動機は思い出せないが、学生時代にニュージーランド(NZ)に憧れた。海外旅行が制限された時代で且つカネも無く、スポンサーを見つけて自動車旅行をしようと思ったが、努力もせずに甘い夢が実る筈がない。NZの旅が実現したのは定年近い1996年8月で、日本の会社も気兼ねなく1週間の夏休みがとれるようになり、歳甲斐なくNZスキーツアーに出かけた。これが初めての日本発の海外観光旅行でもあった(海外駐在、業務出張は別として)。5日間に3ヶ所のスキー場を駆け巡るせわしないツアーだったが、NZの町の落ち着きと人々の穏やかさに「憧れの国」を実感した。更に10年後の2006年、隣国バヌアツでの海外ボランテイアの余禄のかたちで、NZ縦断自動車旅行の夢が実現したのである。
この間、NZは平穏な「夢の国」だったわけではない。英国の下で農産物輸出国として発展したNZは、英国のEC加盟(1973年)で「捨て子」にされ、財政破綻に陥った。1984年に政権についた労働党のロンギ首相は「国民の支持を得られなくても、やるべきことはやる」と宣言、大胆な自由化による経済改革を強行した。当然ながら倒産急増と失業率悪化が起きてロンギ首相は下野したが、荒療治の結果NZの経済は成長軌道に乗り、高福祉政策の復活も可能になった。
現在のNZは経済的な規制が極めて少ない国とされているが、環境問題と自然保護では強い規制を設け、この面で世界のリーダーと目されている。女性の政治的権利の保障でも先駆的で、1893年に世界で初めて女性の参政権を認め、2006年には国家元首(総督)と三権の長(議長、首相、主席判事)が全員女性だったこともある。アーダーン現首相(労働党首37才)は2018年6月に初子出産の予定で、育休中はピータース副首相(NZファースト党首)が職務代行すると聞くと、女性が今もって「土俵の外」の国との落差に嘆息するしかない。
国連の「持続可能な開発ソリューションネットワーク」が発表した世界幸福度調査(2016年)によれば、NZは北欧諸国、スイス、カナダに次いで8番目にランクされている。経済的な豊かさ(一人あたりGDP)では日本より少し低いが、人生の選択の自由度、寛容さ(社会貢献への熱意)、腐敗の認識(社会・政府の腐敗、それに対する怒り)の評価が高く、それが高位ランクの要因になっている。ちなみに日本は先進国中最下位の53位で、NZとは対照的に、人生の選択の自由度、寛容さ、腐敗認識のスコアが低い。調査の時点(2016年)では昨今騒がしい数々のボロは露呈していなかった筈だが、「国際社会は既にお見通しだった…」と再度ため息が出る。
それにしても近年日本の劣化が著しい。産業界では、日本を代表する名門メーカーの粉飾決算に続いて、メーカーにとって基本中の基本たるべき検査データのねつ造やゴマカシがあちこちで発覚し、手抜き工法で新幹線が危うく転覆するところだった。政官界では、以前は「日本は政治家はダメだが官僚がしっかりしているから大丈夫」と言われたものだが、気骨ある官僚は影をひそめ、権力におもねって(忖度)保身する高級官僚ばかり目につく。都合の悪い記録を「廃棄した」ことにして組織を「自衛」する実力集団に至っては、国民を欺き続けて国を滅ぼした末に、書類を灰にして証拠隠滅を謀った旧軍そのままで、被災地で汗を流す隊士には気の毒だが、憲法明記なんてとんでもない、と思ってしまう。
こうして列挙すると、日本国の劣化は即ちこの国のエリートの劣化と分かる。エリートは「世のため人のため」に身命を尽くしてこそ、人の上に立つことが認められ尊敬されるが、我利我欲・自己防衛しか眼中になく、ボロが出たら姑息に逃げ回るエリートは、世の害毒でしかない。日本の劣化は、米国製で毒性の強い「新自由主義」を、体格も体質も違う日本が、丸呑みし続けて生じた中毒症状と小生は看ている。NZは徹底した「自由化」で国力を回復したとされるが、そこには英国エリートらしい「深謀遠慮」が働いたに違いなく、先祖伝来のハラ が黒いDNAは、NZの清らかな自然のパワーで毒気を抜かれたようにも見える。
