もう20年近くも昔のことだが、30年勤続の特別休暇を使って南米の先端まで行って見ようと思い立った。当時は米国のダラスに駐在していたが、知り合いの旅行代理店に相談したところ、「こんなのもありますよ」と南極半島クルーズのパンフレットを送ってくれた。

極地旅行専門の会社が企画した12日間のツアーで、ロシアの砕氷船をチャーターして南極圏(南緯66度33分)を越える。南米と南極海の往復に5日を要するので、南極半島周辺のクルーズは7日間だが、ゾディアックと呼ばれるゴムボートでペンギンやアザラシの営巣地を訪れ、各国の観測基地を見学し、観測用ヘリコプターに便乗しての空中観光も含まれる。一世一代の船旅にスイート船室を張り込んでも、旅費は南米先端旅行の2倍程。高い・安いは考え方次第で、パンフレットを読む内にすっかりその気になった。

清水の舞台から飛び降りる背を押したのは「ロシアの砕氷船」への好奇心。「ドラニチン船長号」(左下図)は1万総トンの本格砕氷船で、2万2千馬力のパワーで厚さ4mの氷海を航行できる。1981年にフィンランドで建造され(旧ソ連は意外にも国産にこだわらなかったらしい)、ソ連崩壊前はシベリア航路の確保に使われていた由で、いかにも頑丈な船体は「砕氷艦」と呼んだ方がピンとくる。その船橋部分に6階建て60室の「ホテル」を増築し、米国の旅行会社に傭船されてドル稼ぎに転進した。ロシアのムルマンスクが母港で、船長以下船員は全員ロシア人。悪評高かった旧ソ連のサービス業が崩壊後にどう変わったのかにも興味があった。


ドラニチン船長号

スィート船室の居室部分

当時は駐在員の任地外旅行に制約があったが、人事担当が目をつぶってくれた。ツアー集合場所のサンチャゴ(チリ)までの往復を入れると特別休暇の2週間を少し超えるが、クリスマスと正月休みを勘定に入れて何とかつじつまを合わせ、1994年12月19日夜にダラスを出発。サンチャゴから英領フォークランド諸島のスタンレーに飛び、砕氷船で出港したところまで前月の「フォークランド諸島」(マルビナス)でレポートした。以降の行程は2007年5月に当サイトでレポート済みで、本稿は二番煎じになるが、写真を増やして記事を全面改訂することでお許しをいただきたい。

ツアーは定員100名がフルに埋まり、米国25名(米国で予約した我々は米国組にカウント)、フランス23名、日本11名の他、スイス、ニュージーランド、ベネズエラ等14ヵ国から集まった。年齢層は60歳前後のリタイア族が大半だが、日本のツアー会社が集めたグループには20~50代の単身参加者が多かった。南極ツアーはマニアックな「オタクの世界」だったのかもしれない。ともあれ米国組の我々も、日本組のおせち料理のお相伴にあずかったり、添乗員の日本語説明に聞き耳を立てさせてもらったりした。

南極条約(外務省資料)というものがあり、南緯60度以南の地域の平和的利用と科学的調査の促進などを取り決めている。1959年に12か国が採択、現在は50ヶ国が加盟している。1994年当時、学術研究以外の極地観光ツアーは肩身が狭かったようで、我々が参加したツアーは形式的に4名の極地学者の研究航海に同行する形をとり、観測基地の視察や学者の船内講義もあった。

南極条約では領有権主張は「凍結」されている。領土権を主張する国は英国、ノルウェイ、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、アルゼンチンの7ヵ国。自国と他国の主張も否定する国は米国、ロシア、日本、ベルギー等だが、米国とロシアは過去の活動を特別権益として留保するという微妙な立場をとっている。加盟国の中には南極に基地を持っていない国も22ヵ国あり、北朝鮮もその一つ。条約加盟国に夫々の思惑があることは「お互いさま」で、虚々実々の積み上げの中で立場を築くのが「外交」なのだ。


