前号の「路面電車」に続いて「駅」を特集する。旅客輸送手段としての鉄道は、1825年の英国北西部のストックトン・アンド・ダーリントン鉄道(40km)が始まりで、直後の1830年代が「鉄道狂時代」と呼ばれるほど急速に鉄道網が拡がった。鉄道はレールを敷くだけではダメで、客が乗降する「駅」が要る。駅が出来れば旅行者を泊める宿屋、食事を提供する食堂が出来、人が集まれば花屋や雑貨屋も商売を始める。客扱いの駅だけでなく、要所に機関車や客車を留め置いて整備する車両基地が必要で、石炭の貯蔵や水利の設備も要り、様々な職務の職員とその家族の住宅が立ち、市場や学校も出来、鉄道と町は一体になって発展してきた。

駅舎は市庁舎や教会・寺院と並んで町を代表する壮大な建物になる。旅をして駅を訪れるとお国柄や土地柄が感じられ、旅の興が膨らむ。日本にもその土地ならではの魅力的な駅があったが、新幹線を通すための改築でどこも「総合ビル」になってしまった。空港は機能一点張りで旅の趣など皆無だが、鉄道駅もそれを倣っているようで、ちょっと寂しく思う。


フィンランド ヘルシンキ中央駅                      2000年6月

北欧フィンランドの人たちは中央アジアから移動したフン族の子孫とされ、スカンディナヴィア(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)のいわゆる「バイキング」とは異なる文化的背景を持つ。強国のスウェーデンとロシアに挟まれ、両国に侵略され続けた民族の悲哀をシベリウスの音楽が象徴しているが、同じ気分が首都の中央駅にも漂っているような気がする。

観光の自由時間に中央駅を訪れた(切符がなくてもホームに入れるのが嬉しい)。ちょうどサンクト・ペテルブルグ(我々の世代にはレニングラードの方がピンとくるが)行きの国際列車「シベリウス号」が発車するところだった(写真右)。区間の距離300kmは東京~仙台よりも近く、直線距離の200kmは軍用機なら10分もかからない。フィンランドはロシアとの友好関係を考慮して軍事的非同盟を保ってきたが、2023年4月にNATOに正式加盟した(シベリウス号は運休しているようだ)。

参考:北欧ー1 スウェーデン・フィンランド


スウェーデン ストックホルム中央駅                      2000年6月

スウェーデンには質実剛健・実質本位の印象がある。ハッセルブラッドのカメラは頑丈一点張りで、オート機能が流行しても頑として全手動にこだわった。ボルボの車にもそんなところがあったと思う(乗用車部門は2010年に中国資本傘下になった)。

ストックホルムに着いたのは深夜だったが、時差ぼけで早朝に目が覚めた。散歩に出ると、ホテル近くに中央駅の表示があった。不愛想な建物だが、王宮殿もそうなので、それがスウェーデン流なのだろう。一階の回転ドアを入ると駅のホールがあり、ホームの先まで行くと、重量感のある列車がムッツリと動き出すところだった。

参考:北欧ー1 スウェーデン・フィンランド


スコットランド エジンバラ中央駅                         1998年6月

スコットランドは独立国だったが、1603年に英国のエリザベスⅠ世が死去、世継ぎが居なかったので、親戚のスコットランド王ジェームス6世に英国王を兼ねてくれと頼み込んだ。王は英国に居座った挙句、英国がスコットランドを飲み込むかたちで「合同」したので、スコットランド人は今も慙愧の念にかられ、選挙の度に独立の気運が蘇る。

中世の雰囲気を色濃く残すエジンバラ市街の切通しのような場所に中央駅があり、ガラスの天井が蓋をしている。朝飯前の散歩で行ってみると、ロンドン行き特急「フライング・スコッツマン」が発車するところだった。非電化区間なので先頭はディーゼル機関車で、発車のベルが止むと蒸気機関車も顔負けの凄まじい黒煙を噴き上げ、天井を塞がれた駅舎は黒い煤と重油が燃えた臭いで満たされ、しばらく消えなかった。そんな無礼も英国が嫌われる一因かもしれない。

