北海道に百名山が9座あるが、その踏破はなかなか大変だ。最北端の離島に聳える利尻岳や、知床半島中央部の羅臼岳、日高山脈の奥深くに位置する幌尻岳など、行くのに旅費が嵩むだけでなく、山頂の標高は2千mそこそこでも、アプローチが長く登るのがシンドイ山ばかりで、体力・財力共に乏しくなったシニア登山者には、まことにキツイ。
若い頃に登った百名山が一つだけある (深田の百名山のことを知ったのは、ずっと後のことだが)。新婚の年の夏休みに北海道旅行をして、現地で寄り道登山を思い立ち、軽い気持ちで登ったのが雌阿寒岳だった。2時間少々で往復したと思い込んでいたが、2019年に再登した際に昔の記録が見つかり、全くの記憶違いと分かった。年寄りの「オレが若い頃」の記憶にはアヤシイものがあると自覚したが、息も切らさず簡単に山頂を往復したことは確かだ。(経緯は2019北海道センチメンタル山歩きに記した)
右がその時の写真で、当時流行したハーフサイズのカメラでスライドフィルムで撮ったが、40年以上経ったフィルムはカビだらけですっかり褪色していた。デジタル処理でここまで蘇らせたが、過ぎ去った日々、衰えた体力・財力は、パソコン操作では元に戻らない。(写真:1967年8月、雌阿寒岳山頂で )
「利尻富士」の別名が示す通り、北の海から富士山が上半身を出している。鷲泊の登山口から山頂まで標高差1500mの長い尾根道を歩く。八合目に避難小屋はあるが、食糧・水・寝袋を担ぎ上げるより、日帰りの強行軍を選んだ。
宿を出て朝5時に歩き始め、小雨で滑りやすい火山灰の登山道を黙々と登った。時折り雲間から覗く下界の眺めだけが励みだったが、山頂直下で職場の同僚夫妻とバッタリ出会い、大福餅を差し入れてもらった。それで最後の力を振り絞って雨の山頂に立ったが、登頂の喜びよりも、最北端の「難関をかたづけた」という安堵感の方が強かった。
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知床の最高峰、羅臼岳の登山もなかなかシンドイ。知床五湖に近い岩尾別温泉の「ホテル地の涯」(ちのはて)を拠点に、標高差1430mを日帰りで往復する。エゾ松・トド松の林をひたすら登り、途中に雪渓や岩場の変化はあるものの、展望はなかなか開けない。八合目の羅臼平から最後のガンバリでようやく山頂に立つと、突如、天上の景観がひろがる。国後島が手に取るように見えると言うが、我々が登った時は、雲の切れ間から半島先端が見えただけだった。
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羅臼岳登山の翌朝、岩尾別から知床半島の付け根に鎮座する斜里岳に向かった。北の大地に悠然と裾野を広げる斜里岳の美しさは、もっと知られても良い。標高670mの清岳荘から歩き始め、3時間余で山頂に至った。独立峰特有の強風に吹き飛ばされそうになったが、360度の眺めは、単調で且つシンドイ単独火山峰登山のご褒美である。
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深田の「日本百名山」には「阿寒岳 1503m」とある。深田は昭和34年(1959年)に雄阿寒、雌阿寒の両山を登るつもりで出かけたが、雌阿寒は噴火が始まって登山禁止になり、雄阿寒しか登れなかった。深田は「標高は雌阿寒の方が高いが、山としては雄阿寒の方が立派」というが、イソップの「すっぱいブドウ」の感がないでもない。標高を1503mと記しているが、現在の地図では雌阿寒岳1499m、雄阿寒岳1370mで、何れも一致しない。想像するに、当時は雌阿寒岳の標高が1503mだったが、その後の噴火活動か浸食で1499mに修正されたのかもしれない(確かな情報は見当たらない)。
我々が最初に訪れたのは深田の8年後の1967年で、その時は雌阿寒に登頂できた。その後も火山活動でしばしば登山禁止になったが、2度目(2019年)も雌阿寒に登れたのは、ラッキーだったのかもしれない。(下の写真は2度目の登山で。レポート「2019北海道センチメンタル山歩き」)
