人口21万のバヌアツには、今も110種の伝統言語が残り、夫々の集落で日常的に用いられている。それだけルーツが異なる部族が存在し続けてきたわけで、バヌアツ人の氏名も千差万別である。小生は外国人との付き合いが多かったが、人名を憶えるのが甚だ苦手で、耳に馴染み難いバヌアツ人の名前も殆ど憶えていないが、何故か、当時の大統領の「カルコット・マタスケレケレ閣下」の名前だけは忘れない。

バヌアツは英・仏による100年近い共同統治の時代を経て、1980年に独立を果たした。独立後の政治形態は、英国流の議員内閣制を模したと言われるが、大統領を首長とする共和制は、もう一方の旧宗主国だったフランスの影響(圧力)が感じられる。だが、バヌアツの大統領は国民の直接投票ではなく、議会と大酋長会議の合議に拠って選ばれ点は、フランスと異なる。

大酋長会議が出てくるところが、バヌアツ的な伝統の継承を感じさせて面白い。バヌアツの酋長は、権力者というよりも部族の世話役で、長老たちの意見を重んじつつ、集落を束ねる役割を果たす。必ずしも世襲ではなく、有資格者の中から互選で実力者を選出するシステムで、集落に住みこんで村おこしに奔走した日本の青年協力隊員が次期酋長に推挙され、JICAが大慌てしたことがあったらしい。


ソコマヌ伝説に出てくる場所(エファテ島)


ソコマヌ

あれはバヌアツが独立する数日前のことだ。今世紀初めに建てられたメレの木造の教会に村人が集まった。大事な集会だった。というのも、数日後に誕生するバヌアツ共和国の初代大統領に仲間の男が就任するので、それを祝福し、その地位を固めるための集会だったからだ。

長老(マタラウ)達はいく晩もかけてこの問題を議論してきた。ジョージ・アチ・カルコアというのがその男の名前だったが、大任に就く男の名前としては貫禄が足りなかった。歴史上の有名な名前をもらうべきだ、という意見があった。ロイマタ? 今更それはないだろう。ロイマタは確かに大酋長だったが、ヨーロッパ人が来て、その死後を詮索してから価値が下がった。マウイチキチキ? 神様の名前を軽々しく使うべきではない。新しい国のトップという重要な職務に見合う名前には、何か他の伝統ある名前から探さなければならなかった。

遂に結論が出た。1980年7月26日の土曜日、弁が立つことで尊敬を集めていたカルサウツ・ポイラパ酋長の息子、ピーター・ポイラパ酋長は、長老たちの総意を得た上で、新たな政府の面々を前に、ジョージ・カルコアをこう紹介したのである。

「本日から貴下の名をジョージ・アチ・ソコマヌと呼ぶ」

続いてカルマタク長老がこう告げた。

「先祖伝来の、この槍と棍棒を授与する。貴下はこれからこの国の市民の頂点に立つ人だ。我々は貴下をソコマヌ大統領と呼ぶことにする」

メレの歴史を頭脳に刻み込んだカルマタク長老は、ジェスチャーたっぷりに、エファテ島に伝わる伝説上の最も偉大なる武人の名跡を、新大統領に与えたのである。

メレの村

ポートビラ湾に住むポリネシア系のメレ族の名称は、ヨーロッパ人がやってくる前からあった島の名から取ったものである。その島はイメレ、あるいはメレと呼ばれていた。(語頭の「イ」や「エ」は冠詞で、例えばイリリキ、イフィラ、イルイチ、エラコール、エルナンギレなどのように使われる)。ヨーロッパ人がやって来た最初の年、メレ族が住んでいたエファテ本島の丘は危険と思われたので、村人はこの小さな島に引きこもった。キリスト教がやってくると危険が去り、彼等はまたエファテで畑作をするようになった。だが毎日夕方になると、水や薪や畑の収穫物を島に運ばなければならなかった。それで1950年8月28日に、メレの村はそっくりエファテ本島に引っ越して、今日に至っている。イメレの小さな島に静けさが戻り、踊り広場のマレアも草で覆われた。

伝説によれば、イメレは海の中から出てきた島である。漁師マウイチキチキが釣り竿を持ってやって来て、釣り糸を投げると岩が引っかかった。マウイチキチキが軽々と糸を引っ張ると、水面から岩が顔を出して島になった。マウイチキチキが強く糸を引かなかったので、島は小さいままになって、イメレと名付けられた。だがそんなことはどうでもよい。メレに伝わる伝説の中で、今日我々が最も関心を寄せているのは、ソコマヌのことだ。

ソコマヌとは何者か?

これから話すのは、偉大なる武人ソコマヌ・ラバの伝説である。「ラバ」は偉大、「マヌ」は武人を意味する。

その昔、エファテの人々は、島の内陸部のお互いに隔絶された小さな村で暮らしていた。夫々の村の酋長はアタヴィと呼ばれる長老頭によって補佐されていた。アタヴィはランクの高い者で、占い師、施術師、彫刻師、武術などの達人である。ファレアは議論を行う場所で、広場のマレアでは、ダンスや、立派な牙を持った豚を犠牲にする儀式が行われた。武人たちが村の警護と住民の名誉の保護にあたっていた。

トカイ・マカウという武人がいた。彼はエファテ島の北、パウナンギス村の対岸のカクラという小さな島の出身で、腕力も知力もあり、村の戦いを率いる男だったが、技芸の方は不得意だった。最もランクの高い者は最も出来の良い道具を持つべきである。トカイは立派な槍が欲しくなり、村の彫刻師に注文を出した。槍(コノコン)の注文を受けた職人は、すぐに作業にとりかかった。硬くて長い木を切り出し、彫刻を施して、細部まで美しく仕上げた。槍が出来上がって、焦がしたココナツオイルで磨き上げると、黒光りがした。

