今回の21座を「北関東・上信越」で括るのはやや乱暴だが、要するに、首都圏に近い百名山である。近いから手軽かというと、行き難い山、登り難い山はあるし、苦労の割に合わないと下馬評の山もある。イヤなら行かなければ良いのだが、百名山完登の為に片づけ仕事で行く。百名山組が批判されるのはこの点らしい。ホンモノの山好きを自認する人達は、百名山など目もくれず、自分の好きな山にだけ行く。中には前人未到を目指す超人もいるし、同じ山に何百回も登って、風を聞き、草木に語りかけ、峰や谷と心を通ずる仙人のような人もいる。そんな人達が没個性の百名山組を冷笑するのは、わからないでもない。

他人が設けた課題をひたすら処理し、手を抜けるところは抜き、イヤでもガマンして片づける。百名山登山には、サラリーマンの仕事ぶりとひどく似たところがあるようだ。仕事でも余暇でも、もっと自由に羽ばたければ、と思わないこともない。だが、特別な能力や堅いココロザシを持たない凡人にとって、身の丈に合ったチャレンジを実行し、ささやかな達成感に満足することは、ある意味で賢明な生き方のような気もする。超人と仙人だけでは、世の中は回らない。大多数のフツーの小市民が幸福感を持てない社会がいかに不安定か、世界のあちこちで露呈した。日本も、頑張っても報われないと思う人が増えていることは、良くない兆候である


会津駒ケ岳  標高: 2133m    登頂: 2000年9月4日

北日本には山上に池塘がある山が多いが、これ程豊かに水をたたえた山は珍しいのではないか。訪れた9月中旬、紅葉には少し早かったが、それにしても行き交う登山者もなく、本当に静かな山だった。すぐ隣の尾瀬でオーバーユースが問題になっているが、山を楽しみたい人はこちらに回ったら良いと思う。麓の桧枝岐の日帰り温泉も悪くない。 

会津駒ケ岳山頂付近。満々と水をたたえた池塘が散在する。
差南東から北へ連なる尾根を50分で中門岳へ。
会津駒から燧ケ岳の双耳峰
秋を彩る


燧ケ岳 標高: 2356m   登頂: 1961年7月

若い頃に登った数少ない山の一つだが、その時の写真はない。上野から夜行電車で沼田に行き、連絡バスに乗り継ぐと、登山口の大清水で夜が明けた。休憩もせず尾瀬沼から燧のナデックボを登り、俎嵓から御池に下りた。半世紀近く前のことだが、細々とした情景や仲間のしぐさまで思い出す。人間の記憶は不思議なものである。(写真は別の機会に撮ったもの。)
(燧ヶ岳には2011年に登り直した) 

至仏山 標高: 2228m  登頂: 1967年10月

至仏山に登ったのも40年以上前のことだ。土曜日が隔週で休日になり、週末に遠出ができるようになった頃である。この時も金曜の夜行で出掛けて燧ケ岳に登り、裏燧から尾瀬ヶ原を縦断し、至仏山に登ってバスが通る戸倉まで歩き、日曜深夜に帰宅した。随分元気だったものだ。(写真は上記と同じ) (至仏山には2010年に登り直した)

尾瀬ヶ原から燧岳(2018年撮影)
燧岳山頂直下から尾瀬沼(2011年)
尾瀬ヶ原から至仏山(1996年)
至仏山中腹から尾瀬ヶ原(2010年)
山頂標識


奥白根山  標高: 2578m  登頂: 1997年6月4日

奥日光にアルプス並みの標高の山がある。里からはそれ程目立たないが、周辺の山に登ると特徴のある山頂が突き出て見える。菅沼の登山口から弥陀ヶ池まで入ると、目前に溶岩ドームがヌッと現れる。変化のある登山に疲れを忘れ、下りは金精峠経由の遠回りをした。アップダウンの連続と、春の冷雨のきついオマケがついた。 奥白根山は2019年10月に再登

山頂部の溶岩ドーム
五色沼から
山頂から菅沼と燧岳(左遠方)
山頂から平ヶ岳(?)
男体山と中禅寺湖
山頂部(2019年撮影)


皇海山  標高: 2144m  登頂: 2004年7月9日

「すかいざん」と読む。登山口までの林道が頻繁に崩れて交通止になる。我々は思い立ってから3度目にやっと登れた。登山道も山頂も藪の中で景観はゼロで、正直くたびれもうけの山である。

深田の「百名山」を読むと、この山をつまらなくしたのは、林道経由の簡易登山のせいだとわかる。深田が登った足尾側からの昔の参詣路をたどれば、素晴らしい展望が得られる筈だが、今は踏み跡もさだかでないらしい。百名山組はくたびれもうけを承知で、裏口登山をするしかない。 