参考:英国 その1 スコットランド


ドイツ ウルム操車場                         2016年9月

ウルムはドイツ南部の人口12万の都市で、世界一高い尖塔を持つ大聖堂とアインシュタインの生誕地という以外、これと言った名所があるわけではない。そんなウルムを2度訪れたのは娘夫婦が住んでいたからで、ここを拠点にオーストリアとスイスの山歩きを楽しませてもらった。

ウルムは5本の路線が交差する鉄道の要衝だが、新幹線専用の線路はまだ通っていない(ドイツの超高速列車は専用線だけでなく在来線にも乗り入れる)。ウルムは長距離列車の起点でもないので、ヤード(操車場)の車両は近距離電車だけだ。

参考:ドイツ都市巡り


オーストリア シャーフベルク登山鉄道 山頂駅                   2015年6月   

蒸気機関車の熱効率は5%程度で、燃料を燃やして生じたエネルギーの95%を無為に放散し、且つCO2をまき散らす。そのうえ運転が面倒で保守整備も手がかかるので、蒸気機関車の新造は20世紀前半に終わっていた。だが20世紀の末になって10両も新造したのがシャーフベルク登山鉄道で、19世紀末に製造された小型蒸機をそっくり複製した(石炭炊きを重油炊きにしたが)。急坂で水面を水平に保つために前傾して取り付けられたボイラーと、ラックレールを噛む歯車の動輪が特徴で、保守整備の手間(コスト)が気になるが、高い乗車賃を承知で世界中からモノズキが乗りに来るのだから、何とかなっているのだろう。

参考:オーストリアー1


スイス ゴルナーグラート駅                            1993年7月

この登山鉄道はスイス観光の定番で、ツエルマット駅から40分の乗車で標高3089mのゴルナーグラート駅に着くと、目の前にマッターホルン、モンテローザ、ブライトホルン、リスカムなどの名峰がズラリと並んでいる。

この鉄道は1898年の開通当初から電化されていた。下の写真を見て「アレッ?」と気付いた読者は「メカ鉄」に違いない。架線が2本平行して張られ、電車の屋根に小さいパンタグラフが2基並んでいるではないか。そう、この電車は三相交流の電力で同期電動機を回して走るのだ。ユングフラウヨッホの登山電車もこの方式だが、その他では聞いたことが無い。三相交流は電力効率と定速運転でメリットがあっても、ダブル架線の保守はかなり面倒に違いない。

参考:スイス 後編


スペイン セビリア駅                          2007年11月

スペイン最初の新幹線は、1992年のセビリア万博開催を機に開通したマドリード~セビリア間の550kmである。列車編成は無動力の客車の両端に強力な電気機関車を付けたフランスのTGV方式だが、客車はスペイン独特のタルゴ(小型軽量の連接車体)の伝統にこだわっている。TGVの動力集中方式と日本の新幹線の動力分散方式(電車)の優劣が論じられるが、速度はほぼ互角で、車内のゆったり度と乗り心地の点では、小生はスペイン新幹線に軍配を上げる。セビリア駅のホームを見れば、日本の新幹線と乗客数が格段に違い、ゆったり度でスペインが絶対に有利と納得できる。その分運賃は高くなるが、この国の新幹線は大量運輸インフラではなく、観光資源に位置づけられているらしいので、成算は立っているのだろう。

参考:スペインー1 スペインー2


トルコ  イズミール駅                         1996年7月

トルコ西岸のイズミールは都市圏人口4百万を超える大都市で、「エーゲ海の真珠」と呼ばれる観光地でもあるが、駅の風采は失礼ながら田舎くさい。観光客は鉄道を使わず、職住一致の住民が鉄道を使うことも滅多になく、鉄道にカネが落ちなければ豪奢な駅は建てられない。立派な駅舎よりモスクを建てた方が天国が近づけるお国柄でもある。