ドレーク海峡を越えて南極海へ

12月22日夜半、南米最南端のホーン岬を過ぎドレーク海峡にさしかかると、突如として船体が大きく揺れ始める。「吼える40度、狂う50度」と言われ、地球上でこの緯度だけは潮流や風を遮る陸地がなく、1年中吹き荒さぶジェット気流で海は凶暴に荒れ狂う。砕氷船は船体を前後左右に揺さぶって氷を砕くように作られているので、船底はツルンと丸く、揺れ止めのフィンなどの装備もない。1万トンの巨体は木の葉のように揺れながら荒波に立ち向かい、波しぶきは7階の我々の船室の窓まで届く。ベッドから転げ落ちるし、食事も濡らしたテーブルクロスの上の食器を抱え込むようにしてとるのだが、このくらいハデに揺られると、乗り物酔いに弱い筈の連れ合いにも船酔いが起きない。そんな状態が30時間続く。

12月24日早朝、唐突に波浪が止むと、油を流したような穏やかな海に氷山が現れる。

ビル7階の高さにあるキャビンの窓もまともに波しぶきを浴びる。
船橋は立ち入り自由。1万トン砕氷船の操舵輪は子供の玩具自動車のハンドルのサイズ。
30時間のラフな航海が突如止み、暁の海原にさまざまな形の氷山が現れる。
最初に見える島影は上陸予定地のエレファント島。


エレファント島
12月24日午後1時45分、最初の上陸地エレファント島沖に投錨。南緯61度19分にあり、南サンドイッチ諸島の北端に位置する。北半球の北緯60度には帝政ロシアの都サンクト・ペトロブルグ(旧レニングラード)がある。厳冬期の冬将軍にナポレオン軍は退散したが、この緯度でも華麗な宮廷文化が成り立ったのは、カリブ海から運ばれる暖流の北大西洋海流のお陰。南緯60度は標高4千mの極冠から吹き下ろす寒風をまともにかぶり、住んでいるのはペンギンとアザラシだけ。
砕氷船はかなり沖に停泊、島までゾデイアックで20分かかる。
エレファント島に上陸。
お出迎えは「アゴヒモペンギン」(Chinstrap)。顔の帽子のアゴヒモを思わせる模様が特徴。
少数派のマカロニペンギン。「伊達者」の意味がある。目の上の飾り羽がそんな雰囲気。

砕氷船に搭載された2機の観測用ヘリコプターは観光フライトにも供され、飛行1時間分がツアー料金に含まれている。エレファント島で初回のフライトがあった。旧ソ連は「ヘリコプター王国」と言われ、技術力は米国を凌駕したと言う人もいる。MI(ミル)2型ヘリは軍用(攻撃用)として1970年から量産されたMil-24が原型で、北朝鮮では今も「革新2号」として生産中の由。砕氷船搭載のMI-2はエアロフロートが所有する民間型で、パイロットを含めて6名搭乗できる。急峻な斜面を流れ落ちる氷河の様子や、海上にポッカリ浮かぶ氷山を上空から眺めるのはまた格別。

砕氷船の飛行甲板から飛び立つ。
氷河の上空を飛ぶ。
エレファント島の沖に浮かぶ小さな島と氷山。
着船準備。
観光フライトを終えて南下。
巨鯨夫婦(?)の歓迎。この潮の吹き方はナガスクジラの由。
中型の鳥はPetrel(ミズナギドリ、ウミツバメ)か。
氷山で憩うペンギン。(砕氷船のブリッジから)
島々と氷山
南極の夏の日没は夜11時すぎ。もう少し南下すれば白夜の圏内に入る。船は夜間に南極海峡を東に抜けて次の上陸地ポーレット島に向かう。


