山なので、花を楽しみながらゆっくり登ろうと、登山口の宿舎を連泊で予約してあった。様似町の第三セクター経営というが、それなりに頑張っている様子に好感が持てる。


第2日目 (7月13日) アポイ岳登山、雨で断念

「晴れ男」を自認する小生だが、とうとう「天気運」が尽きたらしい。天気予報は見る度に悪化、朝4時に起きて外に出てみると本格的ドシャ降りだった。多少の雨なら登るつもりでいたが、これでは諦めるしかない。時間つぶしに襟裳岬まで行ったり、様似の街をひやかしたりして、雨の1日をやり過ごす。

襟裳岬「風の館」。望遠鏡でゼニガタアザラシが数頭見えた。

日高線終点の「様似駅」

日高線は2015年の高波で路盤を流失し、鵡川~様似間が不通のまま。復旧は事実上放棄されたらしいが、正式に廃線が決るまで、駅舎は現状維持されるのだろうか。錆びた線路がわびしい。

様似の「ローソク岩」。上部は海鳥の巣。


第3日目 (7月14日) 様似 → 阿寒湖温泉

この日の予定は次の泊地の阿寒湖温泉へ250Kmのドライブだけなので、午前中にアポイ中腹のお花畑まで往復しようと考えた。雨はほぼ上がっていたが、天気予報では昼前に崩れるという。連れ合いの慎重論に押され、結局アポイ登山を断念。

イソップの「酸っぱい葡萄」ではないが、アポイのビジターセンターで聞いたところでは、この時期のアポイの高山植物は、春の花が終わって夏の花がまだ咲かない「端境期」で、加えて春先の異常高温で、咲き具合はイマイチという。期待が大きく3日の旅程を割いたアポイをパスするのは遺憾だが、「また来いよ」のメッセージをもらったことにする。

アポイ岳登山口の宿舎。
宿の前からアポイ岳を望む。山頂は雲の中。
日高山脈を横断。競走馬の牧場が海沿いだけでなく山中にも多い。年間数千頭が生産されるという。日高がギャンブル王国ニッポンを支えているらしい。
ペンケ・パンケを望む双湖台は、樹木の成長で視界が悪くなったようだ。
阿寒湖温泉の宿の窓から。正面の雌阿寒岳山頂は雲の中。


第4日目(7月15日) 雌阿寒岳(1499m)登山 → 糠平温泉

雌阿寒岳は52年ぶりの再登。冒頭書いたように、半世紀前の雌阿寒岳登山のメモが出てきた。
1967年8月3日の記録:

   阿寒湖畔 7:00 ハイヤー → 野中温泉(登山口)7:50 → 雌阿寒頂上 9:00
   頂上 10:40 → 野中温泉着 12:10  野中温泉発 12:35 → 阿寒湖 13:18 → 川湯温泉

「スポット的に鮮明な記憶」では、登山口でバスを降りて次のバスの時間までに山頂を往復した筈だが、実際は阿寒湖畔の温泉宿からハイヤーで登山口に乗り付けていた。分不相応の贅沢をしたものだが、準新婚旅行の気分があったのだろう。登山口→山頂の所要時間 1時間10分はかなり早いが、若かっただけでなく体重が今より15Kg軽かった。山頂に1時間40分も滞在した記憶はなく、下りが登りより20分余計にかかった事情も思い出せない。

今回はレンタカーなのでハイヤーの贅沢ナシ。前回と同じ野中温泉の登山口を9:15に出発。登山口の雰囲気は「鮮明な記憶」と同じだったが、登山道の記憶はない。展望のない林の中を時々出会う花を撮りながら、呼吸が乱れないようにゆっくり登る。

イワブクロ
メアカンフスマ

名前が分からない花たち。

雌阿寒岳は「花の百名山」だが、それほどたくさんは見なかった。

10:55 山頂到着。所要時間は1時間40分で、計算すると52年前より3割余計にかかったことになる。火口周辺の景色が少し違うような気がする。雌阿寒岳はしばしば小噴火を起こすので、登山ルートが変わったのかもしれない。ちなみに1959年にここを訪れた日本百名山の著者深田久弥は、雌阿寒岳が登山禁止で雄阿寒岳に登ったと記している。半世紀を隔てて2度とも雌阿寒の山頂に立てた我々は、ラッキーかもしれない。