参考:トルコ


パキスタン ラホール駅                               2008年7月

フンザ旅行で帰国まで1日余裕が生じ、運転手とガイドを雇ってインド国境のラホールに1泊2日の旅をした。ラホール市内を移動している時に駅前を通ったので、車を停めてもらって駅構内を見学した。ちょうど列車が発車するところで、寝台車が付いていたので長距離列車だったのだろうが、車内は満員でデッキにぶら下がる人もいた。窓の鉄格子は転落防止用なのか、それとも無賃乗車防止用なのかは、分からない。

参考:パキスタンー4


インド ダージリン鉄道 グーム駅                          2011年3月  

ダージリン鉄道は延長88km、軌間70cmのトロッコ登山鉄道で、英国植民地時代の1882年に麓から山上の避暑地ダージリンに人と物資を運ぶために敷設された。現在も1日1往復運行されているらしいが、ダージリンとグーム間の7kmは観光鉄道として頻繁に運行され、開通当時の石炭炊きの蒸気機関車が現役で走っている。「トイ・トレイン」の愛称は昔のままだが、かなりくたびれた印象は免れない。

参考:インド ダージリン地方

 


中国 新彊ウィグル自治区 トルファン駅                     1999年7月  

中国政府は、少数民族が住む辺境地域に漢民族を大量に移住させ、中国全土を「漢民族化」して少数民族を抑え込む政策を進めているらしい(と小生は解釈している)。その為に国家事業として鉄道建設を強行し、新彊ウィグル自治区では1999年に最奥のカシュガルまで開通した。現在はチベット自治区で同じ政策を押し進めているようだ。

タクラマカン砂漠の東端に位置するトルファンは新彊ウィグル地区の入口で、北京や上海からの列車の中継地になっている。我々は軟臥車(一等寝台)の客として駅舎2階の「貴賓室」に通され、列車が着くのを待った。窓から見えたホームに乗客が列になって列車を待っていたが、漢族には列に並んで順番を待つという習慣はない。当局からキツイ指導があったのだろうか。

参考:中国 新彊ウィグル自治区-1


カナダ トロント中央駅                        1979年12月

トロントは先住民の言葉で「人が集まる場所」を意味し、カナダ最大の人口を有する(約3百万)大都市だが、トロント中央駅を発着する列車の数は多くない。小生が駐在した当時(1980年頃)、カナダ横断列車(週に3本)はトロントを通らず、モントリオール方面の東行が1日に4本、ナイアガラフォールズ方面の西行が5本、近郊を結ぶ列車が6本だったと記憶する。駅の西側の陸橋から駅の全景が見えるが、列車が出入りする写真はよほど運が良くないと撮れない。

参考:駐在員回顧録-3 オンタリオ・マニトバ篇


米国 ダコタ ブラックヒルズ鉄道                         1993年9月

ダコタは米国の辺境中の辺境で、軍人以外に用事のある人はまず居ないが、4大統領の巨大な石像が並ぶマウント・ラッシュモア記念公園だけは、年間2百万人を超える観光客が訪れる。この観光鉄道はそのお流れを狙って再開発されたものらしい。蒸気機関車に給水する給水塔も懐かしさを呼ぶ風景だ。小生は飛行機の時間待ちで回り道をして偶然見つけ、乗ってみようと思ったが、乗車待ちの長い列を見て諦めた。大人になっても汽車に乗りたい人は結構多いのだ。

参考:米国50州雑記帳-11 南北ダコタ


ニュージーランド トンガリロ国立公園駅                         2006年4月

バヌアツでJICAのボランテイアをしていた時、1ヵ月の休暇を使ってニュージーランド各地を旅した。南島のトレッキングがメインだったが、北島のトンガリロ国立公園も訪れた。移動はもっぱらレンタカーで、北島を縦断する特急列車は見るだけになった。

時刻表で時間を見計らって待っていると、15分遅れで列車が入って来た。カッコいい観光特急を期待していたのだが、見栄えがしない電気機関車と荷物車+客車3両の編成で、それも埃をかぶって薄汚れた車両だった。ちょっとガッカリしたが、降りた客が2人、乗る客ゼロでは、ヤル気が萎えても仕方がない(ホームの若者と犬は客を迎えに来たホテルのスタッフ)。

参考:NZ 北島