2006年10月にバヌアツから帰国して千葉県JICAボランテイアOB会に参加し、さまざまな集まりで異文化体験を伝える講師を勤めてきたが、その後バヌアツを再訪することもなく、新たな情報も乏しいので、ここ数年は講師を辞退してきた。久しぶりに講演の依頼があり、資料の更新作業をしていたところに、ロシアのウクライナ侵攻というとんでもない事態が起きた。

小生の意識の中で、バヌアツは「戦争」と強烈に結びついている。太平洋戦争で日本軍が最初の大敗を喫したガダルカナル戦で、連合軍(実質的に米軍)の基地がバヌアツだったことは、あまり知られていない。小生もバヌアツに行って初めて知り、戦後60年を過ぎてもあちこちに残る米軍の痕跡を目撃した。今も海岸に打ち上げられるコカコーラの空き瓶に1941年ジョージア工場製の刻印があった。日本軍はガダルカナル戦で32,000の兵の7割を失い、その過半が餓死だったとされるが、米軍の兵隊はコーラ飲み放題だったことが、胸に突き刺さった。(写真で見る米軍の痕跡)

米軍の10万の大部隊がバヌアツに上陸したのは、真珠湾攻撃から4ヵ月もたたない1942年3月29日で、同年7月に要塞化を終えて日本軍の南下に備えていた。その頃日本軍は600Km手前のガダルカナル島に進出して飛行場を建設したところで、バヌアツから発進した米軍がこれを奪取した。日本軍は逐次増援部隊を送ったが損耗を重ね、1943年2月に撤退を余儀なくされた。補給を無視した無謀な作戦はその後も各地で繰り返され、1945年8月の敗戦に至る。(ガダルカナル略戦史) (楽園を戦雲が駆け巡った時代)

日本の戦争というと、1941年12月8日の真珠湾攻撃から1945年8月15日の終戦までの「太平洋戦争」しか頭に浮かばず、「酷い目にあった」という被害者意識が先に立つ。だが太平洋戦争は日本の一連の戦争の「最終盤」で、大陸での「前半戦」があったことを忘れてはならない。日本にとっての太平洋戦争は、大陸での前半戦に行き詰まった末の「暴発」だったと見るべきだろう。日本の大陸進攻がいつ始まったかは見方によって異なるだろうが、1918年にシベリア出兵、1920年に間島出兵があり、1931年の満州事変以降は「本格的侵略」と呼ぶしかない。居留民の保護を理由に兵を動かし、敵の攻撃をでっち上げて軍を進め、傀儡政権を立て、自国民を移住させ、国内では情報を統制して戦争反対者を圧殺し、その結果国際社会で孤立した。このあたりの歴史は今回のロシアの行動と丸々重なって見える。

ロシア国民の7割余がプーチンのウクライナ侵攻を支持と聞くと「正気」を疑いたくなるが、当時の日本では国民の9割以上が自国の戦争に熱狂し、大新聞もそれを煽った。戦争末期の全く勝ち目のない状況に至っても、本気で竹槍で敵兵を退けるつもりでいた。戦争の当事国になれば統治者も国民も正気を失い、明解な損得勘定さえ出来なくなることを我々も経験した。だから戦争を始めてはならないし、巻き込まれてはならないと、肝に銘じた筈だ。その教訓を忘れ、この時とばかり、他人の核兵器を「オレにも使わせろ」と言い出す元総理が居ることを、我々はどう考えればよいのだろうか。

バヌアツが戦場になることはなかったが、突如として他国の10万の兵隊が踏み込み、住民の意思にかかわりなく、勝手に基地を作り戦争の準備をした。軍隊は「殺人・破壊」を業とする組織で、論理的に「好ましい軍隊」などあり得ない。他国の侵略と戦う本来の任務はともかく、勝手に他国と戦争を始めたり、自国の政権を倒したり、自国民の自由を奪ったりもする。だが、バヌアツに勝手に上がりこんだ軍隊は、ちょっと違ったらしい。徴用や徴発にそれなりの給料や代金を払い、医療を施し、物品を気前よく与えた。何よりもこの軍隊は、バヌアツ人を「尊厳ある人」として扱った。白人の入植者に家畜扱いされてきたバヌアツ人が、この軍隊を「神の軍」と思い込み、再来を祈る新興宗教まで生まれた(米軍が大戦後もそうであり続けたわけではない)。

「バヌアツ人の戦争体験」(原題は「バヌアツ人の第二次大戦の記憶」)は、そんな米軍と接したバヌアツ人の古老から聞き出した体験談や、当時作られた歌などを収録したもので、バヌアツ人の素朴な驚きや豊かな感情を読み取ることが出来る。この本を和訳して当ホームページに2009年から掲載しているが、サーバーのアクセスデータを見ると、閲覧数は他の記事ほど多くない。この機会に読みやすいように改訂したので、ぜひご一読いただきたい。

第二次大戦以降、大国間の直接の交戦は避けられてきた(1982年のフォークランド諸島の紛争で英国とアルゼンチンが戦ったが、拡大の可能性は無かった)。ロシアとウクライナの国力の差は10:1だが、ウクライナは本当によく頑張っている。ロシアの軍隊が統制を欠く無法者の集団になることは、我々も1945年に敗戦国として実感させられた。ウクライナを助けてあげたいが、他国の軍隊が加勢すれば第三次大戦・核戦争突入が避けられず、防弾チョッキと「ウクライナ頑張れ!」の声援を送ることくらいしか出来ない。ロシアはコメデイアン出身の大統領と旧ソ連のポチだったウクライナを甘く見ていたのだろうが、蹂躙された側の怒りがどれほど強く、ねじ伏せることなどできないと思い知り、深く反省することを切に願う(間違えても暴発などしないで欲しい)。と同時に、いかなる超大国でも「戦争」は割にあわない仕儀であり、「平和」の方がずっと「得」になるということを、この際改めて胸に収めてほしい。

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