ポーレット島
12月25日朝7時10分、南緯63度35分のポーレット島沖に投錨。この島は比較的若い火山島で、20万羽のアデリー・ペンギンのルッカリー(営巣地)がある。ちなみに「ペンギン」は南半球に生息する飛べない水鳥の総称で、アデリーペンギンは最も数が多く、広範囲に分布している。彼等は9月末に営巣地に戻り、毎年同じ相手と巣作りをする。ペンギンがパートナーや子供を識別する方法は2種類あり、チンストラップやアデリーは鳴き声を聞き分け、ジェンツーやマカロニは顔のパターンで見分けるという。微妙な差異は人間では識別不能で、コンピューターでもムリなのではないだろうか。動物たちの持って生まれた超人的(?)能力に改めて驚嘆する。
右のずんぐりと黒い島がポーレット島。氷山にペンギンが乗っている。
別の角度から見たポーレット島。
ゾデイアックで上陸地点を探りながら進む。
ペンギンは人間を恐れない。
海岸に集まるペンギンの群は食事を摂りに海に入る。
コロニーは過密状態。
もちろんプライバシーもない。
タマゴを抱く。
雛を抱く。
ご近所との争いも。
何となく素っ頓狂な表情。
ゾデイアックで本船に戻る。
氷山で休むペンギンの脇を通る。
本船に戻ってポーレット島を離れる。

氷山のクリスマスパーテイ
ツアーのリーダーは30代前半の米国人青年で、「Expedition Leader」(探検隊長)の権限で船長と対等にわたり合って航路や日程を決める(ちなみに「副隊長」はスウェーデン人の女子大生)。隊長からのクリスマスプレゼントは氷山のシャンペン・パーティ。ヘリでテーブル状氷山上に着陸し、シャンペンで乾杯、ダンスで祝おうという趣向である。

午後2時、観測ヘリを飛ばして会場用の氷山を定め、客とスタッフをピストン輸送。氷上の気温は+3℃。風もなく絶好の屋外パーテイ日和で、他所では絶対に見られぬ景観の中、忘れられないクリスマスになった。

夕食のクリスマスデイナーは伊勢海老とステーキのフルコース。「サービス」の概念が存在しないと言われた旧ソ連の船とあって、梅干しからトイレットペーパーまで持参したが、全くの杞憂だった。三食美味、酒類の値段もリーズナブル。ロシア人の船員も精一杯の愛嬌をふりまき、生涯でこの1週間ほど贅沢な気分に浸ったことはない。

ヘリが偵察に飛び立つ。
目指すは南極特有のテーブル状氷山。大陸から張り出した棚氷が割れて漂流しているもの。
ヘリが乗客とスタッフをピストン輸送。
サウンドシステムは少々チャチ。
氷山の間を砕氷船が漂う。
クリスマスデイナーのデザートテーブル。


クーバーヴィル島
12月26日早朝、南緯62度37分のクーバービル島に上陸。1897年にフランス探検隊が発見したエレーラ海峡は南極半島と小島に囲まれた流氷の吹きだまりで、いかにも南極らしい景観を呈する。この島の住人は中型のジェンツーペンギン。年間2~3ヶ月しか営巣地に戻らない他のペンギンと異なり、ジェンツーは年間を通して陸に定住するという。

この島にはジェンツーの他にも住人がいた。英国と米国の3名の女子学生と1名の男子学生で、粗末な小屋に泊まり込み、観光客がペンギンの生態に与える影響を研究しているという。タマゴに擬した容器にセンサーと発信機を仕組んで巣に置き、親ペンギンの心拍数からストレスの度合いを測定するのだが、人間の侵入など全く気にかける様子を見せないペンギンでも、内心は迷惑に思っているに違いない。

上陸地の偵察は副隊長(スウェーデン人の女子大生)の役目。
小島と流氷に囲まれたポーレット島に上陸。
島に滞在してペンギンの生態を研究する女子学生。観光客の来島による影響を調査しているとか。
小石の受け渡しは夫婦の愛情表現。
直立2足歩行のペンギンのしぐさは人間くさく、思わず感情移入したくなる。
ペンギンは忙しい。
ゾデイアックで氷山の間を縫う。
氷山の洞窟を見つけた。
洞窟をくぐる。
無事にくぐり抜けて得意満面のロシア人スタッフ。
本船に戻ってエレーラ海峡を南下。類い稀な景観が展開する。

 

氷上でのんびり休憩するアザラシ。
ペンギンが追いかけてくる。
同じツアー会社が傭船した耐氷船タラソワ号と会合、食糧の交換を行う。(当初計画では乗客が相互訪問する予定だったが時間切れ。)
氷海を更に南下、ラミエ海峡に向かう。