槍が出来上がった日、職人の家の前をソコマヌが通りかかった。彼は槍を見て尋ねた。「おい、あの槍は実に見事だな。誰の注文だ?」

「あなたのお友達のトカイ・マカウさんですよ。もうじき取りに見えます。カクラはメレから遠いけれど、もうすぐ見えるでしょう」

職人がしゃべり終える前にソコマヌが言った。「あれは俺が買うぞ」

「ソコマヌさん、あなたは偉い人だが、この槍は他の人の注文ですから」

「俺がトカイ・マカウを知らなかったら、この槍には手を出さない。だが、トカイは俺の親友だ。おれが貰う。あいつが来たら俺から話す」

職人は諦めて、ソコマヌが槍を手にするのを許した。かくして、誇り高いソコマヌ・ラバはコノコン槍を手にいれた。

トカイ・マカウはすぐに到着した。二人の出会いは意味深長であった。一方は偉大な武人ソコマヌであり、もう一方は、ソコマヌほど名を知られていなかったが、腕っぷしが自慢の武人、トカイ・マカウだった。メレのソコマヌと、カクラのトカイ。二人の武人は顔と顔を合わせた。

トカイが何か言おうとして体を動かすと、ソコマヌはそれを抑えるように説明を始めた。ソコマヌは先手を打たねばならなかった。

「俺はずっとこんな槍が欲しかった」とソコマヌが言った。「この職人の腕前を知らなかった。噂はマタラウで聞いてはいたが、この槍の見事さには本当に驚いた。こんなのをずっと探していたのだ」

ソコマヌはトカイに向かって早口でしゃべりまくり、言いくるめようとした。そして言った。「俺が買うのをあんたが認めてくれると思っていた。だから俺は職人に対価を払った」

トカイが何も言わないので、ソコマヌがまたしゃべった。

「これは俺が買ったものだ。俺は、豚の牙で作った腕輪と、亀の甲羅で作った耳飾りと、エロマンゴ島製の立派なタパの敷物を職人に与えた。職人はこの取引に満足したと思う。特にエロマンゴ製のタパは喜んだはずだ」

その島の名を言ってから、ソコマヌはトカイを見た。反応を見たかったのだ。エロマンゴ製のタパ!ソコマヌがエロマンゴ製のタパを持っていたとしたら、それは、ソコマヌがどれほど豊かで権力を持っているかを示すものだった。エロマンゴは、伝説上の偉人、ロイマタやウォタニマヌが出た神秘の島なのだ。エロマンゴ製のタパと言えば、それで勝負が決まると思ったのだ。だが、トカイは聞くだけで返事をしなかった。ソコマヌは軽く咳払いをして、対価のリストを続けた。

「それから、レレパの俺の親戚から来た羽根飾りもやった」

リストはまだ続いた。これが作戦だった。トカイはまだ黙ったままだった。それも作戦だ。

ソコマヌは大盤振る舞いをした。その気前の良さは、気の小さい者なら肝をつぶすはずだ。エファテ島で、エロマンゴ製のタパを持っている者が、他にいるだろうか?

トカイは既成事実の前に屈伏した。だが、実に不愉快だった。注文したコノコン槍を横取りされただけでなく、相手がかねがね嫉妬心を燃やしていた男だったからだ。カクラの武人、トカイ・マカウの胸中に憎しみがたぎった。男の誇り、武人の誇りの問題だった。職人の前でバカにされたのだ。

老職人は二人の武人の間に生じた気まずさを感じ取り、その緊張をほぐす手だてを思案した。彼はちょっと考えてから妻を呼んだ。「おい、このお二人は腹が減っておられる。何か食べるものを持って来い」

女は男の世界に関わるべきでない。特に武人の間に起きた問題には。だが、関わりたくなくても、話は聞こえてくる。女はいつも聞き耳をたてているものだ。老職人の妻も一部始終を聞いていた。女は、メレのソコマヌ・ラバのことも、カクラのトカイ・マカウのことも知っていた。

コノコン槍をめぐって二人の武人の間に生じた緊張は、老女を悩ませた。二人の不和が、部族間の戦争につながりかねないことを理解していたのだ。何が起きるのか分かっていた。戦争の決着がつくまで、女や子供は木の杭で囲まれた柵の中に入れられる。そんな時にどんな思いをするのか、老女はよく覚えていた。頭が良く、このような争いごとに慣れている女として、事態が悪い方へと進まないように努めた。自分と夫と、たまたま来ていた孫たちのために作っておいた食べ物があった。焼けた黒い石の上で、アツアツのラプラプが出来上がっていた。それを石から下ろし、べとべとの葉っぱをはがして、ヤムイモを取り出した。

老女は夫に言った。「さあ、これを食べてもらいましょう」

その言葉を待ちかねていた夫の職人は、早速こう言った。「さあ、食べておくんなさい。家内が私と孫たちのために作ってあった食事です。一緒に食べましょう。簡単な食事ですみませんが」

彼は言葉をどうつないでよいか分からなかったので、また言った。「さあ、食べましょう」

老人は二人の武人にヤムイモを分けた。まだ重い空気が流れていた。老女は小屋の隅から様子を見ていた。戦いの時が醸されているのが分かった。

ソコマヌが言った。「老人、俺は行くよ」

老女はヤムイモを一かけら葉っぱに包み、ソコマヌにあげた。ソコマヌ・ラバは立ち上がった。トカイ・マカウは、家とブタが走り回る畑を隔てている石の塀のところに行き、ソコマヌ・ラバに声を掛けた。彼は何か言わなければならなかった。その一瞬が非常に重要であることは、ソコマヌも知っていた。