男体山  標高: 2484m 登頂: 2000年10月14日

男体山は二荒山神社のご神体。中禅寺湖畔の神社で、略式のお祓いを受けてから入山する。南面の急斜面を登ると、紺碧の中禅寺湖が足下に広がりを増し、山頂に達すると、戦場ヶ原、湯ノ湖、太郎山、真名子山、女体山の全てが、360度の展望に収まる。キツかった登りを忘れ、「登って良かった」と思える山だが、下山して戦場ヶ原のバス停までの林道歩きが遠い。敗残兵のような後姿に同情してだろうか、見知らぬグループのバスが拾ってくれた。

半月山から見た男体山。日光富士の名にふさわしい
7合目で中禅寺湖の視界が開ける
戦場ヶ原の上に奥白根山が頭を出す
太郎山が立派に見える
戦場ヶ原から男体山
晩秋の男体山


武尊山  標高: 2158m  登頂: 2001年9月29日

読み方は「ほだか」だが、漢字から日本武尊伝説の山とわかる。昔からの南面の登山道は、参詣者を脅かす為にわざと厳しいルートに作られたという。少しでも楽をしたい百名山組は、奥利根の裏道から登る。ふり返ると、谷川岳の人食い岩壁や、航空母艦のような苗場山が望まれ、ここでは裏道もけっこう楽しい。 

武尊山頂から谷川岳。左奥は苗場山 山頂から南に日光連山の眺め


谷川岳  標高: 1963m 登頂: 1996年8月3日

標高2000mに満たない谷川岳が、世界最多の遭難者を出している。クライマーを食い続けるのは、垂直に切り立った南面の岩壁で、死者累計は800名に届く。岩登りは一種の格闘技で、百戦錬磨の超人でも死ぬ時は死ぬ。

もちろんシロウト用の登山道があって、登りやすい百名山の一つと言われる。 百名山を始めたばかりの頃、生意気にも天神平スキー場からのコースは手軽すぎると考え、マチガ沢横の西黒尾根を登った。真夏の真昼間、標高の低い山の裸尾根を登って、途中で水がなくなった時の辛さを思い知った。山頂の残雪の泥水が甘露水だった。

西黒尾根の上部
尾根道からマチガ沢を覗き込む
山頂の雪渓で命拾い
山頂
谷川岳山頂で競演
一の倉沢上部にレスキューヘリが来た


赤城山(黒檜山)  標高: 1828m 登頂: 1999年8月8日

登山口の大沼の周辺は、別荘だけでなく住民も多いらしく、役場や学校のスピーカーの声が、最高点の黒檜山頂まで届く。条件が良い日は、上信越の山々だけでなく、南アルプスから富士山まで望めるというが、我々が登った日は山頂が雲を被り、百名山消化だけで終わった。


大沼の対岸から黒檜山 黒檜山の蝶


苗場山  標高: 2145m  登頂: 2008年10月18日

苗場山は信越国境の最奥部にあって、里から見えない(スキー場の「ナエバ」は、観光業者がはるか手前の「筍山」につけた芸名)。我々は秋山郷に前泊し、3合目まで車で入れる小赤沢からの最短ルートを登った。山頂は広々とした高層湿原で「神様の遊び場」と呼ばれる。昼寝でもしたくなる別天地だが、秋の日は短く、ノンビリしてはいられない。 

登山道の中腹から右に鳥甲山
錦秋
山頂直下の高層湿原
山頂の外れに石神様
夕暮れの苗場山の麓に秋山郷


巻機山  標高:1967m  登頂: 2004年10月13日

「まきはた」の語感が良い。巻機には「山頂」がいくつもある。尾根を登り切った「御機屋」に真新しい「山頂」の標識が立っている。美女が機織りをしたという伝説の場所だ。その右のなだらかなピークが最高点だが、標識はない。登山者が踏み荒らしたため、立入禁止にしたという。更に少し先に三角点があり、古びた標識が「山頂」と読める。まあ、どれが山頂か詮索するのは、百名山組だけだろうが。

登山道から割引山
前巻機山(通称ニセ巻機)
上越の山に錦秋
魚沼平野
帰途、割引山に午後の陽があたる


越後駒ケ岳  標高:2003m  登頂: 2004年9月26日  登山ツアー参加

上越のスキー場から、八海山の肩越しに白い頭が見える。登山口までの林道は、午前午後別の片道通行の難所である。登山道もアップダウンが延々と続く長丁場で、秋雨の中を黙々と歩いただけで、登山の記憶は何もない。 

