この歳になると「やり残したこと」が気になる。21年前に「一切経山に登ろう」と思ったまま、やり残していた。2001年9月に百名山登山で吾妻山の西吾妻(2035m)に登ったが、「(西吾妻は)面白くもおかしくもない。一切経山のハイキングコースの方が楽しいと聞くが、百名山をかたづけるのが先」だった(百名山・東北篇)。百名山は2009年に「かたづけた」が、一切経山の宿題はまだやってなかった。早く登らないと登れなくなる。自分の体力だけではない。活火山はいつ噴火しても不思議はなく、噴けば登山禁止が数年に及び、そうなれば小生の「やり残し」が確定する。

忘れっぽい小生の記憶に「一切経山」がこびりついていたのは、山の名が印象的だからだろう。一切経(いっさいきょう)は仏教典の集大成で「大蔵経」とも呼ばれる。その全225巻に及ぶ仏典を、平安時代の武将、安部貞任(1019~1062)がこの山に埋めたと伝えられる(弘法大師が埋めたとする説もある)。里に暮らす人々が、しばしば地獄の火を噴き上げるこの山を怖れ崇めた心情が分かるような気がする。

一切経山は30万年前の火山活動で形成され、約5千年前にほぼ現在の地形になった.。近年では1893年(明26)の大噴火で50万立方米(東京ドームの容積の約4割)の岩石が噴出し、調査技師2名が殉職した。1977年(昭52)と2008年(平20)にも数百mの噴気を上げ、2018年(平30)に警戒レベルが2になったが、現在は小康。チャンスは今だけかもしれない。

拙宅から浄土平登山口まで片道4時間、山頂往復の行動時間が4時間で、早朝出発すれば明るい内に帰宅できる。日帰り登山に往復600Kmのドライブはキツイが、常磐道・磐越道はあまり混まないので、半自動運転に慣れればそれほど疲れない。福島市で高速を降り、観光道路の吾妻スカイラインで標高1570mの浄土平に10時半到着。紅葉シーズンの土曜日とあって、300台収容の大駐車場はほぼ満車だが、大半が吾妻小富士が目当ての観光客で、一切経山に登る人はそれほど多くない。

駐車場から山頂までの標高差は370mで、息を切らすような急登はない。途中の避難小屋で昼食休憩しても1時間半で山頂に着く。山頂は平坦で広場のようだが、噴気口のある南面は切れ落ちて崩落の危険があり、かなり手前に立ち入り禁止のロープがあって崖っぷちまで行けず、噴気孔を覗き込めない。

10:50 浄土平のビジターセンターを出発。湿原を横断して登山口へ。
11:30 酸ヶ平の避難小屋で早目の昼食。
11:50 昼食を済ませて山頂に向かう。登山道脇のナナカマド。
見事な草紅葉だが、名前は知らない。
12:10 避難小屋からここまでちょっと急坂。鎌沼の展望がひらけた。
12:23 山頂(左前方)までなだらかな登り。
12:34 山頂到着。祠の脇に「空気大感謝塔」の意味不明な標識が立つ。
その横に山頂標識がある。
福島の市街を見下ろす。
吾妻小富士の火口が見える。
小富士の右に噴気が上がる。ここから先は立入禁止。
12:56 下山時に磐梯山が見えた。直線距離で20kmほど。
13:26 吾妻小富士の火口が印象的。
小富士に並ぶ桶沼も旧噴火口。
葉を落とした白樺林。
13:39 小富士が近くなった。
13:49 噴気口の横を下る。
14:01 浄土平に帰着、やはり噴気が気になる。

山頂からの帰りは、酸ヶ平から鎌沼へ大廻りする周遊コースが推奨されているが、明るい内に帰宅するには往路を戻るしかない。一切経山登頂で「やり残し」が解消し、秋の山歩きも楽しんで、めでたくミッション・コンプリート。