「言いたいことがあるなら言え!」とソコマヌが言った。

トカイは直立した。カッとなっていたが、武人として、言うべきことは言わねばならない。

「これからこの塀をナブア・マホツと呼ぶことにする。道が壊れたという意味だ。俺達の友情はこれで終わりだ」

塀の両側で二人の男がにらみ合った。二人は、お互いに相手の頭のてっぺんから足の先まで視線を走らせ、どちらも目を逸らそうとしなかった。

ソコマヌが答えた。「トカイよ、お前にとってこの道が壊れたというのなら、俺にとっては、この道は火を吹いている。だから、俺はこの塀をナブア・ヴェラと呼ぶことにする。トカイよ、道は燃えているぞ。だが、壊れてはいない。まだ戦いという道があるからだ」

メレとカクラの武人の間で宣戦が布告された。老職人とその妻は、それまでのやりとりを見て、戦いがそこまで来たことを理解した。

「平和な時が無いなあ。カクラはウグナとペレから仲間を呼ぶだろうし、メレはイフィラ、ツクツク、レレパに助けを求めるだろう。また戦いが始まって、危ない目にあうぞ」

二人の武人は苦々しい言葉を投げ合って左右に別れた。二人の友情は終わり、戦いが始まったのだ。

イメレとエファテ南西のツクツクの村とは非常に重要な関係にあった。両方の村人たちの間では、今も風習や婚姻、同盟関係などの基本的な問題で、お互いに接触が続いている。

黄泉の国ツクツク

イメレとツクツクの間の海に悪魔岬(デヴィルズ・ポイント)が付き出ている。その岬にまつわる奇妙な話は、人はよほど強制されなければ語りたがらない。それは死後にさまよっていた霊が人間界に戻る話だからだ。死はいつも恐ろしいもので、死霊は生きた人間の間をうろついて問題を起こす。

男や女、時に子供がイメレから姿を消すと、その霊はしばらく歩いていろいろな試練に出合い、最終的に死の世界のツクツクにたどりつく。死霊が出会う最初の試練は、ソアラレマの神の前に出て、死者の葬式で犠牲に供せられたブタを繋いであった棕櫚のロープを持っているかどうかを、確かめられることである。ソアラレマの役目は、死霊が水の中の世界に入るのを許すことで、許された死者は蘇って、バンゴナに行くことが出来る。

だが、イメレからバンゴナまでの道のりは長い。人が死ぬとその霊は体を離れ、イメレとスアンゴ岬の間の小さな瀬を渡る。そこはテアエ川の沖積土がたまった場所の少し向こう側で、聖地とされている。死者の地はテマテから始まるとされており、そこで死霊の浄化が始まる。イメレの住民は、夜になると、河口に微かな光が上るのを見ることがある。おかしな音を聞くこともあるが、それは死者が長い旅を始める時の音なのだ。

死霊は、テマテを出ると黒い砂の浜に沿って進み、テムリの黒い岩にたどり着く。そこでは、大海の潮の流れや波しぶきが岩に吸い込まれ、飛沫となって再び現れる。死者のおびただしい涙がこの場所で飛び散るからだ。テムリは海の涙である。

その少し先がマトナヴィツムだ。ここでは、潮が低い時に、黒砂と小石の間から温泉が湧き出ている。死霊はここで何度も寝がえりをうって背中をこする。温泉が体をほぐして浄化するのだ。

温泉でくつろいだ後、死霊はサンゴの塊をくりぬいた穴をくぐり抜ける。その時に小人の武人や護衛が手助けをしてくれ、別の武人も反対側から頭を引っ張ってくれる。だが、まだ難しい試練は終わっていない。まだほんの始まったばかりなのだ。

その試練がブクラだ。死霊はカワネに着く。カワネは洞穴で、そこには生け贄を据えるテーブルがある。死霊が滑らかで白い石のテーブルに横たわると、閻魔が舌を抜くのだ。血が流れる。死霊はもう話すことができず、声にならない叫びは誰にも聞こえない。次に悪魔岬の白砂で砕けた波の泡で口をゆすぎ、ベレル・ナコウィアと呼ばれるブラオの葉で口を拭く。

そしてようやくツクツクに到着する。ここが水中の死者の地バンゴナだ。湾の真ん中あたりの海中は真っ白い砂で、その上に赤いマットが敷いてある。このマットがバンゴナの入口だ。それまでの数々の試練に疲れた死者は、この赤いマットの上に横たわり、それが最後の眠りとなる。これがエファテの「死の眠り」だ。ツクツクの白砂の湾には、赤い葉のブラオの木と永遠の樹のガジュマルがある。ここが先祖の村のファレアだ。右に岬に向かって白い岩があり、そこからレトカが見える。そこがリヴァイだ。そこに住んでいるのがソアラレマの神様で、その神様が、葬式の時に犠牲のブタを繋いだ棕櫚のロープを、死者が持ってきたかどうかを確かめるのだ。

ただのロープを見せて神様を欺こうとした死者は、頭骸骨を棍棒で叩き潰され、ブタの血のかわりに自分の血を流さねばならないことになる。ブラオの赤い葉で身を拭うと、死霊はシヌという木のてっぺんまで昇る。そこでもう一人の神様のマナウモリを呼ぶと、その神様が大きな波を起こし、死霊をバンゴナまで送ってくれる。とてつもない大波がやってきて死霊を包みこみ、水中に引き込んで、それをテララソの穴に投げ込む。そこが水底の死者の地なのだ。

水面下には、とてつもなくたくさんの階層からなる「あの世」がある。川に近いところで泳ぐと、熱い水と冷たい水が層になっているのを感ずるが、あのようなものだと思えばよい。天国はマンガルア・ノポノポ、地獄はマンガルア・ヴェラで、死者の新たな一生がそこで始まる、

イメレからやって来た死霊は、幾多の試練を通って、あの世で長い時を迎えることになる。これがバンゴナだ!そこは水底の死者の地であり、エファテに住んでいた者にとって、ツクツクの入口なのだ。だが、ツクツクはロエの一族の土地でもあった。ツクツクはカスアリナスの林に囲まれた深い入江で、カスアリナスの根が海中のサンゴ礁を砕いて出来た白砂で覆われている。そこは実に居心地のよい場所なのだ。

