人は親を選べないし国籍も自由にならないが、スイス人に生まれていたら…と思ったりする。スイス人にもイヤな事や困ることはあるだろうが、外から見る限り、地球上で最も恵まれた国の一つに違いない。国の豊かさを一人当たりのGDP値(2016年)で見ればトップクラス(スイス$59,400、米国$57,300、日本$38,900 CIA World Factbook)、国民の幸福度指数(2016)でもデンマークと共に最高点を得ている(日本は53位、国連レポート Wikipedia要約)。

スイスは平和な国でもある。戦雲が絶えなかった欧州で、スイスは早くも1516年に永世中立と侵略戦争放棄を宣言した。19世紀初頭にナポレオンに支配されて傀儡政権が出来たが、 戦後のウィーン会議(1815年)で永世中立が国際的に承認され、第一次大戦、第二次大戦で戦火にまみれることが無かった。欧州全域を呑み込んだあのヒットラーでさえ、隣国のスイスには手を触れなかったのだ。(永世中立についてはオーストリアの記事でも書いた)。

スイスが自国の独立と中立を守るために、国民皆兵制を敷いていることはよく知られている。男子は19才~26歳が徴兵年齢で(女子は任意)、260日以上軍の施設に入って訓練を受け、以降10年間も予備役として訓練を受け続ける。その間自動小銃と弾薬、手榴弾を自宅に保管し、重火器(対戦車砲、迫撃砲)は地域単位で管理する。ご近所の血気盛んな男の家に自動小銃があり、消防団詰め所に大砲があるようなもので、その気になれば国家を覆す道具にもなりかねないが、スイスでは銃が自殺に使われることはあっても、事件になるようなケースは無いという。

スイスが軍事にカネを使っているかと言えば、国防予算はGDPの0.64%(2014年)で、常備軍を持つ国では最も低いレベル(世界で117番目 ちなみにもう一つの永世中立国オーストリアは0.81%で115番目  CIA World Factbook)。金額を計算すると約4千億円で、周辺国の軍事費の1/10以下では戦う前から勝負はついているようなものだが、スイスは軍備では国を守れないと承知している。外国から侵略を受けた時は、全国民が銃をとって焦土戦を戦い抜く覚悟なのである。つまり国民の「命をかけて祖国を守る気概」が国防の全てと言って良い。「このミサイルの時代に」と思うかもしれないが、草の根の民族戦線が、外国の武力侵攻に屈して国を捨てた例を知らない。

スイスは「一枚岩」の国ではない。多民族国家であり、連邦共和制で「国民統合の象徴」の王室もない。政治が安定しているかと言えば、比例代表で選ばれる国民議会は、小党乱立で左右にぶれる。加えてスイス独特の国民投票(レファレンダム)が頻繁に行われ、政府の政策提案がしばしば否決される。国としてまとまり易い要素は何も見つからないが、それでも1845年にカトリック保守派の分離独立紛争が収束して以来、国が乱れを見せたことがない。この国の求心力の源は「永世中立を守り続ける」という気概の他に思い当たらない。

スイス人の政治意識は高い筈だが、近年は投票率が50%に達しないという。政治学者の分析では、スイスではレファレンダムを含めて投票が頻繁にありすぎ、深い関心を持つ案件しか投票に行かない国民が多いのが低投票率の原因で、どんな場合でも選挙に行かない人は10%程度という。しかし、第二次大戦から70年を経て、スイスでも厳しい選択を迫られた経験を持たない世代に代替わりして、国民の意識(気概)に潜在的な変化が生じている可能性は否定できない。国民投票が想定外の展開になることは、英国のEU離脱や米国大統領選挙に見たとおりで、移民問題に揺れるスイスでも、突如びっくり・ポンが出ないとも限らないが、永世中立だけは守り続けてもらいたい。



第4日目(9/6) ソーリオ → アルビーナ小屋 → ソーリオ  (前篇から続く

小生は前日の体調不良(下痢)が尾を引き、長時間の行動はムリ。一方の娘夫婦は翌週に氷河を歩いてベルニナ峰に登頂する予定があり、できるだけトレーニングしておきたいという思惑がある。娘が妙案を思いついた。小生とつれあいはロープウェイでアルビーナダムに上がり、そこから歩いて1時間のアルビーナ小屋を目指す。娘夫婦はロープウェイ沿いの急坂を歩いて登って小屋で合流するプランである。