火山噴火予知について

小生が中学で学んだ知識では、現在噴火している山が「活火山」、今は噴火していないが有史以来噴火記録のある山が「休火山」、火山地形だが噴火の記録がない山が「死火山」だった。シロウトに分かりやすい分類だが、地球時間では人類の「有史」などちょっと前に始まったばかりで、死んだように見える山も実は「うたたね中」かもしれない。

そんなわけで、火山噴火予知連絡会が2003年に「活火山」の定義を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」に改め、現在111座が指定されている。その内の50座が「火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山」で、常時観測と噴火予知の対象になっている。地図で見ると、この国が「危険な火山の巣」と納得する(近畿、中国、四国は空白地帯だが)。

年い

50座の中に「日本百名山」が24座ある(黄色マーク)。つまり百名山の1/4が「危険な活火山」なのだ。百名山踏破では山頂(最高点)に登らねばならないが、火山活動や崩落の危険で最高点が立入り禁止の山は、「見做し登頂」でOKとされる。我々の百名山(1997年~2009年)では火山活動で見做し登頂だった山が3座あった。浅間山(外輪山の黒斑山で代替)、草津白根山(火山ガスのため手前の標識でOK)と焼岳(最高点の南峰は登山禁止、62m低い北峰でOK)だ。2009年以降に立入り禁止が生じた百名山に、雌阿寒岳、吾妻山、御嶽山、阿蘇山、霧島がある。中でも御嶽山は2014年9月の噴火で58名が死亡し5名が行方不明のまま。噴火の1年前(2013年10月)に遭難現場周辺を歩いた我々には(2013年山歩き)、他人事と思えない出来事だった。

噴火予知に携わる関係者には失礼だが、予知は今も困難で、御嶽山の突然の水蒸気爆発も(本格的なマグマ噴火ではなかった)数日前から微弱な変化を観測しつつも、禁止の警報を発するに至らなかった(オオカミ少年を恐れて躊躇する事情があったらしい)。火山には予知が容易な山と困難な山があり、2000年に有珠山噴火の予知が的中して被害を免れたのは、例外的な成功と言われている。

気象庁のホームページを見ると、綿密な活動が行われているように見えるが、噴火予知にかかわる国家予算は、大学の研究費を含めても年間10憶円程度らしい。50で割れば1座あたり2千万円で、「予算を付けたから、ちゃんと予知せよ」と言われても、現場は困惑するしかないだろう。下の経済産業省の資料が示すように、この国は学術研究にカネをかけないのが基本政策で(それがこの国の凋落の原因になっているのだが)、政府に反省の気配はない。火山噴火予知は、登山者の安全だけでなく、国民の生命と国の経済に多大な影響を及ぼす重要課題で(富士山噴火を想像すればその重大さが分かる筈)、もっと本気を出して取り組むべきだろう。


記事のテーマから我田引水で権力者に苦言を呈するのがクセになったので、今回は「予知」にからめて「J-ALERT」をヤリ玉にあげる。テレビの画面が突然黒くなり、赤帯に「国民保護に関する情報」の文字が現れ、「ミサイル発射、ミサイル発射」と続き、緊迫した音声で「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中、又は地下に避難して下さい」と告げるアレだ。全てのチャンネルの番組を中断させて同一画面を流し、内容の乏しいメッセージを小1時間繰りかえすのには、いささか辟易する。

そもそも「国民保護」に「J-ALERT」などわけのわからぬ英文字を使うのが気に食わぬが、それはさておき、太平洋戦争末期(1945年前半)に3才の幼児だった小生は、「空襲警報発令!」のラジオ放送を思い出す(戦争は幼児の記憶にも焼き付くものだ)。

