ひと口に「英国」と言うが、どの範囲を指すのか自信を持って言えない。7つの海を制した大英帝国時代の横暴のツケが回ったのか、ヨーロッパ大陸の付属品のような島に蟄居し、1922年にアイルランドが独立、現在はスコットランド、イングランド、ウェールズ、北アイルランドの4地区で構成される United Kingdom (the UK)が「英国」なのだろう。小さい海外領土があちこちに残っているが、1997年の香港返還以降、大きな動きはないようだ(フォークランド紛争再発の怖れはゼロではないが)。

小生は英国と縁が薄く、スコットランドとイングランドの一部を速足で駆け抜けただけで、それも25年前の写真の勉強を始めたばかりの頃だったから、以下の旅写真はムリに自画自賛するしかない。


スコットランド (旅をした時: 1998年7月)  参考:スコットランド

エディンバラ 「朝の広場」

スコットランドが王家の都合で英国に合同させられた事情は「世界の駅さまざま」篇に書いたが、それ以来スコットランドは英国の中で「サブ」の地位に固定され、近代化から取り残された旧首都の様相に、スコットランド人は慙愧の念を禁じえないらしい。だが視界にモダンなビルが一棟もない市街は恰好の写材で、三脚を担いで朝飯前の散歩に出かけた。時計台の建物は中央駅に隣接する5☆級のバルモラル・ホテル。馬上騎士は誰か不明、その右のスコット記念塔は修理中で足場が写ったのが残念。


エディンバラの「新市街」

朝の散歩の足を「新市街」まで伸ばした。「新」と言ってもエデインバラの場合、19世紀の古色蒼然とした風景である。


「スコッチ醸造所」

「スコッチ」は「スコットランドの」の意で、この地で醸造したウィスキーでなければスコッチを名乗れない。エディンバラから車で1時間の「Glenturret」は1763年創業で、スコッチ最古の醸造所といわれる。構えは日本の村の造り酒屋ほどで、良く磨かれた銅製の蒸留釜が1基、酒庫に約50本の熟成樽が寝ていた。記念に直売所で1本買うつもりだったが、値段を見てビックリ。長い旅の初日に気前よく使える金額ではなかった(昨今は日本酒にも1本ン万円があるが…)。


イングランド  (旅した時: 1998年7月)      参考:英国‐2 英国‐3

「湖水地方の山岳景観…」 

湖水地方(Lake District)は英国で最初に国立公園に指定された地域だが、個人的な感想を率直に言えば、世界の国立公園と覇を争うような景観や風情は無い。強いて類似を挙げれば「軽井沢」で、有力者や文人の別荘地として拓かれ、今も都市生活者が訪れて森を散策したりボート遊びを楽しむ場所である。産業革命の狂乱期、この地域を乱開発から守る運動に多くの芸術家や作家が関わったことでも知られている。


「ワーズワースが眠る墓地」

英国の代表的詩人ワーズワースは湖水地帯をこよなく愛し、居を構えて自然賛美の詩を書き、乱開発反対運動にも深く関わった。その住まいが博物館になり、本人も近くの墓地に眠っているが、何故か彼の名が刻まれた墓標だけ簡易型で風情を欠き、撮る気が起きなかった。代わりに近くの古い墓標を撮ったが、むやみに墓を撮るとバチがあたるかもしれない。


「嵐が丘」その後

その昔、エミリー・ブロンテの長編小説「嵐が丘」が授業の課題に出た。強風吹きすさぶ荒野に暮らす家族の葛藤の物語で、ストーリーがややこしく陰鬱で、辟易として投げ出した記憶がある(作品タイトルの「Wuthering Heights」を斎藤勇は「嵐が丘」と題して歴史的名訳と評されたが、小生は若者言葉で「ウザイが丘」と呼びたい)。小説の舞台になった一帯が観光名所になっているが、荒野は開墾されて麦畑や牧場になり、ブロンテが描いたほど陰鬱な風景ではなくなっていた。