ツクツクからタフラに乗って

ここからはロエの一族の話である。ツクツクはロエの一族の村だった。ロエはその酋長だったが、彼が一人で全てを統治していたということではない。バヌアツでは、他の人の意見を聞かずに物事を決めることはない。ロエは他の人の意見を聞き、そこから学んだ。

ロエは大きなカヌーを持っていた。カヌーの名はタフラと言った。ロエは友人達の助けを借りてそのカヌーを作った。タマヌかナバングラの硬い木の幹をくりぬいたもので、そういう木は美しい色をしており、太陽にあたっても割れない。タフラにはバンダナスを織った帆が張られ、それは蝶の羽の形をしていた。カヌーにはデッキがなく、二本の横板を付けただけだった。横に4本の棒を通し、その先の木のフロートはナサマと呼ばれた。帆は前後に二枚あった。船上に台があって、畑で収穫した野菜を濡れないように運んだ。ロエのカヌーは8人を運ぶことが出来た。頑丈に作られていて、戦いの時はパンダナスを編んで染めた旗を掲げた。ロエは優秀な海洋族ではなかったが、風を読め、風がカヌーをとんでもなく危険な場所に連れて行ってしまうことも知っていた。ロエはエファテ周辺のさまざまな風について子供たちに教えた。

「北風はタケラウと言って、クワエの方から吹いてくる。スアファテはツクツク湾を南から北へ抜ける風で、ここらの者には都合のよい風だ。スオヒツはパンゴ岬の方から吹き、カンドゥはレトカかレレパの方から吹いてくる」

ロエは風の名を言うのが好きだった。風の呼び名を舌の上で転がし、それはまるで悪魔岬で波が岩を洗うような感じだった。ロエの話は聞く者を魅惑した。彼の10人の子供たちも話をせがんだ。あちこち旅をしたロエは、激しく噴火する火山の話や、村中の人を皆殺しにして食ってしまった酋長の話をした。

ロエの一番下の子供はよくこう言った。「お父さん、サンガレガレの話をしてよ。長い髪の小人で、後ろ向きに歩く奴だよ。ねえ、お父さん、サンガレガレの子供はお父さんの髪にぶら下がるんだよね。サンガレガレの爪は蝙蝠の爪みたいなんだよね!」

他の子供も言った。「サンガレガレは走りながら乳を背中に放りあげるんだよね!おとうさん、エマウのサンガレガレの話をしてよ。エマウの人みたいに巻き舌で話してよ。ナロンゴロンゴロアって言ってみてよ!」

ロエの10人の子供たちは笑い転げ、それから父親を宇宙の中心のように得意に思った。ロエは、こんな会話を通して、子供たちに知恵をつけたのだ。

「海に出て、どこにいるかわからなくなったら、海の神の名前を思い出して祈るのだ。アル・ナ・マウリの名を呼べ。俺が悪魔岬を通過するとき、よくあの神様が助けてくれるのだ」

ロエはこの話をよく子供たちにした。子供たちは一緒に遊んでくれと言ってうるさくつきまとい、一緒に畑に行ったり、葦の矢の当てっこしたり、湾で泳いだり、カヌーの帆をいじったりした。カヌーは大きく、ロエの一家全員が乗れるほどだった。

子供たちは何年もツクツク湾の中でカヌーを操る訓練をしてきたが、ある日、彼等は湾から外洋に出ることにした。風はそれほど強くなかった。都合のよいスアファテ風がそよ吹くだけだった。だが、外洋に出ると、スアファテは甚だ危険な風だった。その上、子供たちには海流のことが頭になかった。彼等は海流のことを全く知らず、風が吹けば船は進むものとしか思っていなかったのだ。たしかに、湾の中には海流は流れていなかった。

パンダナスの帆をいっぱいに膨らませたタフラは、もう行きたいと思う方向へは進んでいなかった。スコールが来てカヌーを包んだ。子供たちは大慌てになり、舟べりにしがみついて泣き叫んだが、風が彼等の声を吹き消した。彼等はウオ・マチに向けて力一杯漕いだが、舵が効かなくなっていた。カヌーの船底に悪霊がとりつき、どこか知らない場所に引っ張ってゆこうとしているみたいだった。ツクツク岬はとうに後ろになり、レトカ、レレパ、そしてモソ島が次々に見え、近づき、そして船尾の方に消えた。島が近づいては後ろに飛び去った。カンドゥの風が後ろからカヌーを押し、船底にとりついた悪霊がカヌーを引きまわした。カヌーはウグナに近づき、そしてようやく、マリウォタ酋長の土地の浜に打ち上げられた。

「子供たちよ、お父さんがいないのに、ここで何をしているのだ?わしはツクツクのロエ酋長の友達じゃ。良く来たな。だが、驚いたぞ。カヌーで旅をする時には十分に気をつけるものだ。カンドゥの風が強いと、お前たちは殺されて食われたり、奴隷にされたりする場所に行ってしまうのだぞ。わしの家でおとなしくしていなさい。トケラウの風が吹いたら家に戻れる。お前たちはやんちゃすぎて、わしの手に負えない。お前たちは10人もいるのだ。お前たちをファレアに入れて鍵をかけておこう。そこで待っていなさい。わしはこれから畑に行くが、夕方帰ってきたら食べるものを持ってきてやろう」

ウグナのマリウォタ酋長は、子供たちが浜辺で遊ぶべきではないと考えていた。その頃は戦争がひっきりなしに起きていて、危険な時代だった。子供がカヌーで遊びまわるなんてことは… いや、嫉妬深い酋長にとって、それはなかなか魅惑的なことだったのかもしれないが。

