海外旅行には色々な楽しみ方があるが、小生は「異文化との接触」がメインで、そう思うようになったのは28年前のネパールの旅だった(初めての「発展途上国」旅行でもあった)。欧米先進国にも異文化はあるが、生活様式も思考も欧米化した現代の日本人に「驚き」は少ない。「貧しい国の昔ながらの暮らし」に興味を持つのは「上から目線」かもしれないが、小生が子供だった頃の日本の田舎も貧しい国の昔ながらの暮らしだった。その後の高度成長で獲得した「豊かさ」は「便利・清潔」をもたらしたが、引換えに失ったものもあり、途上国の旅でそのことを思ったりもする。

ネパールの旅の動機はトレッキングでも山岳写真でもなく、「世界三極」(南極・北極・ヒマラヤ)踏破が目的で、イージーなヒマラヤ見物の手段に「歩かずにヒマラヤ撮影」のツアーを選んだ。他の参加者は山岳写真のベテランばかりで、初心者でチープな撮影機材の小生は肩身が狭かったが、この旅で山岳写真の川口邦雄先生と出会い、「友山クラブ」で写真の勉強を始め、山歩きにはまり込むことにもなった。(旅のレポート:ネパール

今回自画自賛する旅写真(スライドフィルムで撮影)は「写真修行」以前に撮ったものだが、こうして見ると、写真に「シロウトのまぐれ当たり」ありと改めて認識する。20余年の修行で上達したのは、ピンボケとカメラブレが減ったことくらいかな…


「エベレストがお出迎え」

カトマンズ着陸の40分ほど前、右前方にうっすらと白い峰々が現われた。近づくにつれて山の形が見え、ひときわ高い峰に望遠レンズを向けると、間違いなく世界最高峰エベレスト(8884m)で、右肩に4位のローツエ(8516m)が連なっていた。この時の興奮が忘れられず、この後ヒマラヤを訪れる時は右の窓側席を希望するようになった。

写真が滲んで見えるのは、カメラのせいでも撮影者のウデのせいでもなく、飛行機の窓のアクリル樹脂の歪みが原因。機体はJALのチャーター便のDC-10で、この機種には米国の国内線で何度も乗ったが、視界の歪みが共通していたような気がする。DC-10が開発された1960年代後半は米国の製造業が凋落し始めた時期で、名門航空機メーカーのダグラス社も経営危機に陥っていた。懸命のコストダウンが窓部品の品質に及んだのかもしれない。


「ヘリで絶景ポイントへ」

ヒマラヤに行くからにはエベレストを見なければならない。エベレストはヒマラヤの最奥に位置し、且つ前衛峰に囲まれているので、その姿を拝める場所は極めて限られる。代表的な展望台が標高3800mのシャンボチェの丘で、この場所に日本人実業家の宮原 巍(たかし)氏が1971年にホテル・エベレストビューを建てた。

通常ここに行くには、カトマンズから小型機でルクラに飛び、更に2泊3日のトレッキングを要するが、我々の「歩かないツアー」はヘリでホテルの玄関先に直行した(上写真の山はタムセルク 6608m)。

「代表的な展望台」のシャンボチェから見えるエベレストは、ローツエの稜線上に突き出た「おでこ」だけ。この旅の16年後の2012年に、シャンボチェから更に1週間のトレッキングで標高5千m超の展望ポイント「ゴーキョピーク」に立った時も、見えたのは「首から上」だった。要するにエベレストをカッコよく撮るには、標高7千mのデスゾーン(生死の境)を越えないとダメらしい。(参考:山写真百選-1 エベレスト


「ヤク登場」

シャンボチェの滞在時間は1時間で、カメラと三脚を抱えて走り回ると、目まいがして足元がふらついた。富士山頂より高い場所にヘリで一気に運ばれたのだから、酸欠は避けられない。へたり込んでいると、斜面の向こうからヤクがヌッと現われた。反射的にシャッターを押し、現像すると面白く撮れていたので、オブザーバー参加のクラブ例会に提出した。35mmのスライドフィルムでは分からなかったが、大きく映写されるとヤクが少しボケていた。「動物の写真は目玉に焦点がピシッと合っていないとダメです」と講評され、写真修行の気分が湧いてクラブ入会を決めた。


「キャンジュンゴンパの野次馬」

シャンボチェの翌日に訪れたキャンジュンゴンパは「世界で最も美しい谷」と言われるランタン谷上部(標高3600m)の集落で、通常は4泊5日のトレッキングを要するが、ここもヘリで一気に飛んだ。(旅のレポート:ネパール

草原に着陸すると村人が続々と集まり、50人を超える人垣が出来た。土産物を売ろうとするでもなく、珍しいものを見物に集まる「野次馬」だった。当時(1996年)はヘリを使った観光が始まったばかりで、キャンジュンゴンパでは我々が「草分け」だったのかもしれない。

村人がヘリを囲んでいる間、我々はランタンリルン(7225m)や集落の様子を撮らせてもらったが、1時間でトンボ帰りの「撮り逃げ」で、村におカネを落さない悪い客だった。


「カトマンズの目玉寺」

カトマンズの西の丘はスワヤンブナートと呼ばれ、山頂に寺院や僧院、参詣者の旅籠などがゴチャゴチャ立ち並んでいる。中でも目をひくのが「目玉寺」で、ヒンズーの寺院かと思ったら真言密教の仏塔で、目玉は大日如来を表わすと聞き、同じ宗派でも文化の違いで寺院の様子が変わることを知った。学問を持たない人たちに経文を聞かせるより、「仏様がいつも見ていらっしゃる」と教えた方が布教効果が高いことは想像がつく。

