日本には「国立××」がいろいろある。国立劇場、国立博物館、国立美術館、国立天文台、国立がんセンターなど、立派な建造物で権威の象徴になっているが、5年後のオリンピックのメイン会場になる「国立競技場」の建て替えを巡るイザコザは、カネにイトメをつけざるをえなくなったこの国の「国立」の行く末を予感させる。国立大学は86校あって全大学生の38%を占め、その比率は年々増加しているという。少子化を知りながら官組織の自己増殖を放置したツケだろうが、取り敢えずは「日の丸・君が代拒否校」から取り潰すつもりかもしれない。
米国では「国立」を探すのに苦労する。しっかり調べたわけではないが、「国立競技場」と「国立劇場」は見つからない。「国立」を冠する美術館、博物館はあるようだが、創設時は国立でも今は民間団体が運営しているので、国の丸抱えではなさそうだ。国立大学は陸・海・空軍士官学校、FBI養成校、外交官養成所など特定目的の12校だけで、「連邦政府の仕事は軍事と外交だけ」と言われている状況と重なっている。
アメリカ合衆国の成り立ちについては雑記帳4ユタ州のまえがきでも触れたが、国民の暮らしや経済活動にかかわる事項は「州」(”State"は主権国家を意味する)の仕事で、夫々の州に立法・行政・司法があり、税制・刑法から婚姻法・学制に至るまで異なった制度を持つ。連邦政府(国)の権能拡大には抵抗があり、加えてビジネスとして成り立つ事には「官」が関与しない原則と伝統があるので、国民健康保険制度でさえ強い拒否反応を生む。そんな米国にあって、「国立公園」だけは徹底的に「国立・国営」なのだ。
先ず第一に「国立公園」の土地は100%国有地で、指定された地域内に私有地があれば国が買取って国有地にする。次に国立公園内のホテル、レストラン、売店等の諸施設は全て「国有」で、私有の建造物があれば例外なく国有化するか撤去する。更に国立公園内のビジネスは全て「国営」で私的事業は許されず、指定以前に営まれていた私的事業は排除される(グランドキャニオンのサウスリムで観光客から通行料を取っていた人物を追い出すのに手を焼いた例もある)。公園内の宿泊やサービス提供の実際は、以下のワイオミングの記事をご参考いただきたい(20年前に書いたので、事情が変わっているかもしれないが)。
米国が厳格な国立公園法を定めた発端は、ナイアガラ瀑布の景観が商業資本によって破壊された苦い教訓からで、自然保護には国有化と陸軍による警備を不可欠としたもの。その骨子は、陸軍が内務省のレンジャーに代わっただけで、140年後の現在も厳格に受け継がれている。多少の皮肉を込めて言えば、「自然保護は軍事・外交と同列の国家の要諦で、自由経済原則の適用外」ということになるだろうか。
日本の「国立公園」は国有地ばかりではない。公園内の建造物の殆どが私有で、そこで営まれる様々な事業(山小屋、旅館、食堂、土産物屋等々)も殆どが私的な営利事業である(県営、村営などの公営はある)。もちろん何をやっても良いわけではなく、自然公園法で厳しい制約を受けているが、環境庁の係官が警察権を持って取り締まっているわけではなく、抜け駆けも少なくないと聞く。狭い国土の隅々まで住民の生活の場となっている日本の場合、そこで生計を立ててきた人たちを排除できない事情は理解するが、観光立国・民力活用の行く末が、例えば、富士山5合目の歌舞伎町化にならないか、と危惧する。 (この項 2015年10月記)
イェローストーンは、1872年に世界最初の国立公園に指定された。ナイアガラ瀑布一帯の景観が民間の乱開発で傷つけられた苦い経験から、西部開拓で旅行者が入り始めたイェローストーンで同種の自然破壊が進むことを懸念した有識者が、議会に働きかけて国立公園法を成立させた。景勝地の土地と施設を国有化し、連邦政府の管理下で自然のまま保存しようという試みである。当初は陸軍が駐屯して自然破壊者を取り締まったが、今世紀に入って内務省に移管され、レンジャーと呼ばれる警察権のある警備隊が管理にあたることになった。現在(1994年当時)指定された国立公園は全国に約60か所、国が管理する指定公園や記念物を含めると数百ヶ所にのぼる。