マリウォタ酋長は毎日畑に出かけた。そこが彼の生活の殆どを過ごす場所だった。彼一人で行く時もあったし、妻が一緒に行く時もあった。大規模な焼き畑をしたり巨木の根を掘り起こしたりする時には、他の村人も手伝った。ヤムイモが育つ頃、食欲旺盛な放し飼いの豚から守るための柵を作ったりする時は、村人が総出で参加した。

だが、その日はマリウォタが一人で出かけ、とても忙しかった。彼は子供たちをナカマルに閉じ込め、必要な注意を与えていたが、まだ心配だった。彼は足をひきずり、ちょっと思案した。何回も立ちどまって頭をかいては後ろを振り向き、ためらいを感じ、それからエファテの山の上の木々に注意をそらせながら仕事を続けた。彼は友達のツクツクのロエ酋長のことを考えていた。

「ロエの一族は大家族だ。とても大事な家族の筈だ。それなのに、あの子供たちは何故ウグナの、それもわしの土地に流れ着いたのだろう?何か悪いことが起きたら、わしはどうすればよいのだ?」

マリウォタは歩き続けた。彼はナカマルのそばで子供たちを守っているわけにゆかない。子供たちには食べ物が要る。10人の口をいつまで食わせ続けることができるだろうか?老酋長は自分の畑に着くと、ちょっと肩をつぼめ、立ったり座ったり、立ったり座ったりしながらサツマイモを掘り始めた。そうしてサツマイモを積み上げた。

「わしは、ペレの連中とのイザコザで困っているところだ。それに加えて、今度は10人の子供を食わせて、守ってやらねばならぬ。食わせるのは何とかなる。畑は広いし、しばらくサイクロンも来ていない。だが、守ってやるのは大変なことだ!そうだ、知恵者のナウォタならば助けてくれるだろう。あいつはわしと同じく年寄りだし、子供の命を守る勇気もくれるだろう」

マリウォタはバナナの大きな房を切った。太いバナナは運びやすいし料理しやすい。

「ワイフはかわいそうだな。今夜は10人の子供に食わせなければならん。疲れているだろうが、畑から帰ったらまた働いてくれ」

カクラ島の偉大な武人トカイ・マカウは、ソコマヌ・ラバと冷たい口論をした後で、イライラして激怒していた。エファテで一番強い武人が、ひどい侮辱を受けたのだ。ソコマヌ・ラバはこう言った。「ナブア・ヴェラ、戦って決着をつけるぞ!」

トカイは筋肉を燃え上がる寸前まで張りつめらせ、カクラ島の中を足を踏みしめて歩き回った。彼にはこの島は小さ過ぎた。「ナブア・ヴェラ」、と彼は口の中で繰り返した。「俺は戦うぞ!」 彼の全身は怒りで震え、首は膨れ上がり、肩の筋肉が隆起し、胴体が波うち、腰が身震いし、ふくらはぎが張り詰めた。怒りが彼をこれまで以上に強い男にした。トカイ・マカウはハンサムな男だったが、顔は怒りでひきつり、いつもは穏やかな目は、吊り上って毒気を放っていた。

二人の武人が仲違いしたというニュースは、モソ、ウグナ、ペレ、エファテ、カクラの島々に電光のように伝わり、島々を隔てる狭い海域に、あっという間に荒波が立った。エマウ島だけがツンボ桟敷だったが、エマウは離れ島だし、トケラウの風がカヌーを逆方向に向けてしまったのかもしれない。ウグナとカクラは近くて行き来が容易だったが、エマウは遠く、小舟での航海が危険で往来が少なかったのだ。

ウグナ島からカクラ島へは情報がすぐ伝わったので、エファテ北部の人たちは、ウグナのウタンランのマリウォタの小屋に、ツクツクのロエ酋長の10人の子供たちがいることを知っていた。当然、カクラ島のあの武人も、そのことを聞いていた。彼は躊躇することなく、カヌーにレイムレのバナナを積んでウグナに向かった。マリウォタの小屋のドアをこじ開けようとしたのだ。カクラ島を出てペレの海岸に沿って漕ぎ、朝早くにウグナのチキラソアに上陸すると、岩陰に見えなくなった。

トカイ・マカウがウグナへと漕ぎ上がって行くのを、ペレの海岸で貝を拾っていた老女が見た。老女は身を隠したので、武人の方は老女に気付かなかった。老女は男の漕ぎ方が尋常でないと思った。トカイは怒り狂ってウグナに向かっていたのだ。カヌーが見えなくなり、老女は貝を拾い続けた。

ウタンランに着いたトカイ・マカウは、マリウォタの小屋のドアを叩いた。子供たちは恐怖で身を寄せ合った。武人は大声で叫びながら小屋に押し入り、棍棒で子供たちを全員叩き殺した。そうしてからドアを閉め、レイムレのバナナをドアの上に掛けると、カクラへと戻って行った。一連の行為は激しく且つ迅速だった。

マリウォタは畑から帰って子供たちを呼んだ。答えはなかった。もう一度呼んだが、静かだった。小屋のドアを開けて中に入ると、そこは地獄絵だった。子供たちが頭蓋骨を砕かれて血の海に倒れていた。マリウォタは慌てた。村を駆け回ってタムタムを叩き、村人を呼び集めた。

「男を見かけた者はいないか?あのカクラの武人に違いない。ロエの10人の子供たちが小屋で殺されていたぞ!」

村中に衝撃が走った。誰からも答えがなかった。誰も何も知らなかったのだ。

マリウォタは助手(アタヴィ)を呼んだ。「お前は俺のカヌーでペレに行ってくれ。何か情報があったらすぐ知らせるのだ。ペレの連中が何も知らなかったら、エパウに行って調べてくれ」

アタヴィはペレに着いた。虐殺のニュースはすぐ島中に伝わり、老女が言った。「わたしが浜で貝を拾っていると、トカイ・マカウがカヌーで来たよ。とても腹を立てていたみたいだ。この島の近くを漕いで、チキラソアの方へ行き、そこで見えなくなったよ」

