訳者註: マロ島は、バヌアツ最大サント島の東南に、従者のようにくっ付いた小さな島である。地図を見ると、この島が、近くの大きな島々のカナメの位置にあることが分かる。

バヌアツには、約4千年前にメラネシア人が渡来したと言われているが、マロ島は、最も早くから定住が始まった島らしい。大きな島々に囲まれた地理的条件から、この島を中心に交易が起こり、「文明」らしいものが、先行して発達していた可能性がある。

小生は、バヌアツでは、それぞれの島の小さな集落単位で、自給自足と原始共産制の暮らしが、最近まで続いてきたと思い込んでいた。だが、マロ島の民話を読むと、交易で産を成した豪商(?)が出てきたり、貧富格差を思わせる話が出てきたりもする。夫々に地域性があるのは当然で、バヌアツも、ひとくくりに考えるべきではないと、再認識した次第。


その昔、マロ島の山の中に有名な男がいた。男の名はモル・マラマラ。広い土地を持ち、大きなナカマルやヤムイモの畑、バナナの木、ニワトリや豚など、財産もたくさんあった。若い頃から勤勉だったので、こんな財産家になったのだ。彼は近くの村やよその島との交易を盛んにしたので、人々からたいへん尊敬されていた。

彼は、アンバエ、マエオやペンテコストの島々から敷物を買い取り、マロ島から儀式用の豚を売る商売に熱心だったが、近くのマレクラ島の北東の小さな島々や、サント島とも交易をしていた。仕事はとても忙しかったけれど、実のところ死ぬほど退屈だった。というのも、彼は独身だったのだ。

「俺がこの世からいなくなったら、この財産は誰が継ぐのだ? 人間はいずれ孤独な生涯を閉じることになる。相続人が要る」。一日の商売を済ませ、狩や漁労も終えて、一人で焚き火にあたっていると、そんな独り言が出ることが多かった。

ある日、モル・マラマラは、近くの村から、アハエという名の女を嫁にもらった。結納として、たくさんのヤム芋と立派な牙の生えた豚を払った。結婚してしばらくというもの、彼はあらゆる家事や雑事を自分でしたのは、妻が新婚生活を楽しくすごせるようにしてやりたかったからだ。

だが、モル・マラマラは仕事に戻らねばならない。家事や雑事をアハエにやってもらおうと思った。彼は妻に言った。「なあ、お前。焚き木を集めてくれないか。俺は畑に行って食い物を採ってくるから」

「いわだわ。あなたがやってよ、これまでどおりに」
「そんなら、ヤシの実を拾ってきてくれ。豚のエサにするから」
「いやよ、私は豚の世話なんかするために来たんじゃないわ」
「そうか、それならナカマルの掃除をしてくれ・・」
「とんでもない! 私はあなたの奴隷でも召使でもないんだから」

モル・マラマラはとても気落ちして、死んでしまいたいと思った。彼はナカマルに行き、マロ島ではアセマンサと呼ぶ、儀式用の豚の牙を取り出した。牙はヤシの繊維で編んだヒモで束ねてあった。それを持って家の裏の丘に登り、てっぺんで歌い始めた。家にいる妻に聞こえるように、大きな声で歌った。とても長い歌だった。

妻は小屋の中でだらしなく寝ころんでいたが、遠くから歌が聞こえるような気がした。「きっと夢でも見ているんだわ。ここには誰もいないもの。海辺のシュロの葉が風に鳴っているんだろう」

モル・マラマラは丘から海へおりて行きながら、二つ目の歌を歌った。やっとアハエはそれが夫の声と気付いた。モル・マラマラは、海で溺れて死のうと心に決めていた。海に入り、へそまで水につかった。アハエは夫がしようとしていることに気付いて、海辺に走った。満潮のサンゴ礁の上に立っている夫が見えた。モル・マラマラは、また歌い始めた。彼は浜辺をふり返り、妻が呼んでいるのを見た。

「戻って来て。家に戻ってちょうだい。あなたの言うとおりにするから!」

「見るんだ、あの丘の上を。ニワトリが逃げたぞ。どこかへ飛んでいってしまうぞ。よく見ろ、家が火事だぞ」

妻が丘の上に目をやっている間に、豚の牙を身につけたモル・マラマラは、悲しそうに海の中に消えていった。


その昔、マロ島の男たちの暮らしはシンプルだった。彼等は森の中に住んでいた。本当のことを言うと、ある風習がなければ、こんな暮らしはとても退屈だったのだ。新月になると、彼等は森から出て海に向かった。目的地は、小さな川の河口のナンガライだ。焚き火をして焼いて食うために、タロイモとヤムイモを持っていた。川の土手でイモを焼きながら、自分の冒険話を静かに語り合った。そうしながら、ある者を待っていたのだ。新月の夜にやってくる、月からの使者だ。

新月は本当に穏やかに空を渡る。中天からゆるゆると島に近づき、河口に接すると、澄んだ水の中に沈んでゆく。月はそんなふうにして、身を清めるのだと言われていた。しばらくすると、月はまた静かに空に登ってゆく。だが、高く昇る前に、地上から数メートルのところを漂い、ナンガライ川を明るく照らす。こうして次の新月までの別れを告げるのだ。新月の夜はいつも同じことが起き、男たちは月を崇拝する気持ちで、それを眺めやるのだ。

だが、男の一人は違うことをしようと思っていた。月を捕まえてみたい、それが彼の心からの望みだった。彼はそのことを口に出したことはなかったが、ある日、心から信用できると思っていた友達に、その秘密を明かした。友達はうろたえ、思いとどまらせようと、あらゆることをした。男は納得したふりをしたが、友達が反対したことで、欲望を一層つのらせた。次の新月の時に、絶対に捕まえてやると心に誓った。