指定地内の自動車道路や遊歩道はよく整備されているが、人工的な建造物は最小限におさえられ、ロッジの建物から道路標識にいたるまで木造にして焦げ茶色の地味な塗装を施し、周囲の自然にとけ込むように配慮されている。イェローストーン公園は面積が長野県ほどもあるが、公園内の恒久的な宿泊施設は、8ヶ所のロッジとキャビンを合わせても2千室足らずしかない。一方、キャンピングカーやテントの持込み者には、自然の中で快適な滞在ができるように種々の設備が整えられている。
自然保護の姿勢は哲学的とさえ思える。88年夏のイェローストーンの山火事では、由緒あるロッジなどの施設も危険にさらされたが、積極的な消火活動は禁止された。この山火事は落雷で起きたものだから、人間が人工的な手を加えず燃えるにまかせよう、という思想が貫かれたのである。3ヶ月間燃え続け、秋になって自然に鎮火するまでに、公園内の原生林の60%を焼失した。野生動物が心配されたが、大きな動物はたくみに逃げ回り、小動物は土にもぐって、焼け死んだ数は予想よりもはるかに少なかったと言われる。今は針葉樹や白樺の原生林は見渡す限り黒く焼け焦げ、立ち枯れて見る影もない。しかし切り倒したり植林したりせず、いずれ自然に朽ちて倒れ、それを養分にして新しい木が育つのを待つ。火事から6年後の94年秋には、陽当たりが良くなった地面から、成育の早いロッジポールパインの若木がもう50センチ程も伸びていた。この雑木林が150年後には立派な桧の森林にとってかわられる筈という。
公園内のロッジは1年前から予約が埋まってしまうというが、私達が訪れた9月末は冬ごもりの寸前だったので、有名なオールド・フェイスフル・インに泊まることができた。公園内で一番人気の高い同名の間欠泉の脇に、1905年に建てられた丸太組みの建物だが、広々としたロビーの吹き抜け天井は高さが30米もあり、巨大な石組みの暖炉が重厚な雰囲気を加えている。従業員も訓練がゆき届いて感じがよかった。私達の部屋の広さも30畳分くらいあって、一流ホテル並みと言える。この部屋が一泊98ドルなのである。ダイニングルームも立派で、ウェイターの躾も良いが、夕食のメニューはどれも15ドル前後。日本流に言えば、一泊2食付きで1人8千円、ということになる。昼食のハンバーガーランチも4ドルたらずだから、町中で食べるよりもむしろ安いくらいだ。酒類も土産物も、観光地でボラレたという感じのものはないと断言してよい。
アメリカの国立公園は、国有化と統制経済がうまく機能している例外的な場所ではないかと思う。ひとつの国立公園内のロッジやレストラン、売店の運営は単一の業者に委託されるので、業者間の競争が起きない。貸し馬やガソリンスタンドも同様である。業者は入札で選定され、ロッジの宿泊代、食物やガソリンの価格は内務省との契約で決められ、業者の任意にならない。内務省は監督官庁として利用者の苦情を聞いて業者を厳しく監督し、サービスの質の維持を計っている。委託業者の売り上げの一定率を公園の維持費として国庫が吸い上げるが、数年前にカリアフォルニアのヨセミテ国立公園で、内務省が維持費の累積赤字解消のために一方的に料率を引き上げたのに対し、指定業者のマリオットが公園内の施設で一斉にストライキをうつ騒ぎがあった。こうなると封建領主対農民一揆の様相だが、この種のもめ事は他で聞いた記憶がないから、国立公園の運営の仕組みは、百年後の今もうまく機能していると思ってよいだろう。国有化・国家統制はまことに非アメリカ的で、他国では非効率と官民癒着の弊害が起きるのが通例だが、米国の国立公園は国有化と統制経済のモデルケースとして研究の価値があるのではないだろうか。 (この項 1994年9月記)
