「ボクの山写真百選」も最終ラウンドになった。冒頭で「山写真」を「山のポートレート」と定義し、「人物のポートレートは、その人物の素敵な人柄が滲み出た写真でなければ意味がない。山写真もその山の魅力(厳しさを含め)が伝わらなければ、見る人の心を打たない」と大見栄を切ったが、今になってカッコ良すぎたと反省している。老人の「すさび」にお付き合い下さった読者諸賢にはご寛恕を願うしかない。

最後の10座は「日本のアルプス以外の山」だが、「その他おおぜい」ではない。どれも日本百名山(岩菅山は2百名山)に選ばれた「登りごたえ」のある山で、その山らしい「風格」がポートレートに滲み出ていれば、写真屋冥利に尽きるのだが…


91.後方羊蹄山(1898m)      撮影:ニセコスキー場から           1997/1月 

後方羊蹄山と書いて「しりべしやま」と読むのが本名だが、略称の「ようていざん」で通っている。愛称の「蝦夷富士」 は全くその通りで、この山を逆光で撮るとホンモノの富士山と間違えられる。

登るのもホンモノ以上に厳しい。登山口から山頂の標高差1900ⅿは、吉田口5合目(スバルライン終点)から剣が峰の標高差1400ⅿより、酸素が濃い分を割り引いても更にキツイ。途中に茶店も水場も無いので、水4Lと弁当2食を担いでの日帰り弾丸登山になる。百名山完登を目指す人は、できるだけ若い内に羊蹄山を片づけることをお薦めする。

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コンパクトフィルムカメラ  撮影データ無し


92. 燧ヶ岳(2356m)      撮影:尾瀬ヶ原から       2019/6/18 14:07

燧ヶ岳には3度登った(19歳、26歳、70歳)。若い頃に登った山らしい山は燧ヶ岳だけで(それも2度)、半世紀以上前の記憶が(断片的だが)鮮明に蘇るのは、その頃の自分にとってよほど特異な体験だったのだろう。

燧ヶ岳はおよそ20万年前に形成された火山で、500年前に水蒸気爆発があり、現在も活火山の扱いになっている。登山道は4本あり、若い頃は最も険しい「ナデックボ」を休みもせずに登った。70歳時の登山では最も緩い長英新道を休み休み登り、尾瀬ヶ原への長い下りで何度もコケ、温泉小屋までの2km足らずの木道歩きがやたら遠く感じられ、古稀の齢を自覚させられた。この写真は78歳で尾瀬ヶ原を歩いた時に撮ったが、燧ヶ岳に登る気は全く起きなかった。

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Fuji XT-3 18-135mm(28mmで撮影) ISO320、F10、1/25


93.至仏山(2228m)    撮影:尾瀬ヶ原から             1996/9月

尾瀬ヶ原をはさんで燧ヶ岳と向かい合う至仏山だが、山の生い立ちは全く異なる。至仏山は約2億3千万年前に海底で形成された蛇紋岩が1億年前に隆起して出来た山で、浸食が進んでたおやかな姿だが、蛇紋岩は雨が降ると滑りやすく、砕けた微粒子が登山道を泥田にする。尾瀬ヶ原からの登山道が植生保護のため期間制限になり、水芭蕉鑑賞ついでの登山がNGになったのもちょっと残念。

この写真は1997年に山写真の会に入る前に撮った。白樺は良いとして、主役の至仏山をちょっと切り詰めすぎたかな…

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Nikon F80  18-200mm FujiFilm Velvia 撮影データ無し 


94. 谷川岳(1977m)    撮影:一の倉沢出会いから         2012/11/14 7:12 

谷川岳の遭難死者が1931年(昭和6年)から2020年の70年間で818名を数え、世界のワースト記録としてギネスにブックに載った。遭難の大半が一ノ倉沢の絶壁で起きている。1960年(昭35年)に衝立岩(写真の中央右)で宙吊りになった2人を、自衛隊が射撃でザイルを切断して遺体を収容した報道が記憶に残る。

写真クラブの撮影会で一ノ倉沢を撮りに出かけた。着いた日の午後は曇天で撮影条件がイマイチ。近くの温泉宿で宴会が終わる頃から風と雨音が強くなり、誰のせいか責任をなすり合った。翌朝も濃い霧に包まれていたが、せっかくなので行ってみることにした。

一ノ倉沢出会いの広場は「人食い岩」の核心部を撮る定番ポイントで、いつもは望遠レンズの砲列が並ぶ場所らしいが、この朝は我々のグループだけだった。日の出の時刻になると、雲の切れ間から核心部にスポットライトを当てたように紅の光が届き、昨夜の雨がここでは雪化粧になっていた。こんなシャッターチャンスは滅多に無く、コンテストに出せば「佳作」くらいはもらえたかもしれないが、この構図は「山のポートレート」にならない。