待ちどおしかったが、遂にその夜が来た。彼は他の村人たちと一緒に、森を出て海辺に向かった。自然に振舞って、皆とうちとけた話をしながら歩いた。自分のタロ芋とヤム芋も持っていた。ナンガライに着くと、皆は焚き火をするためのホダ木と薪を拾った。焚き火が燃え上がり、イモを焼く人たちの顔を照らし出した。全員が嬉しそうに忙しがっていた。全員? いや、一人だけは、こっそりと抜け出して、川の右側の大きな岩の陰に隠れていた。

彼は月が出てくるのを待った。やがて月が中天に現われ、ゆっくりと沈み始めた。男は待ち構えていた。月はいつものように河口にさしかかり、冷たい水に半身を沈めた。その時だ。男は隠れ場所から飛び出すと、月に飛びかかり、片手で掴み取った。だが、月は男の指の間からスルリと抜け出た。月は空高く、いつもの場所にあった。

だが、ああ、何たることか、月は前と違っていた。あの男の手は、タロイモとヤムイモを運び、薪を拾い、火を熾したので、黒く汚れていた。その手で掴まれた月に、汚れた手の跡がついてしまったのだ。月は二度と前の姿に戻れなかった。

その運命の日から、月はナンガライの上を漂って輝くことはなかった。月は天空を急いで駆け回るようになったのだ。よく見ると、月の顔が黒く汚れているのが見えるだろう。それは、その昔、マロ島の男が残した手の痕なのだ。


その昔、マロ島に一人の貧しくて不幸な漁師がいた。ある日のこと、その男に幸運が舞い込んだ。魅力的な娘が現れて、恋に落ちたのだ。娘の方も、優しくて親切な男の虜になった。とは言うものの、恋をしたら金持ちになれるわけではない。二人は幸せだったけれど、貧乏のままだった。子供が生まれると、貧乏は一層ひどくなった。一人、二人、三人、四人、そして五人、全部男の子だった。夫婦はどうやって子供たちを育てたらよいか、途方にくれていた。男は毎朝海か川に漁に出かけ、妻は村に残って子供たちの面倒をみた。生活は苦しく欠乏していた。しかし、貧しさがかえって家族の絆を強くし、家族はお互いに敬愛しあっていた。

時が流れ、5人の息子たちは成長した。だが、母親は子供を育てることにエネルギーを使い果たしていた。家にいて、夫が漁に出るのを見送るのがやっとだった。息子達は、父親と一緒に漁に行きたがるようになった。父親は喜んで息子達を連れて行き、ゲームのようにして魚を獲った。魚が一番たくさん網に入っていたら一等賞、というわけだ。だが息子達は、父親が時々悲しそうな顔をするのを見た。それまでの厳しい人生が、彼の老いを早めていたのだ。息子達はそれを感じ取って悲しくなった。毎朝つくづくと父親を見て、漁に出るには疲れすぎていると思った時は、家に居るように言った。

「ゆっくりしていてよ。今日は俺達が魚を獲ってくるから」

両親は息子達の愛情と気配りを心から喜び、彼等が出かけてゆくのを、感動と誇りをもって見送った。

ある朝のこと、息子達は起き出して空を見た。空は一面に曇っていたが、土砂降りにはなりそうもなかった。雨はもう一週間も続いていたので、これは嬉しい知らせだった。父親は息子達と一緒に出るつもりでいたが、一番上の息子が止めた。

「今日はお母さんと一緒に居てください。雨が続いてドロンコ道だ。家でゆっくりしていた方が良い」

息子達だけで出かけて行った。昼になったが、息子達は戻ってこなかった。父親と母親は気がかりになり、気がかりは心配に変わった。

「俺が探しに行こう。いったいどうしたんだろう?」

外に出てみて、何が起きたか、すぐに分かった。

雨で増水した川は荒れ狂い、シュロの木、畑の作物、ガラクタ、何もかも押し流していた。父と母は長い間泣き叫び、子供たちを失った悲しみに打ちひしがれた。不幸と悲しみだけの人生を嘆いたが、不幸には慣れていた。自分達の生き方を取り戻すのに、長い時間はかからなかった。次の日、妻はまだ悲しみから立ち上がれなかったが、夫の方は、一つのことしか考えていなかった。妻を悲しみのあまり死なせてはいけないと。

「俺は漁に出る。お前は顔色が悪い。雨が降り出してから8日間も、何も食べていない。俺は漁に出て食い物をとってくる。これからはきっと良くなる。子供が生まれる前の生活に戻ればよいのだ」

母親は何も言わず、父親が出かけてゆくのを止めなかった。

男はいつものように川に網を投げた。海に近い河口だった。網を引くと、金魚が5匹かかっていたのを見て、どんなに驚いたことか。あんな美しいものを見たことがなかった。かかった魚が小さくてガッカリするのを忘れ、狂喜した。突然、5匹の金魚は5人の少年に変身した。男は死ぬほど驚いた。それは息子達だったのだ。信じられなかった。亡くしたと思っていた子供達が戻ったのだ。妻がどんなに喜ぶかと思った。

子供達が生きて帰ったことがあまりに嬉しく、食べ物を獲る事も忘れていた。彼等は幸せいっぱいだった。前の日に子供たちを奪い去った激流が、今日は子供達を連れ戻してくれたのだ。天が貧しい両親に味方したのだ。