老女はそこで息をつき、ちょっと考えてからつけ加えた。

「それから2時間たって、トカイが戻ってきたよ。あんまり早かったのでびっくりした。ツクツクのロエの子供を殺したのはあいつだよ。あいつに違いない!」

誰が子供を殺したのかが分かった。アタヴィはカヌーを漕いでウグナに戻り、直ちに酋長に報告した。「ロエの子供を殺したのはトカイです。ペレの老女がトカイを見ました」

それを聞いて酋長は驚かなかったが、ひどく力を落とした。

「アタヴィ、カヌーに帆を架けて急いでツクツクに行ってくれ。ロエ酋長に言うのだ。彼の子供たちがカクラの武人に殺されたと。俺達はロエに同情して泣き暮れているが、俺自身でこの知らせを伝えに行く勇気がない。犯人はトカイだ、とな」

その知らせを聞いたロエは、膝を折って泣き崩れた。もう10人の子供たちはいないのだ。

「ああ、ナウォタの神よ、俺を助けてくれ!復讐の手助けをしてくれ。村の者たち、発芽したヤシの実をエファテの全部の村と仲間の者たちに送り届けるのだ。俺はトカイの首に賞金を賭ける。ヤシの実はその誓約の証しだ!」

ツクツクの全てのタムタムが一日中打ち鳴らされ、喪を知らせる法螺貝がエファテの全ての村々で吹き鳴らされた。ツクツクのロエの家で喪が営まれた。

イメレ島は空っぽになり、レレパの島民も船いっぱいにマットを積んで海を渡った。みんなツクツクの弔いに出かけたのだ。ロエは泣き叫び、髭を伸びるに任せた。喪に服して切らなかったのだ。エファテ中から弔問客が集まった。巨大な豚が屠られ、その頭がメレのソコマヌ兄弟に献じられた。

メレの偉大なる武人、ソコマヌ・ラバは、勘で何をなすべきかを感じとっていた。「おい、小さいラプラプを作ってくれ。出陣することになるぞ」、と妻に言った。

ソコマヌと妻はイメレからエファテに渡り、畑でヤムイモを掘った。妻が掘っている間、ソコマヌは乾燥したヤシの実を探したが、彼等の畑には一つも無かった。地面に倒れたココヤシもひっくり返してみたが、無かった。ようやく木のてっぺんに一個だけ見つけた。ソコマヌは、マウイチキチキが使った壺の破片を地面から拾い、それをヤシの実に投げつけたが、何も起きなかった。怒ってヤシの木に登り、ヤシの実をもぎ取って地上に投げつけた。

妻がヤムイモを3本持ってきた。ソコマヌはそれを力まかせに折ろうとしたが、折れなかった。もう一度力を込めてやり直してみたが、柔らかい筈のヤムイモが折れなかった。どうしてもダメだった。だが、彼はそれで満足だった。それが死者の国からのお告げだったからだ。お告げは、作物を媒体として届けられるのだ。これでトカイ・マカウに勝てることが確かになった。二人はイメレの島に戻った。

ソコマヌの妻は、竹のナイフでヤムイモを剝き、ヤシの実を割ってそのジュースと混ぜ、お供え用のラプラプを作った。剥いた皮を捨てに海へ行くと、カヌーが来るのが見えた。カヌーの形と漕ぎ方で、それが義理の弟だとわかった。

「ツクツクから来たよ。何があったのだろう?」

弟がカヌーを浜に引き揚げるのを手伝いながら、ソコマヌが尋ねた。「おい、何があったのだ?顔が青いぞ。口もきけないのか!」

弟は答えるかわりに、ツクツクの葬式で犠牲に供されたブタの頭を、ソコマヌの足もとに投げた。

「弟よ、話してくれ。ツクツクの仲間が、俺を必要としているようだな」

弟は頭を垂れて言った。「ロエの10人の子供がトカイ・マカウに殺された。子供たちは、タフラの風に吹かれてウグナのウタンランの浜に流れ着いた。マリウォタが小屋に隠していたのだが、カクラの武人がその場所を知って、マリウォタが畑に出ている間に、皆殺しにしてしまった。ペレの老女が、トカイが通り過ぎるのを見た。ロエが弔いに豚を殺して、その頭を俺達に献じた。それを持ってきた」

偉大なるソコマヌは知らせを聞き、言葉を失って呆然と立ち尽くした。聞き終わると、彼は立ち上がって弟を見つめて叫んだ。「死だ。トカイ・マカウを殺して、仲間の仇を討ってやる。ツクツクに戻ってロエに伝えろ。俺が行くと。おい、ラプラプを石から下ろせ。それを食って出陣するのだ」

ラプラプを食い終わると、ソコマヌ・ラバは出陣の準備をした。貝で縁取りした一番美しいマットを腰に巻いて男ぶりを上げ、二の腕の力瘤に腕輪を巻き、髪に黒い羽根を挿した。支度が整ったところで、ソコマヌは、コノコン槍と同じモチーフを刻んだセルの櫛をつかんだ。怒りの形相を示し、その櫛を小屋のナガンゴラの天井に向けて投げ、妻に言った。

「おい、あの櫛を見ていてくれ。俺がトカイ・マカウを殺しても何も起きないが、もし俺の身に何かあれば、セルの櫛の先から血が流れる。あの櫛をお前にやる。さあ、長老を呼んで来てくれ」

老人がやってきた。腰が曲がっていたが、ソコマヌに尊敬を寄せていた。

「何か用かな」と老人が言った。

「タシラ長老、あなたが俺の顧問団の中で一番年上で一番の知恵者だ。一族の代表として浜で待っていてくれ。俺が勝ったらそのしるしを送る。長老、よく見ていてくれ。あなたなら出来るはずだ。俺は出陣する」

