ミルフォードトラックのトレッキングもルートバーンと同じ「ガイド付ツアー」を申し込んだ。ルートバーンは定員20名に参加者8名だったが、人気の高いミルフォードはシーズン終わり近くでも満員でキャンセル待ちになり、NZに出発の1週間前にメールが届いてOKになった。定員48名中日本人は我々2人だけで、殆どがオーストラリア人とNZ人。英国とアイルランドからの参加者も数名いたが、要するに我々以外は全員が「イギリス系」。イギリス人は…とひとからげで「国民性」を決めつけるのは「偏見」と承知しているが、その国民が共有する風土や歴史・文化によって嗜好や行動に固有のパターンが生じ、それがDNAに刷り込まれても不思議はない。
我々は山歩きで雨に降られたくない。天気予報で雨とわかれば中止するし、ツアーで日程を変えられなければイヤイヤ出かけるが、えらく損をした気分になる。3日前に終えたルートバーントラックでは好天に恵まれ、秋の山岳トレッキングを満喫した。その後の2日間もまずまずの天気だったが、ミルフォードトラック出発の朝は曇天に変わっていた。クイーンズタウンの案内所に集合してバスが発車すると、チーフガイドが開口一番「天気予報はずっと雨、皆さんラッキー!」と言う。車内に歓声が湧き拍手する人もいて、イギリス人らしいブラックユーモアと思っていたが、マジで雨天を喜んでいたのだと、後になって知った。
ミルフォードトラックはNZ南島の南端に近い「フィヨルド地方」にあり、全行程56㎞のコースは「世界で一番美しい遊歩道」と呼ばれ、トレッカー垂涎の人気ルートだが、この地域は年間を通して水蒸気をたっぷり含んだ偏西風が吹き、西岸に屹立するサザン・アルプスにぶつかって雨を降らせる。ミルフォードは年間降雨量が5千ミリを超える世界有数の多雨地帯で、しかもトレッキングのルートは氷河が削った深いU字谷の底。そんな雨の谷底を4日間歩き通し、雨にけぶる風物を愛でるのがミルフォードトラックの神髄らしい。強いて言えば、日本人が好む「登山」とは逆の趣向なのだ。
英国人は「登山に熱心」という印象があるが、これは英国登山隊によるエベレスト初登頂の残像だろう。英国のエベレスト遠征は、衰退する大英帝国に喝を入れる「国威発揚プロジェクト」で、1921年の第一次隊以降、戦前だけで7次の登山隊を送り、たびたび犠牲者を出したが成功しなかった。大戦後にネパールが独立してエベレスト登山が許可されるや直ちに挑戦を再開、遂に1953年5月29日初登頂に成功して、エリザべス二世の戴冠に華を添えた。シェルパのテンジンと共に世界最高点に立ったヒラリーは実はニュージーランド人で、NZ南島のマウント・クック(標高3724m、今は先住民語のアオラキ)で登山技術を磨き、英国隊の一員として壮挙を遂げた。エベレスト初登頂以降、英国登山隊の華々しい活躍は思い当たらない。
そもそも英国本土に山らしい山はない。最高峰はスコットランド西部のベン・ネヴィス(標高1343m)で、箱根の金時山(1212m)よりちょっと高いだけ。上流階級が好んで「山遊び」に行くという「湖水地方」は、標高600m前後の丘を巡るトレッキングコースはあるが、南房総の里山歩きのようなもので、「登山」の気分は出そうもない。加えて大西洋の湿気を含んだ風が吹く英国は、年間を通じてジトジト雨が降る。英国紳士は洋傘を手放さないが、あれはステッキと同じアクセサリーで、多少の雨では傘を開かない。要するにイギリス人は平地歩きを好み、雨に濡れても平気な人たちなのである。
クイーンズタウンの案内所で専用大型バスに乗り朝9時半に出発。途中のテ アナウでゆっくりランチをとり、更に30分北のツアー専用の船着き場で乗船、約1時間でテ アナウ湖北端のグレードウオーフに到着。約30分歩いて宿舎グレードハウスに着く。我々にはシャワーと水洗トイレ付きのホテル並みのツインベッド個室が割当てられた(以降の3泊も同じ)。
ルートバントラックでガイドの働きぶりに感心したが、ミルフォードでも4人のガイドが献身的なサービスぶりを見せてくれた。今回も我々2人のために日本人女性のガイドが付き、適当な距離感を保ちつつ何気なく気遣いしてくれ、他のガイドと連携して全体にも目配りしているのが分かる。トップのガイドは大きな魔法瓶を何本も担ぎ、休憩小屋に先行して温かいお茶で我々を迎え、しんがりのガイドが後片付けをして追いつき、個性的なユーモアを発揮して疲れを忘れさせてくれる。宿に着けばキビキビと食事を準備して手際よく配膳し、夫々の客へも目配りも一流レストラン並み(あまり行ったことはないが)。こういうゼイタクな山歩き経験のない我々は少なからず感動し、高いツアー料金が還元されているという実感が湧く。
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朝8時の出発前に、ルートバーンと同じように昼食のサンドイッチを自作する。この日の行程は、標高200mのグレードハウスから標高400mのポンポローナロッジまでの15.6km。氷河が削った巾200mほどのU字谷の底を、雨林のブナに絡みつく苔や羊歯を見ながら歩く。樹林の間から断崖に架かる細い滝が見える。雨が降った時にだけ現れる滝で、イギリス人たちはしきりに褒めるが、華厳滝や那智滝に比べればチョロチョロ滝。感心する程素晴らしいとも思えないが、感性の違いを貶してはいけない。