スイスは電力の68%を水力発電でまかなっているので、ダムがあちこちにあり、山紫水明の景観の一部になっているが、アルビーナ・ダムにはド肝を抜かれる。街道から標高差800mの崖を見上げると、頭上高く巨大なダムがV字谷の蓋をしているのだ。巨大地震の心配がないとは言え、万が一崩壊したら…と余計な心配をしたくなる。ちなみにスイスは電力の16%を原子力に依存している(CIAデータ)。福島の事故を受け、政府は脱原発を加速させる提案を2016年11月に国民投票にかけたが、結果は現状維持が多数を占めた。原発を止めれば当面は火力発電を増やすことになり、温暖化を加速させるより原子力の方がまだマシという選択は、ある意味でスイス国民らしいと言えないこともない。

V字谷の出口を塞ぐダム。(この写真は少し遠いマローヤの展望台から)
10:40 ロープウェイでダム直下へ。
堰堤は高さ115m、長さ760m。中央のヒビ割れは期間限定で貼った「冗談アート」の由。
11:00 ダム堰堤を歩いて対岸に渡る。
堰堤からエンガディンの谷を見下ろす。
12:00 ヤナギランが咲く小屋に到着。
学生(高校生?)の登山教室が進行中。
おとなしく待っているのだよ。
小屋で昼食を済ませ辺りを散策。
ダム湖を見下ろす。
ダムの上流。右の尾根の裏に翌日登る予定のシオラ小屋がある。
14:50 午後の雲が出てきた。そろそろ下る時間。


第5日目 (9/7) ソーリオ → シオラ小屋(2120m)

旅は終わりに近づいたが、遺憾ながら「山を存分に歩いた」という達成感は乏しい。体調不良もあったが、「あまりガンバリたくない」という気分が漂うのは、「後期高齢者」の潜在自意識が影響しているかもしれない。それが最後の山歩きにも出た。シオラ小屋(標高2120m)はソーリオ(1200m)から真正面に見えるブレガリア山群の中腹にあり、望遠レンズで見えそうなくらい近いが(実際は張出した尾根の陰で見えない)、ソーリオから標高800mの谷底まで下って街道脇に車を置き、反対側の沢を標高差1320m登り返すことになる。1日に1320mを登る行程は、日本百名山でキツイと言われる北海道の利尻岳やトムラウシなどに匹敵する。登るにはそれなりの下調べと覚悟が要るのだ。

地図をよく見ると、途中まで車が通れそうな林道がある。娘に確かめると、ガイドブックには林道の状態が許せば途中まで車で入れると書いてあるが、ネットに最新情報がないので下から歩くと言う。それを聞いてムクムクと反抗心が起きた。日本では平地から歩いて登る人は田中陽希君くらいで、車で行ける所まで行って体力をセーブするのがシニア登山の流儀なのだ。そんな老親の抵抗がシブシブ容れられ、車幅一杯の林道を終点まで行くと広い駐車スペースがあった。平日でも7分がた埋まっているのを見ると、ヨーロッパ人も下から歩きたい人ばかりではないようだ。

車で1400mまで上ったので、歩いて登る標高差は720m。日本では1時間に標高差300m登るのが標準なので、行程の目安は2.5時間になる。何度も書いたようにヨーロッパ人の登山スピードは我々の1.5倍早い。登山ゲートの道標は「小屋まで1.5時間」かな?と思いつつ見ると、2時間45分と書いてある。通過に時間のかかる難所があるのかもしれない。

標高1400mの駐車スペース。
11:35 登山道入口。シオラ小屋まで2 3/4時間とある。
渓流に沿ってゆっくり登る。
13:50 平な場所があったので少し遅いランチ。
14:25 もっと先かと思ったら、もうシオラ小屋が見えた(中央)。
登って来た道を振り返る。難所は無かった。

登山道は良く整備され、途中に難所らしい箇所もなく、ランチ休憩込みで3時間でシオラ小屋に着いた。ほぼ道標どおりに歩けたことになる。ふと思いついたのだが、ここはイタリア国境に近く訪れる人もイタリア系が多い筈。イタリア人はドイツ人ほど早く歩かないのかもしれず、道標の所要時間はイタリア標準かもしれない。

シオラ小屋は収容30人で、シャワー(冷水だが)もある快適な小屋。寝室は日本の山小屋と同じ雑魚寝スタイルで、一人分のスペースもほぼ同じだが、ザックや身の回り品を置くスペースがゆったりあって使いやすい。寝室は階段を境に2分されていて、翌朝早出のグループと遅出のグループに分けて寝場所を割り振られ、お互いに迷惑にならない配慮も好ましい。この日の宿泊者は我々を含めて10人程で、高齢者は我々だけだった。