ソコマヌはカヌーに乗り込んだ。背筋をまっすぐ伸ばし、メレの平原の先のエファテの山々に目をやった。そうしてから神経を集中し、櫓を持って叫んだ。「もし俺にトカイ・マカウを殺す力があるならば、この櫂をひと漕ぎするだけで、カヌーはエファテまで進む筈だ。祖先よ、俺を守ってくれ!」

櫂の先をちょっとかいただけで、ソコマヌのカヌーは海を走り、エファテの岸に乗り上げた。

武人はスアンゴ岬までカヌーを漕ぎ、その浜で戦いに臨む儀式をした。エファテの武人の習わしとして、武器を扱う動作を三度繰り返す。初めに槍を持った。カクラの武人を守る兵士を殺す武器だ。ソコマヌの体に熱がこもり、体中の筋肉が引き締まった。エファテで最も美しいコノコンの槍を投げると、それは砂に突き刺さった。この動作を三度繰り返した。次に棍棒のナルナルを持った。これは最後にトカイ・マカウの頭蓋骨を砕く道具だ。ソコマヌは後ろに下がって助走し、棍棒を振りかぶって投げた。それは砂の上に落ちた。それも三度繰り返した。これで出陣の準備が万端整ったのだ。

偉人ソコマヌの怒り

準備が整ったメレの武人は、イメレ島を出発した。仲間に必勝の決意を促し、妻にはナタンゴラの天井に差した櫛を良く見ているように言った。彼はこれも三度繰り返した。最強の神のナウォタの加護を受けたのだ。これで準備は万全、トカイ・マカウに立ち向かうことが出来る。素晴らしい神技でカクラの武人を倒すのだ。

ソコマヌの弟は別の方角に向けて出発した。バンクラからバンゴナへ、そしてその少し先のツクツク湾へ。ツクツクには沢山の人が集まっていた。ブファ、レンタパオ、エパウ、エルエチ、マラポア、それにエパングツイから来た人もいた。みんな一族や同盟関係にある者たちで、遠いところから来た親戚もいた。彼等は10日間続く葬儀に集まっていたのだ。

原っぱに煙の上がっている穴が見えた。石を焼いてラプラプを作っている穴があり、食べ物の殻や落ち葉を燃やす穴もあった。大きなナタポアの木の下に家族単位で座り、近くの島から弔問にやって来る人たちを待っていた。川のほとりのガジュマルの巨木の下では、男たちの一団がタムタムを叩き、いくつものタムタムが呼応して丘に響き渡っていた。踊り広場のマラエでは、グループが次から次にやって来て踊り、ナサラの隅では女たちが10人集まって悲しげに踊りながら、時々泣き声をあげていた。

ツクツクで弔いが続いているところへ、ソコマヌの弟が息を切らして走り込んで来た。ダンスが中断され、武人の弟が話し始めた。

「皆の衆、二人の武人の戦いが始まるぞ。エファテの地が鳴動するぞ。ロエの子供たちの仇を討つ戦いだぞ。ウダオネの湾の向こうの草原を良く見るのだ。枯れ草原の枯れ葦が踏みしだかれているぞ」

仲間や親戚や年寄りや女や男、全員が枯れ草原の方を見た。全員の目がエファテの北の方向に集まった。イメレを出発したソコマヌは、驚くべき速さでその場所へと向かっていた。ラマの森を横切り、レレパとモソの島を横眼で見て走った。息づかいも荒く走るソコマヌの足の下のエファテの地面は、その響きを反響しているようだった。ハンサムな武人の顔に汗がしたたり、彼の肺に新鮮な海風が吸い込まれ、それはラマの山の清々しい空気を溜めこんでいるようだった。立ち止まって息をつくと、彼はクワエ島の方をしっかりと見据えた。その方角は海も水平線も雲で覆われていた。彼はもう一度ナウォタの神の名を唱え、槍と棍棒を持って走りだした。神がソコマヌに他の誰も持てないような力を与えていた。彼の姿が枯れ草原に消えた。地面は乾き、赤い土が太陽の下でひび割れていた。再び現れたソコマヌは、力強く威厳に満ちていた。彼は力強く腕をふるい、顔に怒気を表し、体中に力に満ちていた。彼が通ったあとの地面から土煙が上がり、まるで枯れ草が燃えているようだった。

ツクツクでは、集まった人たちが、ウダオネ湾の方から上がる土煙を見て言った。

「ソコマヌ・ラバ、偉大なるソコマヌが行進しているぞ。トカイ・マカウと戦うのだ。地面が揺れるぞ。エファテの地が鳴動するぞ」

土煙が空中で止まり、武人が方向を変えた。彼はツクツクにやって来たのだ。

「トカイ・マカウがロエの10人の子供を殺した。エファテ中が泣き、全ての人々が喪に服している。それなのに、お前たちはそこでカバを飲んでいる!ナウォタの神は、お前たちの無抵抗ぶりを見て、罰を与えるぞ!」

一人の男が言いわけをしようとした。「ソコマヌ、あなたは我々の守り手だ。我々の武人であり、最も偉大な人であり、あなたが来るのを皆で待っていたのだ!」

「おまえたちは、俺を待ちながら、怒りを鎮めるカバを飲んでいる。許せないぞ!」

メレの武人は、ヤシの殻で作ったカバの容器の周りに集まっている男たちから棍棒を取り上げ、怒りにまかせて容器を叩き潰した。

「今はカバを飲んでいる時か!カバは体と心を鎮めるものだ。俺達はトカイ・マカウとの戦いに行くのだぞ。カバを捨てろ!」

男たちは武人の怒りに震えあがった。皆はちぢみあがって身を寄せ、散乱したヤシ殻の容器と、ツクツクの地面に流れたカバを見た。カバをこぼすのは忌み事なのだ。だが、誰もこの事を武人に言わなかった。ソコマヌは続けた。

