エピ島が属するSHEFA州は、首都ポートビラのあるエファテ島をはじめ、比較的早くからヨーロッパ人による「開拓」が進んだ。19世紀半ばには、米国の南北戦争での綿の需要増をあてこんだ綿花栽培が行われ、それを契機に白人の定住が始まった。1872年にバヌアツで最初の奴隷狩り(Blackbirding)がエピ島で行われ、7千人いた島民がオーストラリアやフィジーに連れ出され、1千人まで減ったと言われている。

現在、エピ島に住む4千人の人たちの殆どは原始農漁業で暮らしているが、ジュゴン(人魚)と会える島として、エコツーリズムによる村おこしも盛んに行われ、首都から毎日定期便が出ている(と言っても定員19名の小型機が1便だけ、雨天欠航だが)。


昔むかし、エピ島におばあさんがいました。バナナが大好きで、家のまわりにバナナの樹をたくさん植えました。ある日のこと、村の人たちはみんな隣村へ出かけましたが、おばあさんは孫娘と二人だけで家にいました。二人は家のすぐそばで変な音がするのに気がつきました。それは、おばあさんが植えたバナナの木の方から聞こえてきました。

 ロボエ ロボエ タルンベ レレ ア ボマエ ランベ ニニベ
 テラ テラ テレル テレルベ テレ テレアルベ テレルブエ

「誰が畑で歌ってるんだろう?」とおばあさんが言いました。
「ばあちゃ、外には誰もいないよ!」と孫娘が答えました。

しばらく静かでしたが、また同じ歌が聞こえてきました。

 ロボエ ロボエ タルンベ レレ ア ボマエ ランベ ニニベ
 テラ テラ テレル テレルベ テレ テレアルベ テレルブエ

孫娘が外を覗いてみると、風もないのに、バナナの葉っぱが揺れていたので、びっくりしました。そのことをおばあさんに言うと、おばあさんはとても怒りました。おばあさんは杖をつかむと、バナナの木のところに行って、バンバンバンと力まかせにたたき続けたので、バナナの木はメチャメチャになってしまいました。

おばあさんが怒ったので、バナナの木は大きくなるのをやめました。だから、今もバナナの木は背が低いのです。もし、あの時おばあさんが怒らなかったら、バナナの木はヤシの木のように大きく伸びて、あの歌を歌い続けていたはずです。

 ロボエ ロボエ タルンベ レレ ア ボマエ ランベ ニニベ
 テラ テラ テレル テレルベ テレ テレアルベ テレルブエ


その昔、年寄りの男が若い女を好きになった。本当のことを言うと、まだ子供のような娘だったが、男は娘の父親のところに結婚の承諾をもらいに行った。父親は大喜びで、娘を年寄りの男の嫁にやることにして、嫁入り前の別れのご馳走を作った。それがすむと、娘は父親に連れられて夫の家に行った。夫になる男を見て、娘は悲しくなった。とても愛せるとは思えなかったのだ。だが、娘が何も言わなかったので、父親は娘をおいて家に帰った。

その夜、若い妻は、夫がぐっすりと眠るのを待って、こっそり家を出ると、自分の村に戻った。次の日、父親は娘を夫のもとに送り返した。娘は何度も逃げたが、その度に父親に送り返された。ある日、娘に考えが浮かんだ。自分の村に帰らなければよいのだ。誰にも見つからないように森に隠れよう。それから数日して、娘は森の中に逃げ込んだ。

娘は何日も何も食べずに歩き続け、疲れ果てて倒れる直前にナバラを見つけた。発芽したココナツの実だ。それを拾ってまた歩き続けると、大きな岩があった。その岩でナバラを割って食べ、元気を取り戻そうと思ったのだ。そう考えて岩に登ると、何とも不思議なことが起きた。その岩は娘を乗せたままどんどん大きくなって、空に届きそうになったのだ。恐ろしくなって飛び降りようとしたけれど、もう高くなりすぎていた。岩から逃れようがなくなったのだ。

岩の上にたった一人、食べるものはナバラしかなかった。娘は泣き出した。さんざん泣いて、下を見ると、その岩は大きな湖の真ん中にあることが分かった。岩のまわりを、大ウナギがグルグルと泳ぎまわっていた。もうそこから逃げようがなかった。

しばらくして、娘の家族は、娘に何が起きたのかを知り、どこにいるのかも分かった。彼等は岩のところに行って、娘が岩のてっぺんにいるのを見つけた。何とか下ろしてやろうとしたが、どうにもならなかった。とても悲しかったが、娘を運命に任せるしかなく、村へ帰っていった。

娘は岩に囚われたまま生き続け、そして死んだ。その岩は、マエモラルと呼ばれている丘のむこう側の、あの岩だ。