米軍のB29爆撃機のことを「乗鞍岳」の記事に書いた。その編隊が日本領空に近付く度に、ラジオが臨時放送で「空襲警報発令!」を告げた。爆撃を予知して国民に警戒を指示する緊急放送である。小生が育った信州の地方都市は空襲を免れたが、日本海側の都市爆撃に向かう編隊が上空を飛んだ。空襲警報発令から編隊の飛来まで20分ほど余裕があったが、住民は避難せず、婦人たちもモンペ姿にたすき掛けでバケツとハタキを持ち、路地に参集して焼夷弾の火を叩き消す準備をした(バケツとハタキで焼夷弾の火は消せないと噂されていたが、参集を怠れば「非国民」で、食糧配給の際にイヤミを言われたりしたらしい)。幼児は路地に掘られた防空壕に入ったが、B29編隊のエンジンの低い唸りは、防空壕の中でも聞こえたような気がする。

空襲警報を発せられても、国民には自らを守るすべがなかった。J-ALERTはどうだろうか? ALERT(警報)の情報があてにならないことが最近の発信で発覚した。警報発信から数分後、「発信した時点で既にミサイルが日本上空を通過済みだった」と訂正され、更にその数分後、「ミサイルは日本上空に到達しなかったらしい」と再訂正された。つまりあの警報が「お騒がせ」だったことになる。

北朝鮮がミサイルを発射したことは事実だが、日本を標的に発射したミサイルが今にも頭上で炸裂するかのような警報は、いかがなものか。北朝鮮は今も米国と戦争状態にあるが、朝鮮戦争に参戦していない第三国の日本を標的にミサイルを発射する意図はない筈だ。発射実験で生じるかもしれない破片が日本に落下する危険を警告するのであれば、「落下物に注意」が正しい情報ではないのか。実戦さながらの表現で国民の危機感を煽るのは、「防衛費倍増」の世論形成が目的だろうと勘繰りたくなる。この際ついでに言えば、北朝鮮が「実験は正当な権利」と主張するのであれば、実験で迷惑をかける近隣国に事前に通告するべきで、唯我独尊の姿勢は無礼千万で、断固糾弾するほかない。

それはともかく、ミサイルが北朝鮮から数分で日本に着弾することは実感させられた。ミサイルは音速の8倍(時速8000km)で飛翔する。発射地が中国東北部でも日本までの飛翔距離はほぼ同じで、発射直後に正確な警報を出されても、安全な場所に退避できる人は多くないだろう。(米国本土まで到達するには約1時間を要するので、米国民には避難と要撃のチャンスがあるかもしれない。)

政府は「ミサイル防衛力強化」というが、日本海にイージス艦を何隻並べても、複数のミサイルを同時に発射されたら撃墜しきれないだろう。「だから敵基地反撃能力が必要」というが、敵が真っ先に叩くのは反撃基地で、反撃能力は抑止力にならず、むしろ戦争を拡大させるだけではないか。つまり、戦争を回避しない限り国民の生命財産を守れないことは自明で、熱にうかされて軍拡に走り、その結果より大きな危険を背負い込むのでは、税金を払わされる国民は踏んだり蹴ったりになる。政府が成すべき努力は、軍備拡張ではない筈だ。


 特集 火の山を歩く:噴気孔のある風景

活火山を歩いても、目の前に噴気が上がっていなければ緊張感は湧かない。逆に僅かな噴気で「あの程度なら大丈夫」と言われても恐怖心は消えない。その噴気がマグマの「火」であることは滅多になく、殆どの場合、地熱で温められた水が沸騰して生じる「水蒸気」である。

以下は「噴気孔のある風景」の特集だが、タイトルが「水蒸気の山を歩く」ではパンチがなく、やはり「火の山を歩く」と題するしかない。他の記事で掲載済みの写真ばかりだが、ネタ切れに免じてご容赦いただきたい。


