世界のあちこちで戦争の火の手が上がっている。「世界の警察」を自任してきた米国は自己都合で退職と思っていたら、ケンカの仲裁どころか当事者になって殴り込んだ。軍事力でイランを屈服させたつもりだろうが、誇り高いイランがあっさり白旗をあげるとは思えない。火に油を注いで世界戦争にならないだろうか。戦争になったら庶民に逃げ場がないことは、この国も80年前に経験した。残り少ない人生で、再び防空壕に逃げ込むのは御免蒙りたい。
隣り合う国が不仲なのはどこも同じで、カナダ駐在員時代にカナダ人の米国嫌いに驚いたことがある(カナダ駐在員回顧録ー東部篇)。パキスタンとインドは共に英国植民地から独立して以来「犬猿の仲」が続いている。やっかいなのは中国も入って三つ巴になっていることで、インドと中国も紛争を重ねてきた。この3国に挟まれた「カシミール地方」は領有権が定まらず、地図上にあいまいな点線が何本も引かれたままで、しばしば軍事衝突の場になっていた。
本年5月7日にもインドがパキスタンの実効支配地域を攻撃し、パキスタンが反撃する事態が発生した。共に核保有国で、核使用をちらつかせる声明を発し合ったが、4日後にインド側が停戦をほのめかし、パキスタンが呼応して矛を収め、大事に至らなかった。間髪を入れずトランプ大統領が「米国の仲介で停戦成立、オレの手柄だ!」と見得をきったが、いつもの口から出まかせの大言壮語にしか聞こえなかった。「仲介」とは、両当事者を交渉のテーブルにつかせ、落しどころに合意させる周到な計らいをいう。彼は今回の印パ紛争でそれだけの力を尽くしただろうか? イスラエル・イラン紛争では「仲介」どころか戦争当事者になり、「ノーベル平和賞」は遠ざかったのではないか。
犬猿の仲のインドとパキスタンだが、開かれた国境が数カ所ある。その一つ、パキスタンの首都イスラマバードから南へ280kmのワガーを訪れたことがある(旅レポート:「パキスタン-4 ラホール」)。国境に駐屯する両軍の部隊は朝夕に夫々国旗掲揚・降納の儀式を行っていたが、カッコよさを競い合う内に、国境の両側に見物人が集まって応援合戦をするようになった。両国の緊張が緩和した1986年、夕方の降納式を合同で行うことで合意し、観覧席(スタジアム)を設けて有料の観光施設が出来上がった。ギスギスした両国の関係に吹きわたる一陣の涼風だが、緊張が高まれば国境は閉鎖されてショーも中止になる。小生が訪れた2008年6月は幸いOKの時期で、名物の合同セレモニーを見学させてもらった。
国旗降納セレモニーが日没の2時間前に始まると聞き、昼にイスラマバードを出発して高速道路をひた走った。パキスタン第二の都市ラホール(人口1千万)を通過し、国境の町ワガーに着いたのは午後5時で、夕方のラッシュアワーにぶつかった。
「Suzuki」は日本の自動車メーカー「スズキ」で、インドやパキスタンでは「自動車」の代名詞になっているという。オートバイを改造した三輪タクシー(オート・リクシャー)も「Suzuki」を名乗って客を呼ぶ。
道路わきの泥川に飛び込んで水浴びをする人たちがいた。目的はシャワー代りよりも暑気払いではないか。
国境のゲートは交易のトラックを通すために昼間の数時間だけ開かれ、午後3時に閉じられてセレモニーを待つ。手前のパキスタン側のゲートは紋章で飾られている。平行してインド側のゲートがあり、ゲート越しにインド側のスタジアムの一部が見える。夫々の旗竿に掲揚された国旗をセレモニーで同時に降納する(パキスタン国旗は下端しか写っていない)。
Googleの画像を拝借して最近のワガー国境スタジアムの全景を下に示す。上がインド側、下がパキスタン側で、中央を横に走る国境の金網柵の両側の並木は不法越境の監視に支障がありそうだが、越境する人がいないのだろう。道路の両側のスタジアムの現在の収容人数は、インド側が2万5千、パキスタン側が8千とのことで、ちょっとしたサッカースタジアムの規模だ(小生が訪れた2008年当時はもっと小さかったと思う)。
イスラム圏のパキスタンでは、公の場で男女同席はありえない。
スタジアムの一画が女性専用に割り当てられている。写真を見る限り幼児の男子はOKらしい。チャドル姿の女性は一人だけで、スカーフを被らない女性も見える。
18:00 セレモニー開始の時間が近づくと応援団長が登場。スタジアムに超大音量でパキスタンの国民歌(?)が流れ、応援団長がダイナミックな身振りでシュプレヒコールを促す。インド側でも同様のパフォーマンスが進行している筈だ。
18:03 マーチに乗って儀仗兵が入場(足並みがピシッと揃っていない…)
18;04 インドの儀仗兵が片足を高く蹴り上げるパフォーマンス。このジェスチャーは「挑発の姿勢」という。インド側のスタジアムは男女同席で、ヨーロッパ人らしい姿もちらほら見える。
パキスタン兵も負けずに足を蹴り上げるが、これではインドに勝てそうもない。
18:23 両軍が同時に国旗を降納。
18:24 降納が済むと儀仗兵が国旗を捧げて退場。
18:24 両軍の代表が握手を交わして共同セレモニー終了、国境のゲードが閉じられた。
セレモニーが終わると夕暮れが急速に迫る。帰り道の渋滞を避けるべく急いで駐車場に戻ると、路傍に大型バスが客を待っていた。パキスタンではバスもトラックも派手な満艦飾を施している(このバスは地味な方)。屋根の上にも客を満載して走る。
それにしても不思議に思ったのは、スタジアムの見物客数に対して駐車場の車の数が少なかったこと。右のような手段で帰る人がいたとしても、近くに大きな宿泊施設があるわけではなく、5km先に鉄道の駅があるが、数千人を運ぶ列車が来るとは思えない。今もって不可解だ…
小生は印・パ合同のセレモニーをパキスタン側で見学したのだが、スタジアムの規模や見物人の数、儀仗兵の練度など、パキスタンの劣勢は明らかだった。インドは人口が6倍、GDPは10倍だから、国の底力の違いは如何ともし難く、そんな大国を隣国に持つ鬱陶しさは同情に値する。
だが他人事ではない。日本も隣の大国は人口が11倍で、GDPも5倍を超えた。領有権争いは今のところ南海の無人島に限られているが、武力衝突したら押し潰される覚悟が要る(親分の加勢はあてにできない)。是が非でも衝突を避け、大国と境を接する他の国々と連帯して外交力を強めるしかないが、日本は80年前にそれらの国々に土足で踏み込んだ履歴を持つ。我々はそのことを忘れ、自分が敗戦で蒙った惨めな記憶しか残っていないが、彼等は日本に踏み込まれたことを忘れてはいない。我々の世代はこんな難しいパズルを次の世代に残して去ることになりそうだ。