「年賀欠礼」ハガキが届く季節になった。近年は差出人が親を亡くした人よりも配偶者や兄弟を亡くした人が多くなり、賀状交換だけの間柄になった旧友の他界を知って愕然としたり、平均寿命に近づいた自分の齢を改めて自覚したりする。「早くしないと死んじゃうよ」が口ぐせだった愉快な友人も冥界に籍を移したが、「あの世」ではどんな名せりふで回りを笑わせているのだろうか。
昨年末のゴーキョピーク・ツアーでヒマラヤ・トレッキングにハマった。「アンナプルナ内院」の景観はゴーキョより更にスゴイと聞き、「早く見ないと死んじゃうよ」と百名山相棒のカミサンを連れ出すことにした。富士登山のトラウマ(高度障害恐怖症)でグズグズしていたが、アンナプルナ内院の標高は4130mで富士山頂よりちょっと高いだけ。1週間かけて徐々に高度を上げれば順応できるし、荷物はポーターが担ぐので自分の体重だけ運べば良く、浅丘ルリ子級のヤセ過ぎもこの際有利な筈。ツアー説明会に出てようやくその気になり、夏の山歩きに気合が入った。小生は肝心な時に腰痛を発症するクセが出発5日前に出たが、整体師の集中治療のおかげで歩行可能になり、10月30日朝成田を出発した。
今回の行程は国際線乗り継ぎでバンコクに前々泊、カトマンズで国内線に乗り継ぎアンナプルナ観光の拠点ポカラで前泊、山中12泊のトレッキングでアンナプルナ内院とダウラギリ展望台のプーンヒルを回り、帰途にポカラ、カトマンズ、機中で夫々1泊する全18日間の長丁場。長期の留守であちこち迷惑をかけるが、「早く見ないと・・」の身勝手と不義理をご寛恕いただくしかない。
11月1日朝8時、現地スタッフと共にバスでポカラを出発。10月~3月は乾季の筈だが、今にも降り出しそうな曇天でこの先の天候が気になる。16年前に訪れたポカラは鄙びた田舎町だったが、今はカトマンズ同様に無秩序な都市化が進行中。途上国で中途半端なオカネの流れが生じると、こんな具合に「近代化」してしまうらしい。
1時間でトレッキング出発点のカーレ(標高1770m)着。街道筋のバラック茶店の前でポーターが手際よく荷造りをする。小生は今回もパーソナルポーターを雇ってカメラザックを背負ってもらい、その中に雨具から飲料水まで突っ込むので、自分の荷物は首から下げたスナップ撮影用の軽量1眼レフだけ。
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トルカに着いた時は降り出しそうな夕空だったが、夜明け前の北の空にアンナプルナサウス(7219m)とヒウンチュリ(6441m)がぼんやり浮かんでいた。まさか晴れるとは予期せず、旅のしょっぱなから名山が見えるとも思っていなかったので、大あわてで三脚を立てる。
この日はトルカ(標高1700m)からニューブリッジ(1340m)まで6時間の行程。標高差だけ見れば下り坂の楽チンコースだが、アンナプルナ街道は山越え谷越えのアップダウンの連続。実際のルートは地図上の見かけよりハードで、この日もトルカを出て峠を越え、下って、登って、また大きく下る筈だったが、途中から工事中の自動車道を近道に使って4時間で目的地のニュ―ブリッジ着。車道がニューブリッジまで開通すれば行程が2日間短縮するが、途中のロッジや茶店は客を失い、ポーターの稼ぎも減る。地方に代替産業が起きないまま利便性追及の公共工事だけを進めれば、地域社会の歪みを増幅させることは日本で実証済み。「近代化」のジレンマはこの国でも繰り返される。
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ニューブリッジの朝もロッジ庭先からアンナプルナサウスが良く見えた。宿の脇からいきなり本格的な急登で、段差の大きな石段の道が延々と続く。体力を消耗させぬようビスタリ・ビスタリ(超ユックリ)が基本。今回のツアー客は男性7名と女性8名。最年長は77歳の男性で、女性も70歳前後の人が多く、平均年齢は約70歳。その昔山岳部員だったという長老がペースメーカー役を買って出て、一貫して標準時間×1.5倍のペースを崩さない。超ビスタリに現地ガイドは戸惑い気味だったが、おかげで急坂でも息が上がらず、疲労の蓄積もなく全行程を歩き通すことが出来た。老々登山はミエも外聞も捨てて超ビスタリに徹するのがよろしいようだ。
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トレッキングの朝のルーティンは6時の「オチャー」に始まる。スタッフが部屋をノックしてポットの紅茶をカップに注いでくれ、続いて洗面器に洗面用のお湯を入れて持ってくる(庭先で三脚を立てている小生には個人ポーターが撮影現場まで持って来てくれる)。朝食は7時、おかわり自由の「おかゆ」がうまい。その間にポーターが荷造りをして8時出発。
エベレスト街道(ゴーキョ・トレッキング)では、同行のキッチンスタッフが三食作る「自炊スタイル」だったが、アンナプルナ街道のロッジは2食付で、昼食も途中のロッジでとる。この地域のロッジが共同組合を結成し、欧米風・中華風の調理を習得して共通メニューを作ったという(値段も協定)。公定メニューの内容はなかなか豊富で、ボリュームたっぷり。値段は各皿数百円で、地域の現金収入の道として正道と言えよう。我々の食事はサーダー(シェルパ頭)の指示で作る「定食」だが、食材や味つけに違和感なく「美味い」と思うことが多かった。
チョムロンとバンブーの中間点に看板が立っていた。「ここから先は聖域につき、牛・豚・鶏の肉類持ち込みを禁ず」とある。旅行者も例外を許されず、ロッジの食事も菜食になる(乳製品、鶏卵、魚肉はOK)。
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バンブーの地名は周辺に生える「竹」に由来。と言っても立派な「竹林」ではなく、我々の感覚では「笹やぶ」。深い谷底のバンブーに夕陽・朝陽は届かず、山岳景観も閉ざされているので写真屋に出番はない。標高が3000mを越え、それまで登山道で避けようのなかった牛馬糞が消えた。物流はもっぱら人力になり、重そうなガスボンベを背籠に入れたポーターが足早に追い越して行く。
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デウラリからマチャプチャレ・ベースキャンプ(MBC)迄は標準で2時間の行程。MBCまで行けば谷を抜けて山岳展望が拓ける筈で、朝の光線状態が良いうちに写真を撮りたい。もう一人の写真屋と相談してツアーリーダーの了解をもらい、個人ポーターと共にグル―プより少し早目に出発。多少早足で歩き、2時間でMBCに着くと期待どおりの絶景。小高い氷河モレーンに登り、本隊がMBCに着くまでの1時間半、時々刻々変化する光と翳、変幻自在な雲の流れにレンズを向け、山の写真屋にとって至福の時を過ごす。
MBCの標高は富士山頂(3776m)とほぼ同じだが、カミサンの高度順応は順調なようだ。ハイシーズンで高所のロッジはほゞ満杯。デウラリまでは1部屋2人の「個室」だったが、MBCから上は「つめ込み」になる。といっても日本の山小屋のように男女おかまいなく布団1枚に2人同衾といったような乱暴はなく、男女別の部屋にベッド3台~4台を押し込んで一人1床を確保。荷物を置くスペースがなくなって多少窮屈になるが、その分相部屋同士の会話がはずみ、山旅の経験談義から普段は聞けない業界秘話にまで話題が拡がって、それはそれで楽しい。
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