2006年10月にバヌアツを離れる直前、「Ni-Vanuatu Memories of World War Ⅱ」(バヌアツ人の第二次大戦の記憶)と題する本を見つけた。タイトルが気にかかっていたが、バヌアツ民話の和訳連載が終わるまで手がつかず、本棚に眠っていた。2009年1月から翌年3月まで和訳を連載し、原著の順に沿って再整理したものを掲載していたが、今回(2022/4)体裁を改め、参考資料を再整理した改訂版を再掲載する。
著者は、バヌアツの高校に教師として派遣されたニュージーランド人の夫妻である。高校生の学習課題として祖父母の戦争経験を聞きとらせ記録させることからスタートし、夫妻自身が収録した話を加えて一冊の本にまとめたという。98年の初版以来3度増刷されたのを見ると、この本には根強いニーズあるようだ。
バヌアツ人の戦争体験とは、ガダルカナル島で日本軍と戦った連合軍(実質的に米軍だったので、以下米軍と呼ぶ)と接触したバヌアツ人の体験を指す。バヌアツが太平洋戦争時に米軍の基地だったことは、バヌアツに行って初めて知った。ガダルカナルは日本軍が到達した最南の島で、バヌアツ(当時はニューヘブリデス)はその南隣に位置する。米軍はバヌアツの基地から発進してガダルカナルで日本軍と戦い、日本軍は大敗して1943年2月に撤退、以降坂道を転げ落ちるように1945年8月の敗戦に向かうことになった。
バヌアツの玄関口、バゥワーフィールド国際空港は、米軍が急造した飛行場を改良したもので、ここから出撃して、日本軍の戦闘機を11機撃墜して戦死した米海軍のエースパイロット、バゥワー大尉を顕彰して名付けられた。その栄誉を記したパネルが、日本がODAで無償供与した空港ターミナルに掲げられているが、それを見る度に複雑な思いが心をよぎった。
バヌアツの浜辺には、今も古いコカコーラの瓶がうちあげられる。日本軍と戦った米軍兵士が飲み捨てたものだ。一方の日本軍は、ガダルカナルに上陸した兵士3万1千の半数が餓死した。コーラ飲み放題だった側と、無謀な戦いで自滅した側との落差にも、胸が痛む。
バヌアツにも部族間の争いがあり、敗将を食う風習も20世紀半ばまで残っていたが、彼等が「軍隊」を見たのはこれが初めてだった。彼等の目に米軍がどう映ったか、米軍がバヌアツ人とどう接したか、あの戦争の一方の当事者だった日本人として、関心を持たざるをえない。
ここにご紹介する和訳は、原文の内容を変えない範囲で、柔軟に意訳したものとご理解いただきたい。また、原作者の著作権に配慮し、掲載された内容の引用や転載はご遠慮いただきたい。