「シェイクスピアの生家」  

「ウィリアム・シェィクスピア」という人が地元の教会で洗礼を受けた記録はあるが、その人物があの大文豪なのか、疑問を呈する専門家が少なくなかった。というのも、彼は手袋商人の倅で高等教育を受けたことがなく、深い人間洞察と高度な表現力を駆使した長編戯曲を40編も書けた筈がない、というのがその理由で、同時代の哲学者フランシス・ベーコンのペンネーム説や、作家集団の共同執筆説が論じられたが、今は当人説が有力になっているようだ。

ストラトフォード・アポン・エイボン(エイボン川沿いのストラトフォード)に残るシェイクスピアの生家は鄙には稀な屋敷で、田舎商人の父親に不釣り合いだが、母親が地方の名家出身で持参金がたっぷりあったらしい。


「シェィクスピア劇の役者長屋」

生誕地にシェィクスピア劇を常時上演している劇場がある。円形の小さい舞台を客席がとり囲む様式で(相撲の国技館を縮小した感じ)、大がかりな舞台装置がなく、役者のせりふと身振りだけで芝居が進行する(それだけ役者の芸が問われる)。小生は「Measure for Measure」(尺には尺を)観劇の機会を得たが、セリフを全く聞き取れず、目を開けたら芝居が終わっていた。

翌朝劇場の近くを散歩していると役者のアパートがあった。中を覗いたわけではないが、質素な暮らしを思わせる(壁に飾られた花が華と言えば華)。


「300年続く旅籠屋」

ストラトフォード・アポン・エイボンにはシェィクスピア時代の古い町並みが保存されている。我々が泊まったホテルも昔のままの木造三階建で、狭い廊下と低い天井から察するに、当時の英国人の体格は今の日本人より小さかったらしい。


「コッツウオルズの街角で」

イングランド中央部にひろがる丘陵地帯はコッツウオルズと呼ばれ、蜂蜜色の石灰岩を使った建物が独特の景観を作っている。昔は羊毛の交易地として栄えたらしいが、今はリタイアした人たちが余生を過ごす地になっているようだ。


「オクスフォードの名門カレッジ」      

オクスフォード大学という総合大学はなく、この地に集まったカレッジ(単科大学)の集合体をいうらしい。クライストチャーチ・カレッジの風格ある校舎が13名の英国首相を輩出したと聞くと、「やっぱりな…」の感慨が湧く。というのも、小生が卒業した大学の校舎はとびきりオンボロで、道路の向かい側の鉄筋3階建の私立女子高にも見下され、首相など出る筈がなかったからだ(近年になって郊外に移転して、跡地に老人介護施設が出来たが、卒業生優先ではない)。


「ロンドン銀座の裏通り」      

ロンドンで泊まったホテルがどこだったか忘れたが、東京で言えば「中央区にあるそれなりのホテル」だったことは間違いない。そのホテルの窓から見た下町景色だが、東京の中央区にも昔ながらの一郭があるので、ロンドンの下町を蔑むつもりはない。それにしてもこの煙突はどうだ! 今も冬になると石炭を燃やした煤煙をモクモク吐き出すのだろうか?


バース「地の果てローマ浴場」  

バース=「Bath」で、英国にも天然温泉が湧くのだが、それだけで驚いてはいけない。紀元1世紀のローマ帝国時代の温泉施設なのだ。日本の弥生時代にローマ帝国がここまで版図を拡げていたことに先ず驚き、彼等がローマ風の温泉施設にこだわっていたことに驚きが重なる。


「バースの街頭芸人」  

観光地や盛り場に街頭芸人が出るのは万国共通で、英国の旅でも何度か目にした。職業として興行する人だけでなく、趣味でやっている酔狂人もいるらしい。投げ銭もせずにカメラを向けるのは気がひけるが、ジョーカー衣装の芸人の雰囲気に惹かれ、超望遠で撮らせてもらった。


「ピラミッド以前の巨石遺跡」

紀元1世紀のローマ風呂に驚いたが、次に訪れたストーンヘンジが紀元前3千年のものと聞き、もっと驚いた。ピラミッドよりも前に、地の果てと言うべきこの地に高度な文明が存在していたことになるからだ。50トンを超える石柱は40km離れた石切り場から運ばれたという。どうやって運びどうやって直立させ、その上に巨岩の梁をどうやって乗せたか、説明パネルを読み始めたところで雷雨が襲来、あわててバスに戻った。