窮屈なシートに長時間座り続ける空の旅はシンドい。小生の場合は10時間がガマンの限度で、頻繁に太平洋を渡った現役時代、旅程が許せばシアトルで国内線に乗り継ぐようにしていた。日米間の飛行距離はこのルートが最も短く(7665km)、飛行時間は偏西風に乗って飛ぶ東行で8時間、偏西風に逆らって飛ぶ西行でも10時間ほど。この路線のエアライン(今はなきNW)はサービスがイマイチだったが、一杯飲んでウトウトしている間に着くのが何よりも嬉しく、シアトルでの乗り継ぎの面倒も気にならなかった。

日本から米国内陸部に送る大型貨物も、シアトル(タコマ港)まで船便で運んで鉄道に積み替え、最終目的地に送るのが有利と言われ、北米輸出担当の駆け出しの頃、タコマ航路の貨物船のスケジュ-ルを頻繁に調べさせられたことを思い出した。対米輸出が華やかだった時代で、やっと確保した船腹に工場の納期が間に合わず、大騒ぎしたこともあった。

気前よく日本製品を買ってくれた米国だったが、自国の基幹産業が次々と潰れるのを座視できなくなり、貿易摩擦のかたちで日本に政治的圧力をかけてきた。小生が担当した極めてニッチな領域でも、独禁法違反やダンピング提訴をチラつかせて日本企業を牽制し,商売を継続するには現地生産以外に手が無いような状況を作った。海外市場への巨大投資は、米国企業ならば損得勘定で判断するところだが、日本企業は同業他社との意地の張り合いで、イケイケドンドンやるしかなかった。

工場用地の選定で小生はオレゴンを強く推した。表向きのもっともらしい理由は付けたが、本心を明かせば、候補地の中でオレゴンが日本に最も近く、且つ気候風土が日本に似ていたからで、米国流のガツガツした空気がないのも好ましかった。日本企業の海外派遣者は本社に復帰することばかり考えるが、働きやすく住みやすいオレゴン勤務になれば、ひょっとして現地に永住する社員も出るのではないかという期待もあった。オレゴン州政府の工場誘致の売り物の一つが「良質な労働力」で、PRビデオで見せられた白人作業者がキビキビ働く姿が強く印象に残り、東部の試験操業で作業者の質に悩まされた同僚を見ていたので、オレゴンの「良質な労働力」にすがりたい気分もあった。

ポートランド郊外で建設が始まった段階(1986年4月)で小生は帰国し、オレゴン工場とはひとまず縁が切れたが、フル稼働後に訪れて驚いたことがある。現場作業者の大半がべトナム難民、現場技術者は韓国人ばかりだったのだ。白人の工場長に「米国人労働者を雇う約束だったのでは?」と詰め寄ると、「彼等も米国人労働者である」と明快な回答が返ってきた。「マジメに働いて手先も器用、彼等のグループリーダーに指示を出せば万事が円滑に進む」と得意顔で説明され、我ながらバカな質問をしたと恥じ入った。

米国社会の底辺労働力は先ずはアフリカ人奴隷だったが、19世紀以降、アイルランド、ドイツ、イタリア、東欧、南欧、ロシア(ユダヤ)、中国、日本からの移民が順繰りにやってきて、米国を世界最強の工業国へと押し上げる底力になり、第二次大戦後は、韓国、ベトナム、中南米からの移民(不法入国者を含む)が最強国を支えた。いつの時代も「新移民」が最底辺でキツイ仕事を担い、次に入って来た「新新移民」が「前新移民」の下でキツイ仕事を担い、数十年単位で移民の民族的階層が積層して出来上がったのが米国である。今の米国は万民平等・機会均等が大原則だが、民族的階層が消え去ったわけではない。それを大っぴらに言わないのが米国社会のルールで、うっかり「ホンネ」を出せば犯罪になる。だが、ウラで出身民族の仲間意識、後発民族への優越意識が常に揺らめいているのが、多民族国家米国の実像なのだ。