こじんまりしたシオラ小屋。右の本館1階が食堂、2階が寝室。左のキッチン棟の下がトイレ。
表記はイタリア語。1905年開設、1947年焼失、1948年再建、1985年に増築と解釈。
玄関に靴とストック置場。受付はスタッフに名前を言うだけで、料金は夕食時に徴収。
ダイニングに収容人数分の椅子。(日本の山小屋は交代制)
右が2階寝室への階段。正面はキッチンのドア。
寝室は日本の山小屋に似ているが、荷物スペースがゆったり。
アルビーナダムから尾根を越えて来たハイカー。
狭いテラスだが、ゆったりと憩いの時を過ごす。
17:50 これから下る人。足が速いので明るい内に着くだろう。
18:30 待っていた夕食。先ずスープから。
牛肉の煮込みのメインにポテトと野菜添え。赤ワインが合う。
デザートにケーキも。日本の粗食山小屋に見せてやりたい。
19:30 夕食後、外に出て日没を待つ。
東面のピークと氷河は日影になってしまった。
19:45 どんどん暗くなる。
西のイタリアの峯に日が沈む。
西面の岩壁に最後の光が射す。
20:20 これにて終了。


第6日目(9/8) シオラ小屋 → サンモリッツ(セレリナ)

朝の光がブレガリアの山稜に当たらないことは、ソーリオから撮った時に分かっていたが、それでも撮るのが山の写真屋のサガなのだ。暗い内に起き出して足を忍ばせて外に出る。小屋周辺は巨岩ゴロゴロで道らしい道も無く、小さなヘッドランプで歩くのは危険だが、展望の良い場所を探して岩場を登る。まだ初秋と思って防寒不十分でカイロも持たず、寒さに震えて指の感覚を失ったのは不覚。

6:55 最初の光が当たる。
7:06 面白い雲が出たが、光は前山に遮られて拡がらない。
7:20 西側の峰に光が当たったが、朝食の時間で撮影終了。
朝食はパンとチーズとコーヒー。ゆで卵が付いていたかもしれない。
8:20 下山開始。
10:30 駐車場に帰着。林道からソーリオの教会が見えた。

復路の下りも道標どおりの2時間で駐車場に帰着し、やっと体調が本調子になったところで今回の山歩きは無事終了(岩場でポールを突きそこなって折ってしまったが)。

サンモリッツ郊外のセレリナに移動し、滞在型ホテルにチェックイン。メゾネットタイプの部屋に4人がゆったり泊れて、フルキッチンで料理も出来る。料金を人数で割れば日本の地方都市ホテル並みで、しかも周辺交通機関(電車、バス、ロープウェイ)のフリーパスが付いてその分割安。車を使わずに観光スポットを周れるのも良い。

近くのスーパーで朝食の食材を調達した後、「ベルニナ急行」の気分を味わうことにする。ベルニナ急行は、この地方に鉄道網を持つレーテイッシュ鉄道の路線の内、サンモリッツとイタリアのティラノ間を結ぶベルニナ線を走る観光列車で、乗車には特別料金が要る。ホテルでもらったフリーパスでは普通列車しか乗れないが、走るルートは同じで所要時間もほぼ同じ。ホテルから最寄のセレリナ南駅まで歩いて10分で、定刻にやってきた各駅停車で路線最高点(2103m)のアルプ・グリュム駅を目指す。

セレリナのホテル前からの眺め。町はずれの山はスキー場らしい。
シャレー風のセレリナ南駅。小さな待合室の他はアパートになっているようだ。
各停列車が到着。前3両の電動車が6~10両の客車を引く。
自転車専用の車両が必ず付く。
優遇されるサイクリスト。
ビアンコ湖畔を走る列車。急勾配と急カーブが続く。

小生の知る限りでは、ユネスコ文化遺産に登録された鉄道はこのベルニナ線とインドのダージリン・ヒマラヤ鉄道の2件で、その両方に乗った小生は「小鉄チャン」の気分が増す。ベルニナ線は車窓からの優れた風景と共に、路線建設と車両の鉄道技術に文化的価値が認められたもので、3両編成の電車は機関車並みのパワー(2600kw≒3500馬力)を発揮し、6両~10両の軽量客車を引いて70/1000の急勾配を力強く走る(他に2両編成や単行で走る電車もある)。

