大相撲2025年初場所千秋楽のTV中継を見て、25年前のカザフスタンの旅を思い出した。カザフスタン・アルマトイ出身の力士が最後まで優勝争いに残っていたのだ。西前頭十四枚目(当時)の金峰山(きんぽうざん)で、惜しくも優勝決定の巴戦で豊昇龍に敗れたが、その前の場所も十両で優勝していたので、今後も期待できそうだ。1997年6月生まれだから、我々がアルマトイを訪れた時は2歳だった筈で、ひょっとしたら街で出会っていたかもしれない。(カザフスタン)
カザフスタンは馴染みの薄い国で、ロシア(旧ソ連)の宇宙船打ち上げ基地がカザフスタンのバイコヌールで、帰還もカザフスタンの草原に降りるとしか知らなかった。そんな国を訪れたのは、中央アジアの旅(キルギス、ウズベクスタン)のゲートウェイがアルマトイだったからで、滞在は1日だけだった。
アルマトイに韓国のソウルからアシアナ航空で飛んだ。このルートは日本・朝鮮・カザフスタンの歴史的因縁がからんでいる。第二次世界大戦当時、日本は朝鮮半島を支配し、満州でソ連と国境を接していた。ソ連は日本海沿岸(沿海州)に住む朝鮮族の人たちが日本軍に利用されることを懸念し、内陸のカザフスタンに強制移住させ、その結果朝鮮族のコミュニテイが生じ、戦後に直行便が飛ぶようになったという。
ロシア極東のカムチャツカを訪れた時、朝鮮族の人たちが日本人の観光客に微妙な感情を抱いているように感じたことがあった。彼等も強制移住させられた人たちで、日本は直接的な加害者ではなかったが、日本のせいで郷里を捨てさせられたことに遺恨があっても不思議はない。日本人は概して過去に外地に残した爪痕に無頓着だが、民族的な鬱屈は容易に消えないことを承知しておくべきだろう。ガザ地区の住民を強制移住させ、地上げした跡地を歓楽地にすると公言した米国大統領は、無神経の対価を払わされるのではないだろうか。(地上げ→歓楽地(カジノ)造成→ぼろ儲けがトランプ氏の「成功物語」だが、その間に4度破産して借金を踏み倒したのも、神のご加護だったのだろうか?)
アルマトイのホテルに入ったのは夜明け近くだったが、教会の鐘で目が覚めた。カーテンを開けると道路を隔てた教会の屋根が金色に輝いていた。旧ソ連時代、宗教は禁忌とされていた筈だが、ソ連崩壊から数年の内に教会にキンキラキンが蘇ったのは、宗教がイデオロギーよりしぶといということだろうか。
市街を散歩していると立派な建物があった。旧ソ連時代は首都の中央政府庁舎だったが、1997年に北部のアスタナに遷都し、我々が訪れた頃は市役所になっていた。それが2001年に「カザフ英国工科大学」(Kazakh British Technical University)に転用されたらしい。「英国」が付くのは、前大統領が英国を訪問して工科大学設立の支援をとりつけた経緯からという。日本も海外援助(ODA)でJICAが「人材開発センター」を開設して「日本式経営」の伝授に務めたが、「東工大カザフスタン校」開設まで手が回らず、お家芸の日本式経営も威光を失い、カザフスタンの人材育成は英国に軍配が上がったようだ。
カザフスタンは世界で10番目に広い領土を持つが、人口は2千万弱で、人口密度は世界最小という。イスラム教とキリスト教(東方教会)が並立する多民族国家で、旧庁舎の前で出会った保育園児の列にも様々な民族の顔があった。 ヨーロッパの国々の殆どが多民族国家で、それが時に混乱・内乱の種になるが、激変に耐える歴史の厚さにもなっているような気もする。
終戦時に旧満州からソ連軍に連れ去られた日本兵は、シベリアだけでなく中央アジアでも開拓の労働力として使役された。カザフスタンで亡くなった抑留者の墓地が市の中心部にある。合祀塚ではなく、立派とは言えないまでも各々の墓石にキリル文字で墓標が刻まれ、元敵軍の兵士の霊にそれなりの敬意を払ってくれたように感じられる。厚生労働省のカザフスタン死亡者名簿に38名が載っているが、カタカナ書きの氏名がたどたどしいのは、この墓標に刻まれたキリル文字を音訳したのかもしれない。
アルマトイの中央市場は市の中心部に広い面積を占めている。日本の大都市の市場は小売商相手の卸売りだが、ヨーロッパの市場は一般市民が日常の食材を買いに行く場所で、アルマトイの市場も、立派とは言えない建物に小さい売り場がぎっしりと並んでいた。
日本人は食物にたかる虫を神経質に追い払うが、蠅や虻が好んでたかるのは美味くて栄養がある証拠で、店主も客もあまり気にしないようだ。
市場周辺の道路が「場外市場」になっていた。無人の店で代金を空き缶に入れるのは日本の路傍の無人店舗と同じで、この国の治安が悪くなく、人の心が荒んでいないことを示しているのだろう。
場外市場に手づくりの楽器を売る屋台があった。マンドリンのような楽器は琵琶に似ているような気もする。
アルマトイ郊外のメテウにソ連時代に建設された大規模なスポーツ・娯楽施設がある。その一郭のテント張りのデイナーシアターで、カザフ料理を食べながら民族音楽と踊りを楽しませてもらった。芸人の顔ぶれも多民族国家のカザフスタンが表れていた。