ワシントン州   緑の州の「軽薄長大」産業

アメリカには緑の山が見える都市景観は数えるほどしかない、鉋をかけたようにマッ平らで、高いビルの上から遠望すると地球の丸いのが納得できるような景色の中で生活すると、人工芝の野球場の真ん中に顔を出した蟻みたいに途方にくれた気分になる。特に山国育ちの私には、緑の山が見える風景が神経の安定に必要なようだ。シアトルは、静かな内海に緑豊かな小島が浮かび、ヨットが白い帆をあげ、背後に緑の山、遠くにタコマ富士が見える。昔の銭湯のペンキ絵みたいな風景だが、山と海が隣り合った景色を見ると心の平衡を取リ戻す。

飛行機が最も落ちやすいのが着陸時で、何百回経験しても気持ちのよくないものだが、シアトル・タコマ空港に降りる時だけは、できるだけゆっくり飛んでほしいと思う。雲がなければ、タコマ富士と呼ばれるレニエ山の万年雪が見え、飛行コースによっては、オリンピック国立公園の峻剣な山陵や氷河が見える。なだらかな丘陵の目を洗うような緑の牧場に牛の群がけし粒のように見えることもある。海上からアプローチすると、穏やかな内海の藍を流したような深い青色と、小島の針葉樹林の濃緑色のうすけむるような微妙な対比が、現代水彩画のようだ。空港近くの住宅地では、雨に濡れたようにしっとりとした芝生や街路樹の緑が窓の下を流れ、滑走路わきの芝生も緑が濃い。この州が愛称で「緑の州」と呼ばれるのも納得できる。

国際空港からシアトル市街に向けて10分程走ると、フリーウェイのすぐわきに別の飛行場がある。塗装のはげた707型機や、背中に大きな円盤型のアンテナを背負った早期警戒機(AWACS)が駐機しているのが、ボーイング社の専用飛行場である。シアトルはボーイングで発展したと言われるほど同社の存在は大きい。747型以降の新鋭機の生産ラインは郊外のエバレットに移ったが、それまではこのフリーウェイ沿いの工場が主力工場で、707型原型機の飛行試験もここで行われたという。

前任からボーイング社を取引先として引き継ぎ、納入機器の設置場所のリストを眺めて、この会社がとてつもない広がりをもっているのを実感した。航空機産業ほど裾野が広い製造業はなく、巨大システム工学抜きでは成り立たないと言われる。航空機産業が基盤になってシアトルに巨大システムエ学の頭脳を集まったことと、ビル・ゲイツのマイクロソフト社がこの地に生まれたことの間には、深い関連がある筈だ。移動通信(ケイタイ)事業者として一大帝国を築きあげたマッコーも、シアトルで生まれた会社である。こちらは巨大システム工学とは無関係のように見えるが、無から有を生む超戦略的ビジネス感覚は、ビル・ゲイツと共通したものが感じられる。カリフォルニアが「軽薄短小」の本場とすれば、ここは「軽薄長大」の本場と言えよう。

シアトル周辺は山峡が水没してできた地形で、旧市街は海岸沿いの丘に張り付くようにかたまっている。その東側は内海で、対岸にマイクロソフトやマッコー等の新興会社が本拠を置いている。旧市街と新興市街を結ぶのが延長2kmの海上ハイウェイである。コンクリートで巨大な中空の箱を作り、いくつも繋いで水に浮かべ、その上を道路にしたものだ。ローコストで潮の干満を克服する長大な浮き橋を実現したのだから、これもシアトル流「軽薄長大」システム工学の発露と言えるかも知れない。(この項 1994年9月記)

