プレートテクトニクス論によれば、ヒマラヤ山脈は、インドプレートがユーラシアプレートに潜り込んで出来たシワ。その東端は、毛筆で「」を書いて右端をトメた如く、鋭く南に屈曲している(右上地形図)。インドプレートの右端が捻じれて出来た複雑な縦ジワである。ふと思いついて実験をしてみた。布を床に敷き、右下を抑えながら左側をグッと押し上げたら、この地形とそっくりの縦ジワが出来た(右下、プレートテクトニクスのミニ実験に自己満悦)。

この縦ジワは「横断山脈」と呼ばれ、6千m級の山脈が幾重にも重なり、その間の谷を東アジア三大河川のサルウィン川、メコン川、長江(揚子江)の源流が深く削っている。梅里雪山はこの地球上で最も険しく複雑な地形の核心部に位置し、鋭鋒群にぶつかった気流が不規則に乱れ、気象は激しく変化する。我々が滞在した3泊中に幾度も撮影チャンスが訪れたのは、奇跡と言って良いらしい。ツアー参加者全員の「日頃の行い」がよほど正しかったに違いない。

主峰のカワカブ(太子峰)は標高6740m。周辺に住むチベット族はこの山を聖山と崇め、展望台で五体投地の礼拝をする人を多く見かけた。1991年に京大学士山岳会と中国登山協会の合同登山隊が初登頂を試みたが、想像を超える荒天が起こした雪崩で17名が遭難死した。チベット族はよそ者(漢族を含め)が聖山を汚した天罰と考えて登山に根強く抵抗し続け、今も未踏峰のままである。遭難・捜索の経緯とチベット族については、小林尚礼「梅里雪山‐17人の友を探して」(ヤマケイ文庫)に詳しい。

前号で中国の「大陸改造」ぶりをレポートしたが、飛来寺の周辺でも道路の改修工事が進んでいる。観光ブームもあるだろうが、この地域に豊富と言われるレアアースの資源開発や、隣国ミャンマー絡みの方にホンネがあるのかもしれない。戦略性にかけては百戦錬磨の国だけに、下司ながらいろいろと勘ぐりたくなる。


梅里雪山と飛来寺周辺の地形図 (黄色の線は旅のルート)

飛来寺のホテル屋上から朝の梅里雪山 (合成パノラマ)

前篇の記事(雲南省の旅 その1)を読む


飛来寺へ

羽田を出発して4日目の午後、白茫雪山を望む4300mの峠を越えたところで、ようやく梅里雪山が見えた。氷河に削り出された稜線が午後の太陽に鋭いシルエットを描く。山道を下り、この地方の中心都市徳欽の展望台で小休止。13基の白亜の仏塔が並び、祈祷旗が強風にバタバタと煽られるのを見ると、梅里雪山がこの地に住む人たちの聖山であることを改めて認識する。

展望台から1時間少々で目的地の飛来寺に到着。町外れの崖っぷちに展望台とホテル街があり、谷越えで梅里雪山と向かい合う。我々のホテルは一段高い場所にあって、部屋の窓からでも全山の撮影が可能。ちょうど日没直前のシャッターチャンスで、取るものもとりあえず窓際に三脚を立てて撮影開始。

4300mの峠を越えると梅里雪山の連山が見えた。
徳欽手前の展望台。13基の仏塔が並ぶ。
祈祷旗が強風で吹きちぎられそう。
午後の太陽を背にすご味を利かす梅里雪山。
18時ホテル着。早速部屋から太子峰のシルエットを撮影。
同じく神女峰。

梅里雪山 朝景

第5日目:ホテルの暖房が効かず(室温6℃)厚着をして夜明けを待つ。部屋の窓から撮っていては、楽をする分だけ気合が入らないような気がして、ホテルの屋上に出て三脚を立てる。時差の関係で日の出が遅く、7時近くにようやく東の空が白み始め、日の出前の淡い光に梅里雪山が幻想的に浮かぶ。山頂部に薄い雲がまとわりついているが、日が昇って気温が少し上がれば消える筈だ。

一呼吸する間に雲が薄れ「絵になる」風景に。写真屋にとって息詰まる時間が訪れる。撮ってその場で確認できるのがデジカメの利点だが、山頂が紅く焼け始めるとその暇もない。太子峰は山頂の雲が切れず、レンズはもっぱら神女峰に向かう。紅焼けが終っても白銀の輝きが魅力満点。シャッターチャンスは続くが、朝食と出発の時間も気になる。

