写真仲間が冬のカナダで撮った「オーロラ大爆発」を見て、マイッタと思った。小生も20年前にアラスカでオーロラを撮ったことはあるが、35mmフィルムに辛うじて写ってはいたものの、「撮ったぞ!」と自慢できるような代物ではない(アラスカ篇、デジタル加工で強引にオーロラを浮き出させた)。最近のデジカメの感度性能アップで、シロウトでもオーロラが撮れるようになったと聞くと、写真屋のムズムズがアタマをもたげる。

律儀に案内を送り続けてくれる旅行会社のパンフレットに、アイスランドのオーロラ・ツアーがあった。旅程を見ると、8日間の旅行中に6夜オーロラを見るチャンスがある。アイスランドはオーロラが最も現れやすいオーロラベルトの真下にあり、レイキャビックの首都圏を出れば人工光が殆ど無く、オーロラ観察に絶好。加えてアイスランドには、オーロラ以外にも火山地形など興味を引く景観が多く、この際思い切って遠征し、ムズムズを解消させることにした。

北極圏(北緯66度33分)に近いアイスランドだが、海流の関係で気温は真冬でも「冬の山形と同等」の由。それを知ってチョー寒がりの相棒(カミさん)も行く気になった。オーロラを撮るにはカメラとレンズを買い換えねばならず、ムズムズ解消の必要経費は膨らむばかりだが、財テクの才も度胸もない年金生活者としては、当局が密かに企んでいる(に違いない)ハイパーインフレが暴走する前に、ケチケチせずに老後資金を使ってしまうのも「知恵の内」と、開き直る覚悟を決めた。

2月15日、成田発コペンハーゲン経由でアイスランドへ。経由地のデンマークはIS(イスラム国)が報復を宣言した国の一つだが、無差別テロを心配してもキリがない。それよりも心配なのは天候で、出発直前にアイスランドの長期予報をチェックすると、全日程が「雪・雨・曇り」ではないか! 迂闊にも冬のヨーロッパが「陰鬱天気」の常識がアタマに浮かばなかった。まあ、小生のこれまでの旅では肝心なところで必ず晴れた。今回も「晴れ男」の強運を頼むしかない。



第1日目 レイキャビック → ゴールデンサークル → キルキュバイヤルクロイストゥル

家を出てアイスランドまで、乗り継ぎの待ち時間を入れて24時間の長旅。レイキャビックのホテルに入ったのは夜半で、小雪舞う夜空にオーロラへの未練を捨ててベッドに倒れ込む。翌朝カーテン開くと、高層ホテルのビル風で吹雪が逆巻いていた(遺憾ながら天気予報は良く当たる)。アイスランド時間は英国と同じだが、緯度が高く且つ経度がほぼ時差で1時間分西にズレているので、出発時間の9時45分はまだ薄暗い。道路は雪が激しく舞ってホワイトアウト状態だが、地元運転手の手慣れたドライブで、最初の観光スポット「ゴールデンサークル」に向かう。

数学オンチの小生、高校理科で唯一の得意科目が「地学」だったこともあって、60年後の今も地球や宇宙に興味がある。アイスランドは、海底から湧き出たマグマがプレートを作る「海嶺」(リンク先:Wikipedia)が海面上に顔を出した島で、北米プレートとユーラシアプレートが東西に分かれる「地球の割れ目」の「ギャオ」など、特異な地形が観察できる。その現場がシンクヴェトリル国立公園で、「ゴールデンサークル」は観光用のニックネーム。(ちなみに北米ブレートがユーラシアプレートの下に沈み込む場所が日本海溝で、東北大地震の威力の源は地球裏側の大西洋海嶺と言える。)

ホワイトアウト状態の国道をバスが走る。
中央の3棟は、政府要人・賓客用コテージの由。
地球の割れ目「ギャオ」。もっと大げさな地形と想像していた。
ギャオを歩く。グループは英国の中学生の修学旅行。
1100年前にバイキングが世界初の近代議会(民主的な全島集会)を開いた場所。
北米プレート側から落ちる滝。その昔、刑場として使われたとか。
ゲイシール間欠泉。19世紀に激しく噴いたが、今は滅多に噴かないらしい。
代役で活動中のストロックル間欠泉。ほぼ5分おきに噴くが、瞬間的で湧出量は少ない。
グトルフォス滝(黄金の滝)幅70m、落差45m。
20世紀初め、英国資本が土地を買収して発電所を作ろうとしたが、農夫の娘が投身自殺を盾に反対して計画を断念させたという。
ちなみに、アイスランドの電力は水力と地熱発電で、火力・原子力はゼロ。クリーンエネルギーの国を自負する。