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早朝にフェリーで小樽に着いて富良野に直行し、まだ日帰り登山が可能な時間だったので、その足で十勝岳に登った。頂上直下の火口から噴煙が上がる若い火山で、ザラザラの登山道は予想以上に体力を消耗する。山頂にたどり着くと、北に連なる美瑛岳は早くも暮れなずみ、富良野の平原に落ちる太陽にせかされるように下山した。
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登山本来の楽しみは、峰々の眺望や花を愛でながら縦走することだろうが、百名山「消化」が目的の登山では、山頂までの最短距離を往復することが多い。中腹までロープウェイが架かる旭岳では少々楽観的になり、遠回りのルートで花を愛でながら下山することにした。
山頂から雪渓を下り、間宮岳を過ぎて御鉢平を眺めるあたりで左膝が痛み出した。中岳温泉(足湯だけ)から先の5kmの緩い下りは、杖にすがってやっと歩く状態で、ギリギリ間に合った最終便のロープウェイにへたり込んだ。翌日、旭川の病院で痛風と診断され、北海道名物のビール・カニを禁じられたが、野宿で熊に食われたよりマシ、と思うことにした。
病院の検査で尿酸値が少し高かったので痛風と診断されたが、自己診断では、前日の十勝岳の下りで膝の靭帯が疲労し、旭岳の下りで限界に至って炎症を起こしたのではないかと思う。車の運転は出来たものの歩行困難が数日続き、このあと登る予定だったトムラウシ、羅臼岳を断念して、予定を繰上げて帰宅した。百名山登山で唯一の「事故」だが、この程度で済んだのはラッキーと言うべきだろう。
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日本語化された地名が多い中で、この山にはアイヌ名がそのまま使われている。「ヌルヌルする水苔がたくさん生えている場所」の意味という。大雪山系の中央部にあり、ふところが深く、テント泊を避けるには、東麓の国民宿舎から日帰りを強行するしかない。幸い標高1300mまで雪渓が残り、下山時は雪渓を走り下ることができた。ガイドによれば、数日内に雪が消え、登山道はトムラウシ状態になるそうだ。
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シロウトの登山は安全な尾根歩きが原則だが、幌尻岳では、糠平川の沢を4kmほど遡行せねばならず、急流に腰上まで浸かることがあるという。我々が参加したツアーは事前の渡渉訓練が必修で、3年前に苗場山の渓流で講習を受けた。
本番では、16名の参加者にベテラン山岳ガイドが2人付き、更に地元山岳会の長老が自ら出動してサポートしてくれた。幸い水かさは膝上程度で、難所の急流も無事通過できた。そこまでは良かったが、8合目から上は冷たい霧に包まれ、カールの景観もお花畑も白いヴェールの中だった。苦労して至った山頂は去り難いものだが、冷雨に叩かれ日没も迫り、一刻も早く下ることで、全員の意見が一致した。
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「後方羊蹄山」を「しりべしやま」と読み、「ようていざん」は略称。「蝦夷富士」と通称されるように、どの角度から眺めても完璧なコニーデ型火山で、何度見ても飽きることがない。
だが登るとなると話は別で、標高は2千mに足りないが、真狩の登山口から1600mの標高差を日帰りで往復するコースは、中高年登山者にはキツイ。梅雨のない北海道の6月の登山は快適な筈だが、温暖化の影響なのか、東京並みの暑さにバテた。雪渓は例年より少ないそうだが、雪解けを待って咲いた高山植物が、苦しい登山のご褒美だった。羊蹄登山の翌日、対面のニセコ山に登った。やはり秀麗な独立峰は、登るよりも眺める方が良い。
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