おかげ様で病気らしい病気もせず痛いところもなく、「喜寿」と言われてもピンと来ないが、トレッキングツアーで自分が最高齢のケースが多くなり、体力・気力の低下も感じないわけではない。自分の身の為、世間にご迷惑をかけない為にも、山歩きは自粛モードに入るべき時と思っていたが、思いがけないデータが送られてきて、心が揺れている。
8月に富士山に登り(本稿に記事)、山頂の「富士山本宮浅間神社奥社」に参拝した。小生は無信心だが、山頂の神社や祠では頭を下げ、僅かなお賽銭を献じることにしている。近年は高所順応で毎年のように富士山に登っているが、いつも7月初旬の開山前か9月初旬の閉山後で、神社の戸は堅く閉じられていた。今回は開山中で、拝殿に入って参拝すると、白木の柱に「70才以上の高齢者はご記帳下さい」と貼り紙がある。神職に「該当ならぜひ」と勧められるままに住所氏名生年月日と登頂回数を記帳し、記念の扇子をいただいた。それでオシマイと思っていたら、12月になって浅間神社宮司名で「平成29年度富士山高齢参拝者名簿」が届いたのである。(新年神札の販促活動(?)らしいが)
送られてきた64ページの冊子には、記帳した高齢者(かぞえ歳70才以上)2,104名の氏名が、年齢順に登頂回数と共に記載されている。最高齢は94才(2名)で登頂回数は54回と20回。90才以上が7名で内2名は女性。80才以上は252名、小生より年長者は512名を数える。登頂回数では82歳男性の2223回が最高で、100回超を数え始めたが途中でイヤになった。この人数は神社で記帳した人で、小生の例では70才以降4度登頂したが記帳したのは今回だけ。仮に記帳した人が4人に1人とすれば、古稀以上の登頂者は8千余人になる。(ちなみに平成29年度の富士登山者の総計は28万5千人の由)
日本に古稀以上の老人が24百万人いる中で、8千人の富士登頂者は0.03%にすぎないが、「望ましい老人」の代表ではないかと思う。山歩きにアスリートの運動能力や技術は要らない。重大な内臓疾患がなく、どこでも歩ける足腰と、危険の予知・対処能力があれば誰でも出来る。要するに「達者でボケない」ことが肝要で、山歩きをモチベーションにして日常生活に若干の鍛錬の習慣を組み込めば、健康維持に役立って医療費の節減になり、公共交通や宿泊、食事でオカネを使えば、多少なりとも地方経済の活性化に貢献する。富士登山は、シーズン中(7,8月)であれば、日本の山歩きの中で最も安全で、遭難の心配はまず無い(道迷いや滑落の危険がなく、事故を起してもすぐ発見してもらえる)。94才・登頂54回の大先輩に続く気はさらさらないが、喜寿を過ぎても富士に登る意義はありそうだ。
初詣に高尾山に登るのを習慣にしているが、今回は趣向を変えて「裏側」からアプローチ。高尾駅から小仏行きの路線バスはハイカーで満員だが、殆どが奥高尾の日影、小仏から城山、景信山を目指す人達で、手前の蛇滝口(じゃだきぐち)で降りたのは我々だけ。名にしおうミシュラン☆☆☆(2007年に獲得)の雑踏と無縁の寂たる山道で、途中に滝に打たれる修行道場もあり、今も修験道の雰囲気が漂う。
約1時間の登りで「表側」参道のケーブルカー駅の脇に出る。人並みに合流して薬王院の初詣の列に並ぶが、列は前年より短く、警備の誘導マイクも静か。薬王院で参拝を済ませて高尾山頂へ進むが、ここも人出が少ない。高尾山ブームが少し鎮まったのかもしれない。いつもは山頂から稲荷山コースを下って高尾山口駅に戻るが、今回は少し先の城山まで行って相模湖に下る。快い陽だまりの道を下りきると千木良集落のバス停に出る。JR相模湖駅まであと1時間歩くつもりだったが、停留所に10人ほど先客がいて、バスが来る時間と察して列に並ぶ。少しでも楽をしたい自分が、「かぞえで喜寿」になっていたことに気が付いた。
|
|
3月のインカ道トレッキングに向けて本気でトレーニングせねばと思うが、高い山はまだ真冬で、近場の筑波山しか頭に浮かばない。気分を変えて、いつもと逆回りに白雲橋コースから登る。ケーブル脇を登る御幸ヶ原コースより少し距離が長い分だけ傾斜がゆるい筈だが、女体山頂直下の急な岩場の登りはナマった体に結構キツイ。2週間後、また筑波山に登る。芸がないかもしれないが、この季節のトレーニングに筑波山に勝る山はない。
|
|