ゴールデンサークルの観光を終え、第1日目の泊地、キルキュバイヤルクロイストゥルに向かう(アイスランドの地名は長くて発音し難い)。雪の国道(片側1車線)を250kmのロングドライブで、ホテル到着は7時を過ぎていた。既に暗くて周囲の様子は見えないが、ゴルフ場の看板があるところから、野原の中の1軒屋に違いない。オーロラを見るには絶好の場所だが、空は曇ったままで星も見えずガッカリ。オーロラが出たら部屋に電話をくれる筈なので、それを当てに、とりあえずベッドに潜り込む。

地ビールの効果で目が覚めた。時計を見ると夜11時過ぎで、2時間ほど寝たらしい。念のためと思いつつ、廊下のドアから外に出てみると、満天の星空にオーロラがうっすらと浮かんでいるではないか! 大急ぎで防寒具を身にまとい、3脚とカメラをひっつかんでホテルの前庭に走り出る。フロントから電話をもらった人たちが集まり始めたが、自然写真屋には人を避ける習性がある。暗闇の雪原を足さぐりで歩き、ホテルの明かりが届かない場所に三脚を据える。

オーロラは肉眼でやっと見える程度の明るさで、カメラのオート機能は作動せず、焦点や露光を手動で決め、試し撮りをモニターで確認しながら撮る(デジカメの特技)。気温はー5℃程度で凍えることはなく、電池が死ぬ心配もない。暗闇に目が慣れて地上の様子が見えるようになり、撮影場所と方角を変える余裕は出来たが、カメラの設定を変えて撮る余裕はなく、「数撃ちゃ当たる、かも…」とハラをくくるしかない。(デジカメでは「あと出しジャンケン」(パソコンで補正)のワザも使える)。

23:29 撮影開始
23:33 右下の明かりは集落の人工光の写り込み。
23:36 帯のように流れる。

23:37 赤色のオーロラは高々度で窒素原子が発光したもの。

23:40 カーテン状に変化
23:42 ホテル側の上空。
23:46 カーテンの色が強くなった。
23:48 全天に広がった。
23:51 ゆっくりと姿を変える。
0:03 頭上に展開、窒素光が強くなった。
0:06 次第に弱くなってきた。
0:11 今夜のショーはこれで終りと判断。

日付が変わった頃からオーロラの輝きが弱くなり、「あゝ、これで終わりか」と機材を畳んで部屋に戻る。冷えたカメラを暖房の効いた部屋に持ち込むと露結して使えなくなるので、断熱材にくるんでドア近くの寒い場所に置き、これから先の長旅に疲れを残さないように、とにかく寝ることにする。

ツアー仲間によれば、オーロラは夜中2時過ぎに勢いを取り戻し、5時前に大暴れして消えたという。滅多に出ないオーロラ大爆発が起きていたらしい。老人的戦略で体力温存を図ったのが、裏目に出た。

オーロラを撮る:太陽の爆発で噴出した太陽風(電離した水素ガス、プラズマ)が地球に届き、地球の磁気圏との相互作用で一種の発電機を形成して、発生した電流が磁力線に沿って南北の磁極に導かれ、地上100km~400kmにある電離層の極めて希薄な大気中で放電し、酸素原子や窒素原子が発光したものがオーロラ。

オーロラの光は非常に弱く、且つ天空で静止しているように見えても実際は時々刻々変化している。このためシャッター速度は速い方が良く、超高感度が必須だが、近年はアマチュア用一眼デジカメでも十分な性能を備えている。それでも露光に数秒を要するので、しっかりした三脚が要る。 上の作例は、オーロラ本来の色(酸素原子が発光する緑色、窒素原子が発光する暗赤色)を再現するため、ホワイトバランス(色温度)を5000K(昼間の日なたと同じ色調)に固定し、感度をISO6400、絞りF4、シャッター速度2秒で撮ったRAWデータを、軽度のデジタル補正で少し明るく処理したもの。

参考:人間の視覚は明るいものが白く、暗いものが黒く見える習性があり、カメラのホワイトバランス(WB)をオートにすると、視覚に真似て色温度を自動補正する。オーロラは暗すぎるので、カメラが何を基準に判断するか予想がつかず、手動で色温度を「昼間色」に固定した。オーロラは全天に展開するので超広角レンズが適している。上の写真は焦点距離16㎜(対角線魚眼に相当)で撮った。