十勝岳(2177m) 2002/8/3 登頂  参考:日本0百名山・北海道篇

北海道のほぼ中央に位置する十勝連峰の主峰、十勝岳はしばしば大噴火を繰り返してきた。1923年の水蒸気爆発は大正噴火と呼ばれ、火口丘が崩壊して泥流が麓の硫黄鉱山の宿舎を呑み込み、144名が犠牲になった。1962年の噴火でも5名の命を奪っている。1988年にも小噴火で1990年まで入山禁止になり、2014年に警戒レベルが2に引き上げられた。我々はその間隙を縫って2002年に登ることが出来た。写真は大正噴火で出来た火口。


大雪山 旭岳(2290m) 2002/8/4 登頂  参考:日本百名山・北海道篇

大雪山系は大小の火山の集合体である。主峰の旭岳は1万年前から繰り返された噴火で出来た比較的新しい成層火山で、5600年前の大噴火で山体が崩壊して現在の山容になった。1000年前の水蒸気爆発で姿見池が形成され、それ以降大きな爆発はない。このところおとなしい活火山だが、ロープウェイを降りて姿見池の登山口に立つと目の前の噴気に圧倒され、火口縁(写真では右の稜線)を登りながら眼下の噴気を見ると緊張感を覚える。

2002年の旭岳登頂には苦い思い出がある。山頂からの下りで欲を出して、遠回りして御鉢平の花を愛でたまでは良かったが、途中で左膝が痛み出した。急激に悪化して直進歩行が困難になり、杖にすがってカニの横這いでやっと姿見池に戻り、ロープウェイの最終便にへたり込んだ。これが百名山登山で唯一の「事故」だった(遭難はしなかった)。


雌阿寒岳(1499m) 1967/8/2 登頂  (参考:日本百名山・北海道篇)
           2019/7/15再登頂 (参考:2019北海道センチメンタル山歩き)

雌阿寒岳は8つの火山の総称で、我々が雌阿寒岳と呼ぶ主峰のポンマネシリ峰は、13,000年前から噴火活動が始まり、約3000年前に現在の山容が形成された。小規模な噴火を繰り返す山で、日本百名山の著者の深田久弥が登ろうとした時も直前に噴火が始まり、代わりに雄阿寒岳に登ったと記している。我々は新婚早々の1967年夏の北海道旅行で現地で思い立って登り、52年後の2019年夏にも再登した。2度も登頂できた我々はラッキーだったのだ。


昭和新山(398m) 1963/8、1968/7  山頂付近まで

百名山でない昭和新山を特集に入れたのは、2007年に百名山の後方羊蹄山(しりべしやま)登山で中腹から撮った昭和新山にご注目いただきたいからで、有珠山の東麓に突き出た裸の小丘がその昭和新山である(湖は洞爺湖)。

昭和新山はその名の通り昭和に生まれた新しい山である。昭和19年(1944)1月、有珠山の麓の麦畑が突然隆起し始め、6月に噴火、7月には噴石が千歳、苫小牧、室蘭まで飛んだ。10月になって噴石を伴う噴火が収束し、12月に粘性の高い溶岩が盛り上がってドームを形成し始め、1年で175mの高さまで成長した。その全過程を地元の郵便局長だった三松正夫氏が詳細に観察・スケッチした。戦時中は地理情報も全て「国家機密」だったが、戦後に記録が公開され、人類が火山の形成過程を詳細に記録した唯一の例として高い評価を受けた。

小生は1963年夏と1968年夏の2度、昭和新山を訪れた。当時は山頂のすぐ下まで歩いて登れ、ズック靴の底が溶けそうな地熱と手で触れられないほど熱い溶岩の感触を今も思い出す(写真は残っていない)。


那須 茶臼岳(1827m) 2000/7/9 登頂  参考:日本百名山・東北篇

那須連山の火山活動は60万年前に始まった。現在も火山活動が続く茶臼岳は3万年前に噴火を始めた比較的新しい山で、1410年(応永17)の大噴火で180余名の死者が記録されている。その後1804年と1846年に山容が変わるほどの噴火があり、明治以降も1881年(明14)、1953年(昭28)、1960年(昭35)に降灰を伴う噴火があった。いつ大きな噴火があってもおかしくない危険な山と承知しておく必要があるだろう。

