年末記事のタイトルは昨年まで「××年 山歩きレポート」だったが、今回は「山歩き」だけでは格好がつかず、「旅レポート」を加えることにした。山歩きが低調だったのは、異常な猛暑と迷走台風による不安定な天候のせいもあるが、7度目の年男になる筆者の加齢による活動低下が主因と自認するしかない。

それを思い知らされたのが9月のポーランド・スロバキアの旅で、国境の山歩きで股関節痛が生じて歩行困難に陥った。脊椎管狭窄症? 関節の軟骨摩耗?と心配になり、帰国早々に整形外科を受診、「老化と運動不足による筋力低下が原因」と診断された顛末は、10月の旅レポートに記した。

高校のクラス会の名簿係を務めて分かったことは、既に同級生の半分があの世に渡り、残る半分の半分は病気や施設入りで外出がままならず、集まりに参加できるのは4人に1人になっていたことだ。会社の同期入社生もほぼ同じ状況で、男性の平均寿命(81.9歳)を過ぎるということは、具体的にこういうかたちで表れるのだ。

小生は幸いにも4人に1人のグループに属し、生活上の制約なく暮らせるのは誠にありがたいと思っているが、病院の診療科が増え、ギクッとするような症名も聞かされる。同年代の友人知人が次々と他界するのを知るにつけ、遠からず自分の番が回ってくるに違いなく、それまで楽しくすごし、多少でも世間様のお役に立てればと願うこの頃である。


鋸山(標高:330m)→ 伊予ヶ岳(標高:336m)    3月13日~14日

標高5百m以下は「丘陵」という地理学の定義に従えば、千葉県には山がないことになる。県内最高峰の愛宕山でも標高408mで、それも自衛隊のレーダー基地内にあり、事前に申請して許可を得ないと山頂に立てない。だが「有名な山」はある。南房総の鋸山は関東最古の勅願所(天皇の勅命で設けられた祈願所)の日本寺があり、江戸時代から石材を切り出して出来た断崖絶壁が名所になり、相模湾を隔てて湘南の海と富士山の眺めもあって、年間を通じて観光客を集めている。

我々(小生と連れ合い)は40年近く千葉県民として過ごしながら、鋸山を訪れたことが無かった。平均寿命を過ぎた身としては、行ける内に行かないと第二の故郷に不義理をすることになりかねない。そんなわけで、小春日和に誘われて出かけることにした。片道100kmを超えるドライブは久しぶりだが、ムリせずに走ればまだ大丈夫(のつもり)。

金谷市内に車を置いて観月台コースへ。登山口にいきなり長い石段。
屹立する岩の峯々に「鋸」を実感する。
石材を切り出した跡。
展望台から金谷の眺め。相模湾の向こうに富士山が霞んで見える。
南は保田の市街。
最高点からの展望はイマイチ。

せっかく出かけたのに鋸山だけで帰るのはもったいなく、館山で一泊して魚料理を楽しみ、翌朝「伊予ヶ岳」に向かった。これも標高は336mしかないが、千葉県で唯一「~岳」がつく山で、「伊予」は山頂の岩稜が百名山の伊予(愛媛)の「石鎚山」に似ているからと言われ、「房総のマッターホルン」の異名もある。

館山市街を出てしばらく曲がりくねった山道を走り、平久里天神社の境内に駐車、神社脇から登り始める。南房総の山は標高は低いが地形が複雑で、しばしば道迷いで遭難騒ぎが起きるが、人気の山だけに道標はしっかりしている。山頂直下でいきなり垂直に近い岩壁がたちはだかり、足場を探しながら鎖を頼りによじ登ると山頂に出て、視界に南房総の山里が広がった。鎖場の下りが心配だったが、南峰から北峰に渡ると地図にない迂回ルートがあり、なだらかな林道を経て無事に下山できた。

9:30 平久里の天神社の脇が登山口。
10:17 伊予ヶ岳の山頂が見えた。マッターホルンと言われれば…
10:45 山頂直下の険しい鎖場をよじ登ると山頂の岩稜。
10:55 北峰から南峰の最高点(人が立っている)を振り返る。マッターホルンと言われれば…
山と里が入り組んだ複雑な地形。右奥の印象的な山は前年に登った「富山」(349m)
三浦半島、相模湾の向こうに富士山。


早春の山形・会津 鉄ちゃん旅    4月10日~11日

長距離ドライブではなく「鉄道」で行く桜見物の旅を探していたら、JRE系のツアーに面白い企画があった。私鉄とJRを乗り継ぎ、山形から会津まで桜の名所を巡る1泊2日の旅を予約したが、問題は桜の開花が遅れていること。出発前日に添乗員から「桜はまだかも…」と牽制の電話があったが、行くと決めたら行くしかない。