前号でヨーロッパ人が植民地に付けた地名について書いたが、「クライストチャーチ」は、1840年代に始まった英国からの入植者の多くが、オクスフォード大学クライストチャーチ校の卒業生だったことが由来とされる。オクスフォードと言えば名門中の名門で、当初のNZ入植者がエリート中のエリートだったことを示している。もっともこれはNZ特有の事情ではなく、旧満州国でも日本人エリートが植民地経営を進めた。違うところは、英国エリートはNZ永住を決意して海を渡り、その子孫が今もNZの中核を成しているのに対し、日本エリートにとって満州国は「転勤先」だったことで、骨を埋めるつもりで渡ったエリートは少なかった。満州国消滅の際に軍が真っ先に脱出し、永住を前提に入植した一般生活者が置き去りにされた歴史は、もっと語られてよい。
クライストチャーチは1856年に勅許よって建設が始まったNZで最も古い都市で、建築家マウントフォートが設計したネオゴシック建築が残る旧市街は「英国以上に英国的」と言われていたが、2011年2月11日の地震で被害を受けた。復旧が困難と言われるのは残念で、我々は1996年と2006年に訪れて震災前の姿を見ることが出来たのはラッキーだった。
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格安レンタカー屋で3週間の長期で韓国製小型車を借りた。「燃料があまり入っていないよ」と言われたが、メーターを見るとほぼ満タンで、給油せずに田舎道を南西に向かった。英系のNZは日本と同じ右ハンドル左側通行なので、運転に不安はない。滅多に対向車の来ない田舎道をしばらく走ると、燃料切れのアラームが点灯した。メーターをよく見ると、何と「F」と「E」が左右逆ではないか! 満タンと思い込んでいたが実はカラだったのだ。こんな時に限ってガソリンスタンドが無い。最後通牒がピンポン鳴って「いよいよダメか…」と思った時、スタンドがあった! 韓国車の運転は初めての経験で、燃料計の左右逆表示は想定外だったが、その後は何事もなく3週間快調に走ってくれた。
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クイーンズタウンは大英帝国最盛期のヴィクトリア女王(在位1837~1901)を称えて名付けられた。地名考のついでに女王に因んだ地名を挙げてみると、カナダのヴィクトリア島、BC州都ヴィクトリア、アフリカのヴィクトリア湖、ヴィクトリア滝、香港のヴィクトリア湾など、枚挙にいとまがない。クイーンズタウンを「ヴィクトリアタウン」にしなかったのは、NZ第一の都市が大学名(クライストチャーチ)だったので遠慮した?と勝手に思ったりする。
クイーンズタウンにはゴールドラッシュで発展した歴史がある。1862年にワカテイブ湖に流れ込むショットオーバー川で金鉱が発見され、人口が数千人に膨れ上がった。金脈の枯渇で数百人に衰退した町を復活させたのは観光で、今は人口4万の町に年間130万人の観光客が訪れる。ちなみに年間1900万人が訪れる日本の箱根は、客足が少し落ちただけで大騒ぎになった。観光業が規模を追求すると自然破壊につながり、過当競争による薄利多売で自ら事業基盤を崩すことになる。NZではその辺りの抑制もキチンと利いているようだ。
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トレッキングの合間に休養を兼ね、古典的蒸気船のアーンスロー号で対岸のウォルター・ピークを訪れる。湖岸の観光牧場で羊と遊んだり羊毛刈りの実演を見たりして、のんびりと半日を過ごす。
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クイーンズタウン周辺に観光ポイントがたくさんあるが、トレッキングがメインの我々の日程ではとても巡りきれない。
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南島の旅の最後に北東岸のカイコウラまで足を伸ばした。カイコウラはマオリ語で「伊勢海老が食える場所」を意味し、それも旅の目的だったが、本命は「ホエールウォッチング」。急深の海がマッコウクジラのエサ場なのだ。
観光船は早朝に出港。鯨に出会えなかったら料金を8割返すことになっているので、船長と船員は必死。マストに登って双眼鏡で探し、探音器を下ろして鯨の鳴き声を探り、同業者と無線で連絡をとりあう。1時間余り収穫ゼロだったが、仲間からの無線で現場に急行。潮を吹いているクジラを発見し、静かに接近して潜水するタイミングを待つ。望遠レンズを目いっぱい引っ張ると、大きな尾びれが垂直に立った瞬間が撮れて大満足。
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