百名山で登る「那須山」は、茶臼岳より標高が1m高い「三本槍ヶ岳」になる。槍と言ってものっぺりした草原で、ここに下野・磐城、岩代の三藩の武士が集まって槍を立てて境界を確認しあった行事が山名の由来とされる。三本槍岳も火山だが、長年の浸食で平坦になった。現在は活発な活火山である茶臼岳も、数万年後にはのっぺりした草原と化しているだろう。我々は三本槍に登った足で茶臼岳に登ったが、還暦前で疲れを知らなかった頃の話だ。


立山 弥陀ヶ原 参考:百名山・北アルプス12014山歩き2020山歩き

室堂でバスを降りると、雄山をはじめ周囲の山々は鎮まりかえって見えるので、立山が火山だという印象は湧かない。だが、バスターミナルより下の地獄谷(写真正面)と、右上の浄土山の裏に隠れた巨大なカルデラは、共に噴火予知対象の活発な活火山である。昔の人たちは麓から登って活火山の神秘を体感し、木曽御嶽、白山と共に山岳信仰の霊山として崇めた。

無信神の我々もしばしば立山を訪れたが、主な目的は高所順応の訓練で、山小屋の温泉も楽しませてもらった。上の写真は2014年10月に奥大日岳の山頂近くから撮ったもの。


焼岳(2455m) 2003/10/5 登頂  参考: 百名山・北アルプス2

北アルプスの盟主である穂高岳と槍ヶ岳が「火山」と言われてもピンとこないが、穂高の西麓と南麓に温泉が湧き、槍の西麓で硫黄が採れるので、火山と納得する(有史以来噴火の記録がないので、いわゆる死火山だが)。

穂高の南に連なる焼岳は現役バリバリの活火山で、1915年(大4)の噴火で火砕流が梓川をせき止め、大正池を作った。近年では1962年(昭37)に噴火し、山小屋が大破して従業員2名が負傷している。その後大きな噴火はないが、山頂周辺の噴気孔から硫黄臭の強い噴気が上がり、近くの登山道を歩くと今にも爆発するような恐怖に襲われる。(右写真は2013年10月に霞沢岳から撮った焼岳)


浅間山(2404m) 2012/5/27 登頂   参考:日本百名山・関東、 2012年山歩き

小生は高校時代を長野市で過ごしたが、校舎2階の教室の窓から浅間山の山頂が見えた。白い噴煙は滅多に絶えることなく、数カ月に1度、かなり高くまで噴煙が上がり、そんな時は授業がうわのそらになった(右の写真は志賀高原渋峠から。校舎の窓からもこのように見えた)。

浅間山はしばしば登山禁止になり、我々の百名山では外輪山の黒斑山で代替した。登山禁止が解除されても火口周辺の立ち入りは許されず、上の2012年に撮った火口の様子は「あってはならない写真」。老人が「みんなで渡れば怖くなかった」と弁解してもシャレにならないが・・・


木曽御嶽(3067m) 2002/10/13 登頂 2013/9/1再登 参考:百名山・中央・南アルプス2014年山歩き

木曽御嶽の噴火活動は75万年前までさかのぼるが、1979年以前の噴火記録が存在しないという。人々の暮らしに影響するような噴火がなかったのか、それともいつも噴いているので記録する気が起きなかったのだろうか。1979~84年の噴火では前橋付近まで降灰をもたらして農作物に被害を与え、山頂付近で生じた山崩れが麓の大滝川に達し、死者が29名出た。その後も小規模な地震や水蒸気噴火があり、2014年9月27日の水蒸気噴火では噴煙が7000mまで上がり火砕流が生じた。9月10日頃から低周波地震を観測していたが爆発の予知に繋がらず、戦後最大の人的被害となったのは遺憾とするしかない。写真は2013年の再登の際に山頂近くから爆裂口を覗き込んだもの。2014年の爆発もこの地点の筈。