少し遠回りになるが、周回ルートでオンネトー湖畔のキャンプ場に下る。阿寒富士の眺めや湖畔の風景など違った景色を楽しんだが、キャンプ場から駐車場に戻るルートが長いダラダラ登りで、つれあいにブツブツ言われる。半世紀前の下りで1時間半を要したのは、あるいは今回と同じ周回ルートだったのかもしれない。記憶が全くなく記録も不明だが、今回の所要時間が2時間15分だったので、1時間半の3割増とすればほぼ計算が合う。

山頂直下で噴火口を覗く。
山頂の標識は控え目。
火口原に青沼。
11:30 火口縁を半周して下りにかかる。
11:57 雲が切れて阿寒富士(1476m)が姿を現した。
11:57 オンネトーがちょっと見えた。ここから下は視界なし。

駐車場から次の泊地の糠平温泉まで90Kmのドライブ。登山後の午後のドライブは眠くなるものだが、何とかもちこたえた。

糠平温泉は明治の開拓時代から続く古い温泉場で、今も数軒の旅館がある。人気観光地以外の旅館は経営が厳しいと言われるが、 泊まった宿の部屋に苦闘の歴史を記した手製の読み物が置いてあった。程よいユーモアが漂って「読ませ力」のある書きっぷりに感心。古い施設を手直しながら工夫をこらし、客の共感を得ようと努める姿勢を応援したい気分が沸くが、過喜寿客のリピートは期待いただけそうもない。


第5日目 (7月16日) 糠平温泉 → 銀仙台 → 赤岳登山 → 層雲峡

北海道の屋根と言われる「大雪山」は、旭岳を主峰とする2千m級の峰々の総称。広大な山域の縦走はかなりの健脚を要し、軟弱トレッカーは、アクセスの良いルートから個々の山を攻めるしかない。西側の旭岳(2290m)は百名山踏破で2002年に登ったので、今回は東側の銀泉台から「花の百名山」が薦める赤岳(2078m)を目指す。

大雪湖で国道を外れ、大雪山観光道路のダートロード(一部舗装)を15Kmほど走る。銀泉台の登山口(1490m)には既に30台ほど駐車していた。これだけ登山者がいればヒグマは出てこないだろうが、一応クマよけの鈴を下げて出発する。

10:00 銀泉台登山口を出発
ウコンウツギ
エゾコザクラ
チングルマ
エゾヒメクワガタ
10:50 第一花園を過ぎて大きな雪渓をトラバース。
11:03 二つ目の雪渓。
12:40 三つ目の雪渓
シャクナゲ
ハイマツの花?
ヨツバシオガマ
アオノツガザクラ
エゾツガザクラ

コマクサ

荒地に深く根を伸ばし、咲くまでに7年かかると言われる。

エゾツツジ
キバナシャクナゲ
チングルマ
キバナシオガマ
エゾコザクラ
ダイセツトリカブト
イワウメ
12:50 赤岳山頂が近い。
13:00 山頂
山頂からの眺め
13:25 下山開始、奥の平へ。
エゾタカネスミレ
エゾノハクサンイチゲ


第6日目(7月17日) 層雲峡 → 黒岳(1984m)→ 北海岳(2149m)→ 層雲峡

黒岳も「センチメンタル山歩き」。記憶では山頂まで行かなかった筈だが、帰宅後に見つけたメモに拠れば、層雲峡の旅館に泊まって早朝のロープウェイで出発、5合目から黒岳山頂に登り、その先の黒岳小屋(現在の黒岳石室)まで行っていた。雪渓に寝転がって監視員に叱られたのは石室の前だったらしい。なぜ誤った「スポット的に鮮明な記憶」になったのか不可解で、謎解きの手がかりはない。

 52年前の記録: 層雲峡 6:40 ロープウェイ → 五合目 6:50 → 頂上 8:40 
          → 黒岳小屋 9:40 → 頂上 10:10 → 層雲峡 11:30 