7:07 神女峰の山頂部は雲の中。
7:12 山頂から雲が切れ始めた。
7:19 日の出直前の神秘的な曙光。
7:39 山頂部が紅く染まり始める。
7:44 中腹まで光がまわる。
7:46 主峰の太子峰は山頂部の雲が消えなかった。

明永氷河

屋上撮影に未練が残るが、急いで朝食をかき込んで明永氷河へ出発。主峰の太子峰が源流の長大な氷河で、飛来寺から真正面に見えるが、間にメコン源流が削った深い谷が横たわっている。標高3400mから標高2100mの谷底まで険阻な山岳道路を下らねばならず、この日も運転手のケイタイ片手の離れ業に命を委ねる。

谷底に下りるとその分気温が上がる(計算では7℃高くなる筈)。狭い河岸段丘の集落では葡萄が栽培され、地ワインの看板もある。河岸の梅里雪山景区のゲートで入園料を払い、長さ100mほどのアーチ橋でメコン源流を渡る。欄干が破損しているのは誰か転落した跡のだろうか。

8:44 ホテル出発。神女峰と太子峰が白く輝く。偏光フィルターの効かせ過ぎで、少し不自然な絵になった。
沢の奥、太子峰と永明氷河の麓に永明村がある。
狭い河岸段丘の集落(布村)では葡萄の栽培が盛ん。
梅里雪山景区ゲートの案内看板。
メコン源流を渡るアーチ橋は少し怖い。

標高2400mの永明村から3150mの太子廟まで、馬の乗って1時間半。馬方は2頭の馬を引き、チップ稼ぎに客の荷物を背負って急ピッチで歩く。キツイ坂でも息が切れないのは、さすが高地民族のチベット族。我々は馬の背に跨るのに手こずるが、少し慣れれば鞍にしがみつくこともない。馬上からの撮影は、手ブレ防止では馬ブレを吸収しきれず、どのコマも激しくブレていた。
乗馬場。以前は永明氷河末端がすぐ左上まで来ていたという。
片道1時間半の乗馬。
危険個所は人と馬が別々に通過。
標高3150mの太子廟。
太子廟の香炉。聖なる竈で、料理用には使わない。
太子廟から永明氷河を見上げる。下流は土砂が浮いて黒い。

太子廟には古びた寺院と休憩小屋がある。歩いて15分に氷河展望台が新設されたが、更に上の蓮花廟まで50分というので、3人の仲間と登る。蓮花廟は太子廟よりも立派で大きなマニ車もある。寺の裏で氷河を撮っている前を、一人の年配女性が何度も通り過ぎた。農婦の農作業かと思ったが、低く経文を唱えている。巡礼で寺の周りを回っているらしい。

氷河の奥に屹立している筈の太子峰は厚い雲に隠れている。高山の雲は流れているように見えるが、実際は気流が峰に沿って上昇して発生し下降して消ている。気流が不安定だと雲の様相が突如として変わり、この時も一瞬雲が消えて太子峰が姿を現した。カメラの準備が間に合わない仲間もいたが、小生は日頃磨いた「ついで撮り」の技で、西部劇よろしく抜き撃ちでシャッターを押し、1分間のドラマを捉えた。

更に50分登って蓮花廟へ(希望者のみ)。
大きなマニ車。
廟の背後に明永氷瀑の中流部。
雲中の太子峰を待つ。急に雲が消え太子峰が見え始めた。
一瞬のドラマ! 直後に姿を消した。
下山道で出会った放牧牛の親子。


ナゾヤ峠
第6日目:この日の目論見は、標高3750mのナゾヤ峠に登って神女峰を密着撮影。前夜は風雨が強かったようで、麓の西当村から奥の道路では、昨夜来の落石をどかしながらバスを進める。一抱えもある石も転がり、ここでは「落石注意」は脅し文句ではない。標高2700mでバスを降り、ここから3750mのナゾヤ峠まで馬で登る。この日の馬方は女性で、2頭の馬を追いながら1時間に標高差500mのハイピッチで登る(我々の登山の標準は毎時300m)。
西当村から山中に分け入る。対岸の山頂に飛来寺が見える。
夜間に崩落した岩をどかしながらバスを進める。
山羊の一家も朝のお出かけ。
馬の飼葉を運ぶ。
この日の馬方は女性が多い。
ナゾヤ峠まで標高差1000mを2時間で登る。