阿蘇山(1592m) 2001/4/29 登頂 2010/5/26 再登頂

阿蘇山は世界最大級のカルデラ火山である。地下から溶岩が噴出して空洞で生じ、それが陥没して出来た窪地がカルデラで、噴火後の浸食と堆積を無視すれば(無視できないだろうが)、窪地の容積=噴出した溶岩の容積の筈。サイズ比較に東京ドームが使われるので、阿蘇山が噴出した溶岩が東京ドーで何杯分だったか計算してみた(東京ドームの容積=124万立方m、阿蘇カルデラの面積=76平方Km、深さ200mで計算)。結果は約12万3千杯分と出たが、体育と共に算数が最苦手科目だった小生の計算ゆえ、桁違いで間違っているかもしれない。とにかくとてつもない量の溶岩が噴出して九州一帯を覆いつくしたことは確かで、地球時間ではいつかまた同等の噴火が起きるのだろう(その時人類が存続しているかどうかは別問題だが)。写真は2010年5月に阿蘇最高峰の高岳から見た中岳火口。この程度の噴気では注意報は出ないようだ。


アパチャ(2741m) ロシア・カムチャツカ  2003/7/30 9合目まで 参考:カムチャツカ

ロシア極東のカムチャツカ半島には富士山に似たコニーデ型の火山が30座以上ある。州都ペトロパブロフスク・カムチャツキーに近いアパチャ火山が日本からの観光ツアーを目当てに観光開発され、我々は2003年7月のツアーに参加した。

6輪駆動の軍用トラック改造のバスで標高800mのベースキャンプに入り、翌早朝に2741mの山頂に向けて出発する。標高差1900mの日帰り登山はそれなりの体力と覚悟が要る。ツアー参加者の大半が途中で引き替えし、山頂に挑んだのは3人だったが、年長者(小生ではない)のペースが落ち、午後4時を過ぎて天候も悪化したので登頂を断念した。上の写真は中間点の避難小屋から(最高到達点は傘雲の下あたり)。右はベースキャンプから。山頂にかすかに噴煙が見える。


ヤスール(361m) バヌアツ共和国タンナ島  2004/12/3 登頂  参考:タンナ島火山 タンナ島再訪

ヤスールのキャッチフレーズは「世界で最も火口に近づける火山」で、火口縁から赤いマグマが見え、数分おきに噴き上がる溶岩は目の高さより高く上がる。日本人観光客が溶岩を浴びて死亡する事故が起きたが、よほど激しい噴火が継続しない限り登山禁止にはならない。ただし見学は「自己責任」の文書サインとローカルツアー参加が条件。

小生は2004年から2年のバヌアツ滞在中に3度ヤスールを訪れた。オーストラリア人経営のリゾートから四駆トラックの荷台に乗り、未舗装の悪路を1時間半走るとヤスールが見える峠に出る(右写真)。峠を下って南麓(写真の山の裏側)から中腹までトラックで登り、火山灰の坂を20分ほど登った火口縁で日没を待って噴火を楽しむ。


エトナ(3323m) イタリア・シチリア島 2009/10/19 8合目付近  参考:シチリア島

エトナはヨーロッパ最大の火山だが標高が定まらない。噴火の都度山頂の形状が変って標高も変わると言われるが、測量がいいかげんなだけかもしれない。それはともかく、激しい噴火を繰り返して降灰も少なくない筈だが、中腹まで集落があり農園が拓かれている。観光も盛んで、ロープウェイと四駆車で8合目まで歩かずに行ける。上はローブウェイ終点から少し登って撮った。火山ガスがひどかったと記憶する。

右はシチリア東岸の景勝地タオルミナから見たエトナ。夜になると山頂火口の溶岩が空を赤く染めるというが、残念ながら小生は見ていない。