第2日目キルキュバイヤルクロイストゥル → スカフタフェットル

前述のように、アイスランドは大西洋中央海嶺から湧き出るマグマが海上に現れて出来た島で、全島が火山活動の現場である。ここ500年間でアイスランドの火山群から噴出した溶岩は、全地球で噴出した溶岩総量の1/3を占めると言われる。日本でも小笠原諸島の西之島新島が成長中だが、あの場所はマグマが「点」で噴出するホットスポット。海嶺から「線」で噴くアイスランドのスケールにはかなわない。

西暦874年にバイキングが入植して以降、13回の大噴火が記録されている。その最大のものは1783年~84年の「スカフタの噴火」で、当時のアイスランドの人口の1/4が失われたという(死因の大半は火山性ガスによる中毒死)。最近では2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火で、ヨーロッパの航空便が3週間にわたって麻痺し、2011年にもグリムスヴォトン火山の降灰で数日間ダイヤが混乱した。我々の訪問中は(幸か不幸か)噴火活動はなく、第2日目の観光は過去の大噴火の痕跡巡りである。


アイスランドを縦断する海嶺と主な火山(Wikipediaから借用)
8:30 やっと朝になった。
前夜オーロラを撮った雪原。
エルドフロインは1783年に噴火したラーキ山の溶岩が565平方km、厚さ20mの溶岩台地となったもの。単一の火山爆発で流れ出た溶岩としては史上最大規模。
250年前の溶岩原がやっと苔が覆われた。花が咲く植物が生える迄あと200年かかり、樹木は恐らく育たないだろうと言われるが、地球温暖化でどうなるか…

ホテルを出てキルキュバイヤルクイストゥル村へ。1186年にアイルランドから渡来したキリスト教の僧侶がアイスランドで初めての修道僧道院を建てた場所だが、1783年にラーキ山から流出した溶岩で埋め尽くされた。

溶岩原の遠くにヴァトナ氷河。その裾に宿泊地スカフタフェットルがある。
キルキュバイヤルクロイストゥル村。
溶岩に埋まって建て替えられたアイスランド初の修道院(現在は教会)。
罰を受ける二人の修道女の像。
村の背後に「平滑の滝」。
スティヨルナルフォスの滝。氷河からの水が冬は氷滝になる。
華厳の滝に負けない明瀑、名前は不明。
凍てついた氷爆が無数にある。
溶岩が冷えて出来た玄武岩の柱状節理。小人が宝探ししていると伝えられている。
放牧の馬。アイスランド人は馬肉を食し、日本にも輸出するという。日本で食べる「馬刺し」はアイスランド馬かも…

氷河期以降最大規模の噴火と言われるラーキ山の溶岩原の観光を終え、更に東へ70㎞走ってヴァトナ氷河へ。この氷河は欧州最大規模で、面積8,100平方㎞(広島県とほぼ同じ)、氷の厚さは1000mを超える。形態は「氷河」と言うよりも山群をスッポリと覆う巨大な「氷冠」で、その末端から流れ出ている「氷舌」が我々の「氷河」の概念と一致する。ヴァトナ氷河は下にいくつもの活火山を隠し持っていて、噴火すると流れ出た溶岩で氷中に巨大なダムが出来て、圧力が限界を越えると決壊して大洪水を起こす。地球の生命力は人間の想像力を絶する。

スケイザルアゥルサンドゥル。ヴァトナ火山群の溶岩が氷河で削られて黒い砂原が出来た(雪に埋もれている)。遠景の氷舌(氷河の末端)は幅が8kmある。

1996年に氷河下で噴火、氷中ダム決壊で大洪水が起きた。流された国道橋の残骸。
何故か「豚の山」と命名された山を覆う氷河の氷舌。

氷舌のすぐ近くまで行ける。
荒々しい氷塊の流れ。

ヴァトナ氷河南麓のスカフタフェットルが2日目の宿泊地。氷河とオーロラのコラボを眺めながら地酒を飲んで長い夜を過ごすのが目論見だったが、昼頃まで見えていた青空は重苦しい雪雲に覆われた。仕方なく「地酒の部」のみ実行して寝たものの、時差ボケで夜中に何度も目が覚め、その度に起き出して空を見上げたが、残念ながら奇跡は起きなかった。

後編に続く