それから30分後、霧のヴェールが上がって一ノ倉沢全体に光が回った。谷川岳山頂の冠雪、渋く輝く岩壁、錦秋の紅葉、青空と雲の具合、どれも悪くないが、主役が不明で視点がさまよう「ダメ写真」の典型になった。

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Nikon D300S  10-20mm(20mmで撮影) ISO400 F6.3、1/100 EV-0.3


95.妙高山(2454m)     撮影:火打山から         2003/11/2  15:38

妙高は新潟県にあるが、北信州で少年期を過ごした小生には郷里の山の気分がある。妙高は日本のスキー発祥の地とされる。小生は幼少時からスポーツは何をやってもダメで、雪国育ちでもスキーも上手くならなかったが、高2の冬に妙高スキー場の最上部から麓まで目いっぱいのスピードで一気に滑り降り、青春のモヤモヤが吹き飛んで受験勉強にとりかかる気分になった。

妙高に登ったのはずっと後で、百名山の中盤で火打山から妙高へ縦走した。火打山の急な登では振り返る余裕が無かったが、下りで妙高の溶岩ドームが見えた。その晩泊った妙高外輪山脇の小屋は営業最終日で、スタッフが小屋じまいにかかっていたが、朝食に作ってくれたクレープが旨かったことと、溶岩ドームのキツイ登りに気が滅入ったことが記憶に残る。

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Nikon D100 24-135mm (48mm で撮影) ISO400 f10、 1/350


96. 高妻山(2353m)     撮影:戸隠スキー場から          2018/1/29 13:06

高妻は長野市郊外の山だが(直線で12km)、小生は68歳で高妻に登るまでその峰を見た記憶がない。登山口の戸隠牧場からも見えず、2時間登って一不動の尾根に出てやっと姿を現わす。そこから先も長いアップダウンの尾根道が続き、最後にイヤというほどキツイ坂を直登してやっと山頂にたどり着く。そのキツさを深田久弥も「日本百名山」で嘆じているが、元々信仰心の篤さを試す修験の場だったのだから、その覚悟で登るしかない。

この写真は郷里の友人に誘われて飯縄山でスキーをした時に撮った。この喜寿スキーが今のところ最後のスキーだが、先般中学時の恩師にお会いしたら、90歳を過ぎて滑っていると伺った。見習うべきか思案している。

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Nikon D5200  17-70mm(50mmで撮影) ISO-800 f7 1/2000 


97.雨飾山(1963m)    撮影:国道148号線から          2006/11/4  10:41

雨飾山は名前も良いが山の姿も良い。雨飾に登頂した翌日、麓の温泉から糸魚川に抜ける国道でバックミラーに雨飾山が映り、路傍に車を停めて撮った。里に近い2千m級の山に特有の、威厳を示しながら里人を優しく見守る雰囲気が好ましい。

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Nikon D100 24-135mm(120mmで撮影) ISO400 f9 1/250


98.岩菅山(2295m)      撮影:志賀高原アライタ沢から     2012/10/24  14:07

スキー場だらけで痛々しい志賀高原の山で、岩菅山だけが無傷で残っている。実は長野オリンピックで滑降競技場を造成する計画だったが、反対運動で開発を免れた経緯がある(会場は八方尾根に変更され、長野市から白馬村までオリンピック道路を急造した)。

日本百名山を選んだ深田久弥は、その選考基準に里人に親しまれてきた山であることを挙げているが、それだけ大事にされていた岩菅山を日本百名山に入れなかったことを、深田はあの世で反省したのではないか。ちなみに「日本二百名山」を選んだのは深田没後に出来たファン組織の「深田クラブ」で、ちゃんと岩菅山を入れてある(深田はあの世で苦笑いしたかもしれない)。

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Nikon D300S 18-200mm (44mm で撮影) ISO400  f8、 1/320


99  瑞牆山(2230m)  撮影:瑞牆山南側の林道から       2001/11/24 

「みずがきやま」と読める人は少ないのではないか。深田は「日本百名山」で山名の由来に紙面を割き、山稜が三つに分かれた状態を言う「三繋ぎ」に風流な当て字をしたのではないかと憶測を記している。「風流」と言われれば、瑞牆山の花崗岩と松の緑の見事な対称は、風流な墨画の素材になりそうだ。

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Nikon F3 Fujifilm Velvia 撮影データ無し


100.浅間山(2404m)     撮影:渋峠から    2001/2月  

「ボクの山写真百選」のトリを浅間山に務めてもらう。この作品は横手山にスキーに行った時に撮ったが、これとほぼ同じ姿の浅間山が高校の2階の窓から見えた。いつもは薄い噴煙を漂わせているだけだが、時にモクモクと高く噴き上げることがあり、そんな時は授業が上の空になった。

高校を卒業して郷里を離れたが、帰省の度に浅間の麓を通ると「帰って来たよ」の気分が湧き、東京に帰る時に「また来るね」と心の中で声をかけたりした。浅間山は小生にとってそんな山である。

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Nikon F3 35-70mm   Fujifilm Provia-100F  撮影データ無し (友山クラブ写真展出展作品)