平ヶ岳    標高:2141m  登頂: 2004年9月27日  登山ツアー参加

平ヶ岳は上越の山奥深く潜む。深田久弥は未踏のヤブをこぎ、3日がかりで登った。その後登山道は出来たが、標高差1300m、往復20kmの行程は、弱足では日帰りの限界を超える。だが、ズルの手段が無いわけでない。山腹の私有地に地主専用の林道があり、地主の車に便乗すれば行程は半分以下になる。 前日の駒ケ岳に続いてズブぬれの登山になった。山頂で深田の案内をしたという地元の長老が、興味深い話を聞かせてくれたが、秋の冷雨に体温を奪われ、感慨に浸るどころではなかった。

越後駒の小屋
越後駒山頂の展望はない
平ヶ岳の玉子岩
平ヶ岳の山頂は名前のとおり平坦
雲湧く山頂部
山頂の池塘


雨飾山  標高:1963m  登頂: 2006年10月20日

山名の風情も良いが、姿も良い。3度目に登頂できた深田は「ついに私は久恋の頂に立った」と書いた。我々は5月の連休に、怖いもの知らずにも雪の急斜面を軽装で直登した。山頂の近くまで登れたが、重装備の登山者が引き返すのを見て、我々も断念した。2年半後、燃えるような秋錦の中を登り、深田の心境を少しだけ察した。 

5月の雨飾山、登山口から
雪渓を直登したが、ここで断念。
秋の雨飾山
シンボルの布団菱
雨飾山頂
越後側から雨飾山を振り返る


火打山  標高:2463m  登頂: 2003年11月2日

派手な姿の妙高山が前に立っているので、火打山は目を惹かない。だが、日本にはこの山の北に、この山よりも高い山はない。笹ヶ峰キャンプ場から登り始め、高谷池から天狗ノ庭に出ると、どっしりと貫禄のある姿が現れる。妙高とペアで登るには、麓の二つの小屋のどちらかに泊る。夫々に趣きがあって、我々が泊った黒沢池ヒュッテでは、朝食に焼きたてのクレープが出た。

妙高山  標高:2454m  登頂: 2003年11月3日

秀麗な姿は「越後富士」と呼ばれるが、麓から外輪山の直下まで、スキー場のゲレンデがべったりと貼り付いている。、痛々しく見えるが、ここは日本のスキー発祥の地。越後富士にもガマンしてもらうしかない。一般に秀麗な山ほど登山はキツイ。妙高も例外でなく、外輪山をやっと乗り越えると、目の前に山頂の火口丘がモッコリと立ちはだかっていて、少々ウンザリする。 

天狗原から火打山のピラミッドを仰ぐ
火打山の山頂直下から妙高山を眺める
妙高山への稜線
左下に黒沢池ヒュッテの屋根
火口壁を越えると山頂へのウンザリする登り
山頂の標識は少々場違いの雰囲気


高妻山  標高:2353m  登頂: 1999年10月

戸隠牧場からの標高差1200mは、日帰り登山としては標準的だが、長い尾根歩きの後の頂上直下の急登にバテた。同じ道を下ったが、長い鎖場で渋滞待ちにひっかかり、牧場に戻った時は真っ暗闇だった。懐中電灯の電池が切れ、星明かりを頼りに車を見つけた時は、本当にホッとした。 

稜線に出ると高妻山がヌッと現れ、山頂の急登が思いやられる
登山道から白馬三山
妙高山
遠くに後立山の峰々
もう少しで山頂
山頂


四阿山  標高:2354m  登頂: 2000年11月4日

「あずまやさん」と読む。草津側からロープウェイが架かっているが、営業期間が短い。我々は晩秋に菅平から登った。貸切状態の旅館が気の毒だったが、霜柱を踏みながらの登りは快適で、澄みきった空気が北アルプスを眼の前まで引き寄せてくれた。 

根子岳から四阿山へ
菅平スキー場の向こうに槍~穂高の稜線
根子岳の先に白馬三山
長野市の上に高妻山
浅間山
富士山も


草津白根山  標高:2165m  登頂: 1999年11月

志賀草津道路の駐車場から、手軽に行ける山岳展望台である、ガイドブックによっては、御釜の北のピークを指すものもあるが、最高点は反対方向で、足下に万座温泉が見えるのが本白根山である。ただし山頂は火山ガスのため立入禁止。 写真は草津白根山から見た志賀高原の笠岳。

 

 


浅間山(黒斑山)  標高:2404m  登頂: 1997年11月2日

高校時代、長野市北部の校舎から、菅平の肩に浅間の噴煙が見えた。ビックリするほど高くまで噴煙が上がることもあり、そんな時は授業も上の空だった。火山活動のため山頂部の登山が制限されることが多く、百名山では外輪山の黒斑山で代替OKになっている。駐車場から1時間足らずで、圧倒的迫力の浅間本体を目前に眺められるのも悪くない。(浅間山は2012年に登り直した。) 

黒斑山から浅間山を望む 山頂から薄い噴煙が上がる