補足:その後シアトル発で有名になった企業に、コーヒーのスターバックス、通販のアマゾンがある。これらも「軽薄長大」の部類に入れて良いような気がする。

シアトル都心部はさすがに緑が少ない。中央の鉄塔は1962年万博のシンボル、ペースニードル。
内湾を横断するコンクリート製の浮橋。
都心部でスペース・ニードルが目立つ。イチローの元球場もこの近くにある。
スペース・ニードルからの眺め。
州都オリンピアの議事堂。
ボーイング飛行場を上空から。
ボーイング飛行場の航空博物館の屋外展示場、B747初号機(評価用)。
日本人にとって忘れ難いB29爆撃機もここが主力工場だった。
屋内展示場にところ狭しと展示された機体。実験機や変わり種の機体も多い。
フリーウェイから空中に飛び立つつもりで開発された実験機。

オリンピック国立公園

オリンピック国立公園は、シアトルの西側のオリンピック半島の変化に富んだ地域をいう。1909年に自然愛好家だったセオドア・ルーズベルト大統領が国定公園に指定し、1939年に甥のフランクリン・ルーズベルト大統領が国立公園に指定した。何故「オリンピック」と呼ぶのか分からないが、公園内の最高峰もオリンポス山(2438m)。ギリシャ神話と関係があるのだろうか。太平洋岸はハワイに負けない雨量があり、濃厚な温帯雨林を形成している。

シアトルのフェリーターミナルからオリンピック半島に向かう。
フェリーが行き交う。
オリンピック国立公園のゲート。
霧に包まれた駐車場。キャンパーはちょっと寒そう。
野生動物も多い。
小さなフェリーで入江を渡る。
うっそうと茂る温帯雨林。
巨木にからみつく寄生植物。
なめくじも巨大。

セントヘレンズ山

オレゴンとの州境の北側のセントヘレンズ山は1980年5月18日に大爆発を起し、住宅200戸と57名の命を飲み込んだ。その爆発で山頂が吹き飛び、爆発前に2950mあった標高は山体崩壊で2550mになった。「タコマ富士」と呼ばれるのは北隣りのレニエ山だが、セントへレンズ山も富士山を連想させる。コニーデ型の山姿が似ているだけでなく、数百年の周期で大爆発する点も似ている。1980年の噴火では2ヶ月前から火山性地震が観測され、小規模な水蒸気爆発が発生し、住民の避難も行われた。しかし避難の長期化で一時帰宅する住民や、森林伐採を再開して人が入ったところで大爆発が起き人的被害が生じた。小生が訪れた1995年6月には沈静化していたが、2004年に小規模噴火が起きた。セントヘレンズの観測は火山噴火予知のモデルケースになっていると聞くが、日本の火山噴火予知体制が事実上ゼロに近いことは御嶽山の記事にも書いたとおり。宝永の大噴火から300年経った富士山はいつ噴くのだろう?

旅客機がセントヘレンズ爆裂口の上を飛んだ。遠くにレニエ山(タコマ富士)も見える。
セントヘレンズ山は天然記念物。
立派な火山博物館、研究施設もある。
この先は立ち入り禁止。
裾野の様子も富士五湖そっくり。
車椅子での散策はちょっとムリ?


オレゴン州   オレゴン富士の松茸刈り

オレゴンは日本に似ていると思う。76年秋、初めてオレゴンの上空を飛ぶ飛行機から紅葉に染まる村落を見て「これは東北地方だなあ」と感じた。84年秋に工場用地探しで歩いた時は、小高い丘から遠望して「あれが安達太良山、あの光るのは阿武隈川」としみじみと思った。ポートランド市の東にフッド山が望まれ、北側の山裾をコロンビア川が流れている。今もその山で松茸がとれ、川を鮭がのぼってくるから、正確には「乱開発される前の日本に似ている」と言うのが正しいかもしれない。オレゴンの森林や松茸や鮭が日本への主要輸出産業になり、日本企業のオレゴン進出が急増している状況を見ると、日本がオレゴンを日本のように荒らしてしまった、というそしりを受ける危険がないわけではない。