「明日の朝、一番鶏が啼いたら全員で出陣する。良く聞け!ロエの10人の子供が死に、お前たちは十分に悲しんだ。今こそ行動を起こす時だぞ!」

ロエが集会所に入って来た。目に悲しみが満ち、顔に表情がなかった。不精ひげが彼の悲しみを表していた。彼は、おびえた男たち、地面に転がった棍棒、散らばったカバの容器、そして、地面に流れたカバに目をやった。そこにソコマヌがいた。彼には無限の力が溢れていた。憤怒の塊だった。

ロエが男たちに言った。
「ソコマヌの言う通りにしよう。彼の言葉は天の言葉だ。彼の怒りは正当だ。カバをこぼした償いは後でせねばならぬ。さあ、彼に続こう!」

ソコマヌは男たちを発奮させ、出陣の合図を送った。カクラに向けて、枯草と枯れ葦しか生えていない丘を越えた。ウラオネ、サアマを過ぎてパウナンギスに着くと、そこからカヌーで狭い海峡を渡った。そこが敵方との境界線だった。その浜にいたトカイ・マカウの手下たちは、そ知らぬ顔を装っていた。

ソコマヌが老人に聞いた。「トカイのカマルはどこだ?」

震えあがった老人が道を教えた。ソコマヌが広場に足を入れたその時、エファテの海岸で法螺貝が2度吹きならされた。それは、トカイとその兵士たちがエファテのパウナンギスの丘に逃げ込んだことを知らせるものだった。ソコマヌとその軍団は、怒り狂って臆病者たちを追い、エファテに戻った。

タカラ岬で、ソコマヌは兵士たちに言った。「敵は、戦闘が一段落したらと海辺の泉に来て水を飲む。その水はちょっと塩辛いが、俺の知らないような力を持っているのだ。俺はそこで待ち伏せする。お前たちは向こうへ行って、ブラオの根元から湯気が噴き出している原っぱに突き出た山の麓で、トカイの手下どもを足止めするのだ。」

男たちは偉大な武人をそこに残し、言われたとおり、湯気の湧き出ている方に向かった。ソコマヌは海岸に沿って進み、トカイが来るはずの塩水の泉の近くに立った。

トカイは原っぱで敵を待っていた。ソコマヌの兵士が来ると戦いが始まった。トカイはツクツクの男たちを一人また一人と殺した。何人かが地面に倒れ、他の男たちは逃げた。トカイは弓を手にして数名を負傷させ、残りの者たちを追い払った。

誰も残っていなかった。喉をうるおそうとして泉のある浜に行くと、そこにソコマヌがいた。ソコマヌが叫んだ。「俺はこれまであちこちで戦ってきたが、戦場でおまえの顔を見たことがなかった。やっと会えたな。お前の衣装が破れているぞ。お前はあの塀をナブア・マホットと名付けたが、俺はそれをナブア・ヴェラと呼んだぞ!」

戦いが始まった。激しい戦いで、二人の周りに土埃が舞い上がった。ソコマヌはトカイに打ちかかろうとした。次に両腕を上げて敵の棍棒を掴もうとし、負傷したように見せかけてはじき飛び、膝から崩れ落ちた。トカイはソコマヌが不利な体勢になったのを見て、頭上から棍棒を力まかせに振りおろした。その時、ソコマヌはトカイの脇腹に槍を刺し貫いた。トカイは地面に倒れた。とっさにトカイの兵士が弓を取り、ソコマヌに向けて矢を射た。

その時、ソコマヌの妻は、櫛から血がしたたるのを見た。妻はその意味を悟った。戦いは終わった。トカイの屍は彼の家に持ち帰られた。

ソコマヌはどうなったか。彼は出陣を前に、ソコマヌはツクツクのロエ酋長に言い置いていた。ツクツクの男たちが村に戻る時は一緒でなく、カヌーで海から帰る者もいるし、島の中を歩いて帰る者もいる、と。ロエは、カヌーがレレパの岬を回るのを見て、ソコマヌが負傷したことを知った。ソコマヌは話すのもつらそうだったが、トカイが死んで、自分は負傷したと言った。

ロエは偉大なる武人に言った。「武人よ、メレに帰ってください。私は明日行きますから」

二人の男は悲しげにそれぞれの家に帰った。その夜、ソコマヌは発熱した。トカイの兵士の矢に塗ってあった毒がまわり始めたのだ。それは破傷風の毒だった。

朝になり、ツクツクの酋長は、パンダナスの繊維で作ったリリコという紐を持ってソコマヌの家を訪れた。この紐にはあちこちにサンゴのマークがつけてあり、その数はトカイ・マカウの死に対してロエがソコマヌに払うべき報償の数を表していた。

ソコマヌはうわごとを言い、死が近付いていた。かたわらでロエが語りかけたが、ソコマヌはもう答えられなかった。彼は紐をつかみ、サンゴのマークを100まで数えた。今となっては、報償はソコマヌの家族に払うべきものとなった。

ソコマヌは目を閉じた。歯を食いしばり、そして死んだ。

武人の死を知らせる法螺貝が吹き鳴らされ、イメレの住人は泣き暮れた。彼等はソコマヌの遺体をマットで包んで埋めた。その手にはブタを繋いだヒモが握られていた。それが、メレの偉大なる武人を、水底の死者の世界、バンゴナへと導くのだ。

ロエはソコマヌの弟に言った。「武人が俺の子供たちの仇を討ち、そして死んだ。5日間のうちに、俺はお礼を果たす。」

ソコマヌの壮大な葬儀が始まった。ツクツクの酋長は村人が整えた食事をとって出発した。5日の後、彼は約束のものを持って帰って来た。10日後にエファテの人たちが集まり、沢山の豚が犠牲に供せられ、沢山のラプラプが作られた。100日の後、今は帰らぬメレの武人、偉大なるソコマヌ・ラバを追悼する壮大な祭式が繰り返された。