 今回の登山:  層雲峡 6:30 ロープウェイ → ペアリフト → 7合目 7:00 → 山頂 8:40
  → 石室 9:30 → 北海岳山頂 11:10 → 黒岳山頂 13:45 → 7合目 15:00 → 層雲峡 15:30

黒岳ロープウェイ(当初は層雲峡ロープウェイ)の開通は1967年で、我々は開通早々に乗ったようだ。ロープウェイ終点の5合目(1300m)から7合目(1520m)のペアリフトが開通したのは1991年だから、前回はこの区間(1.5Km、標高差220m)を歩いた筈。それを入れて計算に入れると、ここでもスピードは昔より約3割遅かったことになる。

8:18 9合目でやっと雲が切れた。
ハクサンナズナ?
ミヤマキンポウゲ
チシマフウロ
トリカブト
チシマノキンバイソウ
8:20 山頂直下の奇岩。
チングルマの群生を行く。
8:40 山頂到着
山頂の小さい祠。
正面に北海道第2位の標高を持つ北鎮岳(2245m)。右は凌雲岳(2125m)
眼下に黒岳石室。前回はここまで来て折り返したらしい。

今回は、黒岳より先の北海岳(2149m)まで足を延ばした。黒岳と北海岳の標高差は見かけでは少ないが、黒岳から大きく下って登り返す標高差と歩く距離は、黒岳登山のほぼ2倍になる。もう少し頑張って展望抜群と言われる白雲岳まで足を伸ばしたかったが、ロープウェイの最終ギリギリになる。ムリせずに止めるのがシニア・トレッカーの節度なのだ。

石室から北海岳へ、お花畑の道を下る。
赤石川を渡渉。
花を楽しみながら、ゆっくりと登り返す。
大きな雪渓をトラバース。
雪渓を歩く方が楽。
山頂直下の奇岩、ここからはなめくじに見える。
奇岩がカメさんに姿を変える。
11:15 北海岳山頂に到着。
眼下の御鉢平は有毒噴気で立ち入り禁止。
石室は右端に見える桂月岳の麓。1時間半でこれだけ歩いた。
東側に烏帽子岳(2072m)。前日に登った赤岳はこの右にある。
白雲岳に向かうドイツ人グループ。おにぎりの残りをあげたら大喜びだった。
チシマクモマグサ
エゾコザクラ
しまりすに出合った。
あざみの咲き始め。
ミヤマリンドウ。


第7日目 7月18日  層雲峡 → 旭山動物園 → 新千歳 → 帰宅

今回の旅で初めてゆっくり朝食をとって層雲峡のホテルをチェックアウト。ロープウェイ駅前のビジネスホテル風の造りで、料金と設備もそのレベルなので、食事はあまり期待していなかったが、和洋のチョイスがあり、内容も大いに満足。野菜の質が良かったので仕入先を尋ねると、上川町の国道沿いの直販所を教えてくれた。朝の開店を待ってリーズナブルな値段で新鮮なアスパラをゲット。

夕方のフライトまでの時間を旭川の旭山動物園で過ごすことにする。動物の自然な生態が見られる動物園として有名になり、現在も東京上野、名古屋東山に次ぐ年間150万人の入園者があるという。この動物園の基礎を築いた菅野浩氏は旭川市の元職員で、園長職の他、劇団の代表や三浦綾子文学館、井上靖文学館の運営などにも携わった。故人の風貌から想像するに、奔放に発想する人だったらしいが、そんな「役人らしくない」人物を登用し続けた旭川市の度量も、大いに褒めるべきだろう。

国内での1週間連続の旅は「準新婚旅行」以来かもしれない。海外の長旅は体力・金力低下と共に難しくなるが、国内にも長旅を楽しめるところがたくさんありそうだ。新車で7日間1070kmのドライブも大いに楽しんだ。そろそろ免許返納するべきだが、新車が欲しくなってきた。さて、どうしたものか…

上川町の農産物直売所。
旭山動物園の臨時郵便局。動物たちの記念切手が楽しい。
頭上を泳ぐペンギン。
ペンギン舎。
どっちが見物客?