いくら日頃の行いが正しくても連日晴天はムリらしい。小雨はすぐにやんだが、ナゾヤ峠の大展望は得られなかった。峠を越えた谷底に小集落が見えた。旅から帰って小林尚礼の「梅里雪山 17人の友を探して」を読み、遭難した京大学士山岳会と中国登山協会の合同登山隊がベースキャンプを置いた雨崩村と知り、侘しげな風情を思い出した。(遺体の多くは遭難から7年後に蓮花廟脇の氷河中流で発見されたという。)
中間点の茶店。宿泊も可能。
茶店の調理場。懐かしい感じがする。
峠にて。晴れていれば眼前に神女峰が屹立している筈。
京大合同隊のベースキャンプが置かれた雨崩村。
空振りに終わった馬上ハイクを落葉松が慰めてくれた。

所期の成果は得られなかったが、思い出に残る副産物があった。帰りのバスに便乗した馬方衆の一人が自慢のノドで馬子唄を披露してくれた。哀調のこもった5音階のメロデイや小節のまわし方は日本の馬子唄に似ている。彼等は車で15分ほど下った麓の西当村で降りたが、下馬場で放たれた馬たちは夫々勝手に自分の家に戻るという。危険な山道で馬が実に賢い歩き方をすることにも驚かされ、馬という生き物の賢さを実感する1日でもあった。
廃物利用もここまでやれば立派なもの。
帰りのバスに西当村の馬方衆が便乗。
自慢の喉で馬子唄を聞かせてくれた。
馬子がいなくても馬だけで下山する。
西当村で。


再度の撮影チャンス
夕食後も山は厚い雲に隠れたまま。運が尽きたと部屋に引き籠もっていると、9時過ぎ、添乗員が「山が見えてますよ」とふれ歩いた。まさかと思いながら窓を開けると、雲がすっかり消え、満天の星の下に梅里雪山が静かにたたずんでいるではないか。大急ぎで防寒具を着込んで屋上に上がる。夜空の撮影は初体験で、ピントが合わなかったり露出のバランスが悪かったり、試し撮りを重ねるうちに夜半になった。(下の画面では星が見えないが、大きく伸ばせば少し写っている。)
22:21 感度を上げてトライ。小さい画面では星が見えない。
23:00 あまり撮らなかった太子峰にレンズを向ける。
23:29 感度を少し下げ30秒露光。寒くて撤退。
翌朝7:39 太子峰が紅くなってくれた。
8:41 出発前にホテルの前から、別れの挨拶代わりの撮影。


旅の終わりに

第7日目:出発の朝も快晴。朝の絶景が2度も出現するのは望外で、新しい撮り方を試みるチャンスだったが、結局ありきたりの手法と構図でコマ数を増やしただけ。芸の世界探究へのココロザシが低いと反省。

「旅のついで撮り」が小生の流儀で、ふだんは三脚も立てず、山をじっくり撮る習性が身についていない。今回の飛来寺3泊中は、日の出前からホテルの屋上に三脚を立て、朝食を終えるとバスと馬で撮影ポイントに向かい、終わると夕食までホテルの屋上に三脚を立て、食事後も屋上に戻り、「トコトン山を撮る」充実感を味わった。山の撮り方の知恵も少し増えたような気がする。15年も山を撮る会に所属して「何を今さら」と言われそうだが、古稀を過ぎても「大器超晩成」で一皮むけるかな?

梅里雪山と向かい合う飛来寺展望台の仏塔群。ホテルのすぐ隣だが、最終日の帰りのバスを停めて訪れた。
巨大な香炉。
飛来寺のホテル街。我々のホテルはこの裏の高台に。
展望台の真下に前日に通った西当村が見えた。
徳欽は茶馬古道の中継地。谷間に張り付いている。
徳欽の展望台。太子峰に五体投地する都会風の巡礼者。
4300mの峠から白芒雪山。往路よりも良く見えた。
チベット仏教の名刹、東竹林寺を見学。
大きく湾曲する長江(揚子江)源流。入場料30元の展望台から。
シャングリラまであと10㎞。ナパ海の湿原で最後の撮影。