フッド山は、日本人のあいだで「オレゴン富士山」と呼ばれるコニーデ型の休火山で、3千米を越える山頂部は万年雪に覆われている。この南麓の松林で松茸がとれると聞き、オレゴンエ場の仲間に地図と松茸の見つけ方のメモをもらって、土曜日に出張者3人で出かけた。88年秋のことである。掘り出す道具には、ホテルのナイフとフォークを失敬した。ポートランドから1時間少々でフッド山の麓に着く。地図に従って国道から脇道に入り、道路が行き止まりになったところに駐車して山道を登リ始めた。

落葉樹林から針葉樹林にかわり、背の高い松の枝に寄生植物がからみついている。45分登ったら松林の中に入れ、という手引書どおり、石南花(しゃくなげ)の潅木をかきわけて林の中に入る。落ち葉がモッコリ盛上がったところを掘れ、と書いてあるが、それらしきところを掘っても松茸は出てこない。だんだん林の奥に入リ込み、人の気配が全く途絶えてしまう。心細くなってきたが、その内に遠くの方で「あった!」という仲間の声がした。急いで行ってみると、落ち葉の中から3本目を掘り出すところだった。あるところにはかたまって生えているのだ。私も笠が開いて頭を出している一本をみつけ、その周りから4本収穫した。

92年には松茸の対日輸出を業とするベトナム人グループが出現し、グループ間のなわばり抗争で銃撃戦が起きたという。危ないので行かぬ方が良い、という注意もあったが、93年秋に2度目の松茸狩りを試みた。この秋は異常乾燥で全くの不作、ベテラン山男で動物的視覚嗅覚を誇るN氏でさえ、一本も見つけることができなかった。夜はオレゴン工場勤務のK氏宅に招かれて松茸パーテイをすることになっていたが、カラ手では敷居が高く、スーパーでマッシュルームや茸類の缶詰類を買い込んで持参し、肩身の狭い思いをしながらすきやきをごちそうになった。82年秋に「工場を作るならオレゴン!」と言い出した男を自認している私としては、昨今の工場のむずかしい状況を思い、苦い酒に酔ったものである。
(この項 1994年9月記)

州都セーラムのオレゴン州会議場。塔上の開拓者像が金色に輝く。
正門の左右にも開拓者の像。
オレゴンの州花はバラ。
ポートランド市の中央を流れるウィラメット川。
緑豊かな地方都市、ポートランド。
ポートランド市内からオレゴン富士のフッド山を望む。


フッド山

日本人は、富士山が見えると何故か嬉しくなる。小生がポートランドが好きになった大きな理由は、市内から「オレゴン富士」のフッド山(Mt. Hood 標高3429m)が見えることだった。麓で「まつたけ」が採れることは上の記事に書いたとおりで、中腹のスキー場(ティンバーライン)では年間を通してスキーが出来る。事務系の小生がオレゴン工場勤務になる可能性はほぼゼロだったが、何とかならないものか、と思ったことが、ないわけではない。

ポートランドからフッド山へほぼ1時間のドライブ。まつたけが採れるのは左側の斜面。
標高1500mのスキー場まで車で行ける。山頂部は険しく、シロウトが登るのは危険と言われる。
山麓の水も豊か。
スキー場のロッジはなかなか立派。
飛行機から見た冬のフッド山。

クレイターレイク

フット山が富士山と似ているように、クレイターレイクも摩周湖にそっくりで、「オレゴンと日本は一卵性双生児」の拙論を裏付けてくれる。

国立公園のゲート。
ゲートからカッコいいピークが見える。
摩周湖を彷彿させる景観。
中の島。
6月初めでも雪が深い。強風に傷めつけられた樹木もある。
展望台近くのロッジ。泊まってみたかったが日程が許さず。

オレゴンコースト

「オレゴンと日本は一卵性双生児」の持論に沿って、「オレゴンコースト=九十九里浜」と書きたいところだが、小生、千葉県在住ながら九十九里浜を見たことがない。似ているかどうか、読者にお尋ねしたい。

九十九里浜は多分こんな景色ではないか、と想像。
別の日に同じ場所から。
8千キロ先は日本。ここはの辺りには、3・11の瓦礫が漂着しているという。
灯台を同じ高さで見るのは珍しい。
海岸線の道路。