貧しい国で壮麗な寺院を見る度に思うことがある。権力者は自らの威信を示すために寺院を「寄進」するが、その原資は領民から絞り上げた年貢や使役で、それに苦しめられた領民が救いを求めて寺にすがるのは二律背反になる。権力と宗教の「もちつもたれつ」はいつの時代もあるが、弱者の無知をいいことに身ぐるみ剝ぐような輩は、真っ先に地獄に落ちるのではないか。


「広場を見下ろすシヴァ夫婦」

カトマンズ中心部の旧王宮と寺院が立ち並ぶダルバール広場の一郭に「シヴァ・バールヴァティー寺院」がある。最上階の窓から広場を見下ろしているのは、ヒンズー教の最高神シヴァとその夫人パールヴァティーで、男神の左手の置き場所が少々気になるが、ポルノ全面解禁のヒンズー寺院では、この程度の仕儀は目くじらをたてるまでもない。


「パタンの坂道で」

カトマンズの宿舎は隣り町のパタンに前述の宮原氏が建てたホテル・ヒマラヤだった。大通りの坂道に面した林の中に新築され、欧米の高級ホテル並みの設備とサービスだったが、ホテルを一歩出れば最貧の途上国で、ボロ車がヨタヨタ走り、人力荷車は坂下で待機する人足が補助エンジンになり、いくばくかの駄賃を稼いでいた。


「パタンの朝の街角で」

浮浪者が多いカトマンズに比べてパタンは治安が良好と聞き、単独で朝の散歩に出かけた。カメラを上着に隠していたが、早朝に道路を掃き清めている人たちを見て警戒心が消えた。

どの街角にもヒンズー教の小さな祠があり、近所の人たちが朝夕にお供え物をする。それが周囲に散らばって汚く見えるのは清潔過剰な日本人の感覚で、住民にとっては汚れも含めて神聖な場所なのだ。そんな祠を住処にする子犬と通りがかりの兄妹が視線を交わすところを無断で撮った写真が、初めての写真展作品の1枚になった。


「ドゥリケルの段々畑」

旅の3日目はタクシーでカトマンズから東へ1時間のドゥリケルを訪れた。チベットに通ずる街道の宿場町でヒマラヤの眺望も得られる場所だが、ヒマラヤはモヤにかすんで写真にならなかった。

街道脇の段々畑で女性たちが畑仕事をしていた。畑に男の姿はなく、現地ガイドに聞くと、ネパールの男は畑仕事をしないという。では何をしているのか聞くと、定職を持たない男は宿場のカフェでバクチをして時を過ごすという。


「ドゥリケルの母と娘」

道端で出会った老農婦にカメラを示して写真を撮らせてくれと身振りで頼むと、急いで家に戻って娘さんを連れて来た。三脚を立てて撮らせてもらったのがこの1枚で、光の当たり方、背景のボケ具合共に申し分なく、初回写真展のメイン作品になった。その後これを超える人物写真を撮ったことがなく、これからもないだろう。


「菜の花畑の少年」

ドゥリケルからの帰り道、路傍に菜の花が咲く民家があった(右)。写真になりそうな情景だったので、タクシーを停めて撮影タイムになった。

小生は少し離れた場所で作業する少年を望遠で狙うことにした。300mmズームに1.6倍のテレコンバーター(焦点距離をプラスするアダプター)を付け、500mm相当の超望遠でぐっと近くなった少年を「盗み撮り」させてもらった。安物テレコンバーターで焦点があまくなり、三脚ナシでブレも出たが、川口先生が「技術的に多少難があってもイイ写真はイイ写真です」と評して下さり、写真展出展を許された。


「ポカラのバスターミナルで」

旅の後半は国内線の小型機で45分のポカラに移動。市街からアンナプルナ山系の南峰、Ⅱ峰、Ⅳ峰、マチャプチャレなどの名峰を望み、登山やトレッキングの拠点になっている。

登山口のダンプスまで車で入ることができ(現在はもっと奥まで道路が伸びている)、トレッキングをサポートするローカルスタッフもダンプスまでバスに乗る。キッチンスタッフは伝統の背負い籠に台所用具一式を詰め込み、割引料金の屋根上でヒマラヤの風に吹かれる。(参考:アンナプルナ内院トレッキング

 


「サランコットの丘から里山を撮る」

ポカラからタクシーで北へ20分のサランコットの丘に上ると、アンナプルナ山群が指呼の近さになる。左はアンナプルナ南峰(7219m)、右がマチャプチャレ(6993m)で、麓から山頂までの標高差は6千mを超えるが、麓で暮らす人たちには「里山」なのだ。


「サランコットの商売上手」  

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山の写真を撮るのは光線の具合が良い日の出と日没時だけで、ポカラの2泊3日でサランコットに朝夕2回、計4回通った。丘上の撮影ポイントにテントを張って泊まり込んでいる姉妹がいた。土産物の露店を開き、撮影が一段落すると「イイモノアルヨ」と声をかけてくる。無視し続けていたが、情にほだされて最終回に僅かな買い物をすると、嗜好を読んでコレモイイヨとたたみかけてくる。気か付くと100ドル近いガラクタを買っていたが、旅先で地元の人におカネを落すことはイイことだと思うことにした。