1994年9月、米国卒業旅行でグレーシャー国立公園とイエローストーン国立公園を訪れた。イエローストーンには東西南北4か所にゲートがあるが、我々は北のモンタナ側から入った。米国の有名国立公園に共通するが、公園のゲートの外側にモーテルが立ち並び、園内の宿泊施設の予約が取れなかった観光客はここに泊まって「通園」することになる。ゲートで入園料を払い(当時いくらだったか忘れたが、現在(2015年)は自家用車1台(人数は問わず)1週間で30ドル)、南下してワイオミングの州境を越えると、すぐに最初の観光スポットの「マンモス・ホットスプリングス」があり、国立公園の管理センターもここに置かれている。(本項以下2015年10月記。20年前のことなので記憶は不確か。)
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マンモス・ホットスプリングスから更に南下。途中に観光スポットがあちこちにあるが、とりあえず公園中央部の宿舎、オールド・フェイスフル・インに直行。チックインして荷物を置き、すぐ脇にあるイエローストーンの象徴とも言うべき大噴泉「オールド・フェイスフル」(律儀な爺さん)の見物に出かける。
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欧米人の「休暇旅行」は一ヶ所に腰を据えてじっくりと楽しむスタイルだが、日本人のセカセカ習性はそう簡単に抜けない。限られた時間で可能な限り多くの名所を巡り、記念写真を撮りまくり土産物を買いあさる習性は、昨今の隣国から日本にやってくる観光客にも見られるが、これが北東アジア人のDNAなのか、それとも貧乏国から成り上がった旅行者に特有の性癖だろうか。(小生とつれあいが土産物買いの習性を脱したのは、金回りが悪くなったせいでしかないが)。
前述のようにイエローストーンは長野県ほどの広さがあり、点在する観光スポットは夫々が1日がかりで楽しめる広さと内容を持っているが、我々は3泊4日の日程で、隣りのグランド・テトン国立公園まで足を伸ばそうという算段だから、途中でゆっくりお茶など飲んでいるヒマはない。
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イエローストーンはロッキー山脈の高峰の連なりが途切れる鞍部にあるが、それでも標高は2千mを越え、公園内を大陸分水嶺が走っている。我々が訪れた9月下旬は晩秋というよりも既に初冬で、翌週に諸施設が閉鎖されて冬ごもりに入る直前だった。冬季は一般観光客は立ち入り出来ず、特別許可を受けて冬装備に身を固めたプロだけの世界になる。
山の天気は変わりやすく、2日続いた晴天の合間も突如雷雨が襲来したりする。3日目は朝からミゾレ模様だったが、予定どおりグランド・テトン国立公園に足を伸ばした。イェローストーンの南端に接するグランド・テトン国立公園は、映画「シェーン」の舞台になった。小生はこの映画をどこかで見た筈だが、ストーリーの記憶がない。タイトルミュージックとシェーンが立ち去る場面だけがイメージにあって、実物の山の風景を見るのが楽しみだったが、残念ながら雨雲に遮られたまま。やむなくイエローストーンに戻り、見残したスポットを巡る。
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ワイオミング東部のデヴィルズタワーは、1906年に米国初の国定記念物(National Monument)に指定された。スピルバーグの映画「未知との遭遇」(1977年)の宇宙船発着のシーンで使われたのが強く印象に残り、1993年のダコタ旅行の折にワイオミング東部に寄り道をした。ちなみに当時の入園料はたしか4ドルだったと記憶するが、22年後の2015年の料金を国立公園局のサイトで調べると、10ドル(人数不問、7日間有効)になっていた。
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