インカ道トレッキングでは1日の行動時間が6時間を超える。筑波山トレーニングでは不足と思い、近郊ハイキングの本をめくって日帰りコースを探す。車を使うと駐車場から往復になり、山のバスは本数が少なく、乗り遅れたらどうしようと気が焦る。日帰りの山歩きは鉄道駅を起点にするコースが望ましいが、千葉県北部の拙宅から日帰りできて、それなりに歩きごたえのあるコースとなると、あまり多くはない。そんな中から選んだのが、青梅線終点の奥多摩駅から歩き始め、鋸山→大岳山(1266m)→御岳山を縦走して、ケーブルカーとバスで御嶽駅に帰る「東京都内の縦走路」。御岳山はポピュラーな観光地なので、帰りの乗り物の時間は心配しなくてよい。後で知ったのだが、我々が歩いた距離14㎞、登り累計標高差1472mは日本山岳耐久レースのコースの一部で、予想よりキツかったのが納得できた。
|
|
インカ道トレッキングの出発を3日後に控え、ダメ押しで茨城県南部の吾国山→難台山→愛宕山の縦走コース(約16km)を歩く。登ったり下ったりのコースはあまり好きではないが、この際選り好みする余裕はない。
最寄りのつくばエクスプレス「柏の葉キャンパス」駅から1つ先の「守谷」で関東鉄道に乗り換える。関東鉄道は取手と下館を結ぶ私鉄で、首都圏には珍しい非電化の路線。守屋から先は気動車が1両か2両連結でのんびり走る。終点の下館でJR水戸線に乗り換え、5つ目の「福原」が起点。全般によく整備された道で、これほど丁寧な道標も見たことがない。
|
|
永年の懸案だったマチュピチュ見学とインカ道歩きの1石2鳥の旅をした。インカ道は3泊4日のテント泊で、標高4千m超の峠を越える高所トレッキングだが、開始前に標高3800mのウユニ塩湖とチチカカ湖で1週間過ごしたので、高所順応は十分。荷物はポーターが運び、同行のコックが3食温かい食事を作ってくれるので、大名旅行のようなもの。
マチュピチュは年間1百万が訪れる世界的観光地だが、インカ道を歩いてマチュピチュに行くことで旅の感興が数倍になり、思い出もそれだけ重くなる。天候はイマイチだったが忘れがたい旅だった。
千葉県に住みながら千葉の山に登ったことがない。そもそも千葉県は日本で最も平らな県で、房総半島の多少のデコボコは地理学的には「丘陵」と定義されるという。県内の最高地点は愛宕山(408m)で、全都道府県の最高地点の中で最も低い。その愛宕山も自衛隊の基地内にあって勝手に立ち入れない。1週間前迄に申請して許可を得れば登頂できるが、自衛官がつきっきりとのことで、そこまで面倒をおかけして登る気にならない。
ひょんなことから愛宕山に近い烏場山(からすばやま 標高267m)に登った。海外在住の長女が一時帰国し、南房総の宿で魚料理と温泉を楽しんだ帰り道、「新日本百名山 烏場山」の看板が目に入った。新日本百名山は、登山家の岩崎元郎が深田久弥の「日本百名山」とは違う視点で選んだもので、千葉県で唯一選ばれたのが烏場山。足元はスニーカーだったが、267mなら大丈夫だろうとたかをくくった。
外房線和田浦駅に隣接する南房総市役所の支所で、駐車場の場所と登山ルートを教えてもらい、隣の売店で昼食のパンと飲み物を買う。車を置いて花卉栽培の温室が並ぶ農地をしばらく進むと、「花嫁街道入口」の標識がある。山間の集落から海辺の村に嫁ぐ花嫁の行列が通った道と言うが、観光用ストーリーかもしれない。しばらく急登が続き、尾根に出ると緩やかなアップダウンになり、適当な間隔で展望スポットが設けられ、道標も丁寧で安心して歩けるが、烏場山にはなかなか着かない。案内図の各区間の所要時間を合計してみると5時間。今になって1日がかりのコースと気付いたが、引き返すこともできず近道もない。房総の丘陵でも遭難事故がしばしば起きる。低山とたかをくくると、山の神様からしっぺ返しを食うことになる。
|
|
3度目の筑波登山。いつもは神社近くの駐車場(標高215m)に車を置いて登るが、今回は麓のつくし湖(標高50m)から薬王院コースを登る。山頂(877m)までの標高差827mは、北アルプス登山基地の涸沢(2400m)から日本第3位の奥穂高岳(3190m)に登るのとほぼ同じ。百名山で最も低い筑波山だが、麓から登れば立派な「登山」なのだ。
筑波山には、地図にないベテラン専用の秘密バリエーション・ルートがいくつもあるらしい。かなり高度な登攀技術と体力を要し、シロウトがうっかり迷い込んで遭難騒ぎを起こすことがあるという。薬王院コースは整備された一般コースで、変化があって面白いが、途中に長い急階段があったりして、登るにはそれなりの覚悟が要る。
|
|