余談:ベルニナ急行は電車が付随車を引く編成だが、ヨーロッパの鉄道は機関車が客車を引く(場合によって押す)列車タイプが主流で、都市近郊の通勤列車でもこの編成が多い。機関車が最後尾になる時は、先頭客車の運転台から運転手がリモコンで機関車を操作する。日本でも旧碓氷峠では電気機関車を後部に付けたが、機関士は最後尾の運転台に後ろ向きに座って首をひねって運転し、先頭車両の運転士は前方監視と緊急ブレーキが役目だった。国鉄はリモコンを信用しなかったのか、それとも労働組合との取り決めでそうなったのだろうか。

余談のついで:「日本語の乱れ」にモンクを付けるのは老化現象だが(小生の日本語もかなり乱れているが)、鉄道車両を何でも「デンシャ」と呼ぶ風潮が気にくわない。「電車」は架線から取った電気を動力として走行し、旅客や貨物を載せる設備を持つ車両を言う。非電化区間をディーゼルエンジンで走る車両は「気動車」で、機関車が客車を引いて走るのは「列車」なのだ。シロウトならまだしも、鉄道番組までディーゼル機関車が牽引する観光列車を「デンシャ!」と呼ぶのを聞くと、許せない気分になる。

路線の最高点アルプ・グリュム駅からイタリア側に下って行く。
最後尾に展望車両が付く編成もある。
カーブをうねうねと曲がりながら急勾配を下る。
2段下のループを行く。
標高差1000mを下ってポスキアーヴォ駅に着いた電車を望遠で。
観光の時間帯を外れるとローカル専用の単行電車が走る。

第7日目 (9/8) デイアボレッツア氷河展望 → サンモリッツ市内観光

スイス最終日、再びベルニナ線の電車でデイアボレッツア氷河の絶景を見に行く。駅から標高2989mの展望台までロープウェイが直行しているので歩くことはない。娘夫婦は展望台から更に上のパース山(3207m)に登って高所順応し、我々は氷河を眺めたら先に下って、サンモリッツ市街を訪れる。

一つ手前のモルテラッチ駅、車窓に雄大な景観が現れる。
駅から大型ゴンドラで展望台へ。終点の雪渓で夏スキーが出来る。
日本語表示によれば、デイアボレッツアは魔女を意味するらしい。
目の前に巨大な氷河。1枚の写真に収まらりきらない。
中央が最高峰のピッツ・ベルニナ(4049m)

サンモリッツ

サンモリッツはダボスと共に高級リゾートとして名高く、高級ホテルやブランドショップが軒を連ねているが、我々はショッピングには関心がない。用事はつれあいの「絵手紙」用の郵便切手購入で、2009年版「地球の歩き方」を頼りに郵便局を探し出したが、建物はガランドウで、郊外に移転した由の張り紙がある。観光案内所も地図の場所から消えていた。仕方なく中心街に行くと別の場所に観光案内所が見つかり、郵便業務を扱うコンビニを教えてもらった。スイスでも郵便事業は厳しいようだ。

まだ時間があるので、画家セガンティーニの美術館を目指す。ここはさすがに地図の元の場所にあった。小生は絵画にはあまり興味がなく、傑作と言われる作品を見てもピンと来ないのだが、100年前のエンガデイン地方に暮らした人たちの生きざまを描いた超大作は見ごたえがあり、1908年に建てられたという石造りの閲覧室にも圧倒された。

やっと観光案内所( i )を探し当てた。

ブランド品の商店街。

 

セガンテイーニ美術館への途中から見た市街。
美術館前の彫刻。
サンモリッツ駅南口(裏口)からの眺め。


第8日目 (9/9) サンモリッツ → マインツ(ドイツ)

楽しい旅はすぐ終わってしまう。朝サンモリッツ駅で娘夫婦と別れ、列車を3度乗り換えて、1日がかりでフランクフルト近郊のマインツに移動。駅前のホテルで1泊し、翌日はマインツ周辺を観光、夕方の北京経由の便で帰国した(マインツの観光は別の機会にレポートの予定)。

娘夫婦はポントレジーナ(前篇参照)からガイドと共に山に入り、コーツ小屋へのルートの左に見えた氷河を登ってベルニナ峰(4021m)登頂を目指し、数日後に無事登頂して、山頂からの眺め(右)を送ってくれた。親は定年まで山と無縁だったが、娘は山好きのドイツ人と出会って本格登山にはまったらしい。何事も子が親を越えるのは大いに喜ぶべきことである。

サンモリッツ駅。ツェルマット行きの氷河特急が先に発車。
我々の列車は「地域急行」。機関車が後ろから押して走る。
先頭車両に乗車。連結位置が高いので車内の両端に段差がある。
窓下の小さなテーブルに貼られた路線図。
路線バスと同様、ボタンを押さないと駅に停まってくれない。
絵のような景色の中を列車は走る。