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絶海の孤島ニュージーランドには固有種の生物が多い。肉食動物がいないので小動物に警戒心が薄く、小鳥たちも人を怖れずに足元まで寄ってくる。
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参加者は我々と同年代の人たちが多く、孫の話題が飛び交うのも日本の登山ツアーに似ているが、ドッシリおじさんもコロコロおばさんも健脚で、我々が一生懸命歩いても差は開くばかり。担当の日本人ガイドは「自分のペースで歩いて下さい、私が責任持ってお連れしますから」と言ってくれるが、あまり遅れては沽券にかかわる。16.5kmの緩やかな登りを、ゆっくりランチと休憩込みで5時間半で歩いたのだから、日本の老人登山ペースの1.5倍速かったことになる。
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ポンポローナロッジ → マッキノン峠(1050m)→ クィンティンロッジ → サザーランド滝往復 19.6㎞
この日はコース中唯一のアップダウンがある。標高400mのクインテインロッジから1050mのマッキノン峠を越え、標高250mのクィンティン・ロッジに下る14.6㎞に加え、到着後にサザランド滝往復の5㎞を歩くので、長い行程に備えてまだ薄暗い7時に出発。
この日のルート上には、ミルフォードトラック開拓に貢献した先人の名が刻まれている。ヨーロッパ人としてこの地域に最初に移住したドナルド・サザランドは、1880年に巨大な滝を発見し、海側から滝に至るトレッキングルートの整備に着手。フィヨルドの断崖に阻まれて断念したが、落差世界5位の滝の発見者としてその名が残った。1888年にクィンティン・マッキノンがクリントン渓谷側から峠を越えて滝に達し、更にミルフォードサウンドに至るルートの踏破に成功。1890年に今日我々が歩くミルフォード・トラックが開通し、彼の名は峠とロッジの名称に残った。
このルートには1894年頃からトレッカー用の小屋が建てられ始め、1903年にNZ政府観光局が直接管理する体制に移行した。国立公園制度は1872年の米国ヨセミテが世界初とされ、ヨーロッパではスウェーデンが1909年に初めて施行した。本国の英国で1949年にようやく国立公園法が成立したことを考えれば、NZの観光と自然保護政策のスタートは早かったと言える。ちなみに日本で国立公園法が制定されたのは1931年だが、自然保護の思想が盛り込まれたのは1957年の改正以降。現在の国立公園の所管は環境省だが、同省のホームページには国立公園に関する事項が見当たらない。何かある筈と思って探すと、やっと最後尾に小さな文字で「国立公園」のリンク表示を見つけた。その程度の位置付けと取り組みということだろうか。
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最終日は、標高250mのクインテインロッジから標高ゼロのトラック終点のサンドフライポイントまで、谷底のルートをひたすら歩く。U字谷の特徴として谷の奥から出口まで幅がほぼ一定で、集中豪雨に襲われると水の逃げ場がなく、谷底のルートは流失してしまう。そんな事故が度重なったので、U字の底より少し上に遊歩道を造成し直した。木道に滑り止めのネットを張る等、安全対策にも様々な配慮が施されている。尾瀬やあちこちの木道で滑って転んだ経験者としては、これら配慮が素晴らしく感じられる。
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5日目は観光船でミルフォードサウンドのフィヨルド観光。トレッキングツアーのオマケのようなものだが、このクルーズが目的で来る観光客が多く、クイーンズタウンからバスの便がある他、宿舎に隣接して小型機が離着陸できる飛行場があり、チャーター便が頻繁に飛んでいるようだ。
説明するまでもないが、フィヨルドは氷河が作ったU字谷が水没して出来た特異な地形。NZ南島の西岸、スカンジナビア半島西岸、アラスカ南部西岸のフィヨルドが知られている。どこも西岸なのは、偏西風による多雨(豪雪)がこの地域に厚さ千mを越える氷床を造った為で、ジワジワと流れ下った氷河が深いU字谷を削り出した。1万年前に最後の氷河期が終わって溶け出した水で海面が上昇し、U字谷が溺れてフィヨルドになった。
第四紀氷河時代の最後の残りがグリーンランドと南極の氷床で、更に温暖化が進めば融けて海面が上昇し、ミルフォードトラックのU字谷も溺れてフィヨルドになる。NZは貴重な観光資源を失うことになるが、それは早くても千年先のこと。その前に人類は絶滅(自滅)し、NZの賢いオウム「キーア」が新たな文明を築き始めているかもしれない。
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出発時の天気予報どおりずっと雨で、幸いどしゃ降りにはならなかったが、雨具を着っぱなしの4日間だった。イギリス人は喜んでいたが、我々はやっぱり晴れた方が嬉しい。景色も晴れた方が良く見えるし写真も撮りやすい。たいした写真が撮れなかったので、土産代わりにミルフォードの写真集を買った。作者はイギリス系の名前だが、開いてみると晴れた風景の方が圧倒的に多く、「やっぱりな…」という気がしないでもない。