ヒマラヤのネパール側にエベレスト登頂を目指す登山隊がたどる「エベレスト街道」と呼ばれるルートがある。以前はカトマンズから1ヵ月余のキャラバンを要したが、ルクラに空港が出来てからは約10日のトレッキングで、標高5364mのベースキャンプに着く。車が通れない山道なので、歩くしかない。
チベット側にも、標高5200mのチョモランマ(エベレストのチベット名)ベースキャンプに至る「チョモランマ街道」(小生の命名)があり、立派な舗装道路で全く歩かずに行ける。とは言え高所順応は不可欠で、我々は距離的に2日で行けるところを6日かけて行った。中国人観光客が急増しているが、ろくに時間をかけずに直行するらしい。大丈夫なのか、他人事ながら心配になる。
「富士山に1度も登らぬ馬鹿、2度登る馬鹿」と江戸時代から言われてきたが、6度登ったら何と呼ばれるのだろうか? しかも今回登ったのは「馬鹿も登らぬ」と言われる御殿場口で、他の登山口より標高が1千m低い地点から登り始め、歩く距離も2倍長い。
敢えてそんなシンドいルートを登ったのは、9月11日出発のボルネオ島キナバル(4095m)登山の予行演習だったから。御殿場口のルートは登山口→小屋→山頂の標高差がキナバルの登山道とそっくりで、事前にシンドさの程度を体感できると思ったのだ。ちなみに、このルートは毎年8月に行われる秩父宮記念富士登山駅伝競走のコースでもある。
御殿場口は1707年の宝永噴火の火砕流の上に作られた登山道で、噴火から400年しか経っていないので、まだ植生が乏しく、標高1440mの登山口から、裾野を長く引く富士の全姿が見える。登山口の茶店を過ぎると、宝永火口上部の標高3100mの小屋まで休憩所がない(トイレもなく隠れる場所もない)。水や食料の補給ができないので、荷物も少し重くなる。
そんなわけで御殿場口から登る人は少なく、シーズン中でも雑踏とは無縁で、車も登山口に無料で駐車できる(他の登山道は麓に有料駐車してバスで登山口に向かう)。登山口に立派な施設があり、協力金1,000円を徴収する係員も2人いるが、ヒマそうで気の毒。前日に山小屋を予約した時、登り始めたら電話するように言われ、高齢者なのでゆっくり登ると伝えると、日が暮れそうになったら必ず電話するように念を押された。登山者ビーコンの実証試験に協力を依頼されたので、住所氏名年齢を登録し、キャラメル大の無線応答機をポケットに入れる。登山道に設置したチェックポイント通過をモニターする仕掛けらしい。入山登録(有料)を義務化して全登山者にビーコンを持たせれば、有効な安全策になるかもしれない。
登山口から小屋までの標高差1600mは、これまでの山登り経験で最もキツイ。登り始めて7時間、標高3000mで脚が上がらなくなり、10歩登っては休み、やっと見えた小屋まで最後の力を振り絞る。富士山の小屋は一般に客扱いが乱雑で、粗末な食事にハラが立つことが多いが、メインルートから外れたこの小屋では、親身の対応に心が通い、食事のカレーライスもしっかりした味と中味で、且つ「食べ放題」。大いに満足して疲れが吹き飛んだ。
|
|
|
御殿場口の名物は下山ルートの「大砂走り」で、標高差1600mの火山灰の急斜面を駆け下る。須走口にも砂走りがあり、少し若い頃に豪快に駆け下った経験があるが(1996年 百名山記事)、今回の大砂走りでは「加齢による体力劣化」を噛みしめることになった。登山では下りの方がキツイとあちこちで書いてきたが、何の障害もない火山灰のザラザラ斜面でも、下りの重力負荷が体重の4倍になって大腿四頭筋を痛めつけ、駆け下るどころではない。坂の途中で休憩したら立ち上がれず、ストックをつっかい棒にしても踏ん張りが効かず、ヨタヨタしながら何とか麓の茶屋にたどり着き、「いちごミルク氷水」でどうにか息を吹き返す。これが「体力の限界」と思い知った。
日本人の山登りはシロウトでも「登頂」が目的となる。日本ではどんな高山でもシロウトが登頂可能という、他の国にない環境がそんな気分を許しているのだろう。
3月のインカ道歩きは標高4千mの縦走に相当するが、「山登り」の気分はなく、5月のチョモランマ街道は全く歩かず、欲求不満がジクジクしていた。手頃な(時間的、資金的に)海外トレッキングツアーを探して、見つけたのがボルネオ島のキナバル山(4095m)。予行演習の富士山の下りでヘロヘロになったが、本番のキナバルでは下りも1泊したおかげで無事下山。筋肉痛も起きず、やや自信を取り戻した。