鉄道を乗り継いでと書いたが、鉄道とツアーバスのコンビの旅で、バスで鉄道の駅まで行き、鉄道で移動する間にバスが観光スポットの最寄り駅に先回りし、観光が終わるとまた駅に連れて行ってくれる。初日は先ず山形駅からバスで山形交通「フラワー永井線」終点の荒砥駅に移動。フラワー長井線は旧国鉄の長井線を1988年に山形交通が引き継いだ路線で、終点の荒砥駅と車両基地が田んぼの中にポツンとあるのは唐突だが、国鉄時代に更に先の左沢(あてらさわ)まで延伸する計画だった。そんな地方私鉄が地元の利用者だけでは成り立ち難く、観光客の呼び込みに力を入れるしかない。

荒砥から2両連結の気動車で車窓から景色を楽しみ、長井駅でバスに戻って喜多方に移動。旧国鉄で廃線になった日中線の線路跡に植えられたしだれ桜の並木は幸い八分咲きで、八重桜の濃厚な咲きっぷりを日没まで楽しみ、会津若松駅前で宿泊。

フラワー永井線終点の車両基地。唐突な場所にあるのは、延伸計画があったから。
終点荒砥駅の立派な駅舎。地域の交流センターを兼ねている。
フラワー長井線の車両は山形交通が引き継いだ時に導入した新車という。
最上川白鷹橋梁は、明治20年に東海道線の木曽川に架設された橋梁を大正12年に移設したもの。
通常はワンマン運転だが、車掌が特別に乗務、沿線の観光案内とグッズの販売を行う。
日中線跡に植えられたしだれ桜の並木は見事。並木の先に飯豊連峰が覗く。

2日目は会津若松駅から会津鉄道の気動車で湯野上温泉駅に移動。待っていたバスで「塔のへつり」の景勝を見学し、昼食後に福満虚空蔵菩薩円蔵寺を参拝。近くのJR只見線の会津柳津駅(東北の駅百選)から会津川口駅まで乗車。待っていたバスで1時間移動して道の駅でバスを降り、只見線の代表的景観スポットとされる第一只見川橋梁のビューポイントに登り、橋梁を渡る車両を撮り、郡山から帰路につく。「鉄ちゃん」趣向満載のツアーだが、参加者10名の中で鉄ちゃんは小生だけだったようだ。

会津若松駅前のホテルの窓から朝の磐梯山。
朝日をあびる飯豊連峰も。
会津鉄道の気動車。
沿線に菜の花が咲く。
古民家風の湯野上温泉駅
塔のへつりの景勝
福満虚空蔵菩薩円蔵寺の伽藍
東北の駅百選に選ばれた只見線の会津柳津駅の駅前に赤べこ。
柳津駅構内に静態展示のC11型蒸気機関車
運転席の脇で「撮り鉄」を気取る。只見川の橋梁を渡る。
会津宮下駅に入構
ビューポイントから第一只見川橋梁を渡る気動車を撮る。シャッターチャンスは1日5往復。


ひたち海浜公園→犬吠埼    4月25日~26日

在米の長女の短い一時帰国を機に1泊2日の旅に出た。ゆっくり山歩きする時間はなく、近場のひたち海浜公園と犬吠埼で春を楽しむことにした。海浜公園はネモフィラ、銚子は藤の花と犬吠埼の灯台がポイントだが、「鉄ちゃん」としては「銚子電鉄」との出会いも楽しみの内に入る。

海浜公園のネモフィラと菜の花
みはらしの丘に咲くネモフィラ
チューリップもなかなか見事。
銚子 妙福寺の藤園
踏切で銚子電鉄に出会う。井の頭線の旧車だろう。
ホテルの窓から犬吠埼灯台の光
銚子電鉄の終点「外川駅」。右は展示用の旧車両
駅舎内はレトロな雰囲気。(始発前でまだ誰もいない)。
06:00発の始発電車が入線。これは京王線の旧車。
犬吠埼の灯台
銚子の利根川河口


大菩薩嶺 (標高:2057m)   5月9日

仕事仲間だった友人が退職後に登山ガイドの資格を取ったと聞き、いつかお世話になろうと思っていたが、果たせぬ内に当方の体力劣化が進んでしまった。本当にダメになる前に実現するべく連絡をとったところ、大菩薩嶺に連れていってもらえることになった。

大菩薩嶺は1997年に日本百名山の手始めに登り、雄大な富士山を見て百名山踏破の決心を固めて記憶が蘇った。それから12年かけて2009年に百名山を完登、ヒマラヤやヨーロッパの山に足を伸ばし、山の写真を撮るようにもなった。その意味で大菩薩嶺は小生の後半生のスタートとも言える。27年後の再登山でそんな気分に浸ったが、それはともかく、登山ガイド氏に「80歳超にしてはしっかり歩けている」とお褒めをいただいた。

10:50 福ちゃん荘(1700m)に車をおいて登り始める。
12:12 最高点の大菩薩嶺(2057m)に到着
12:36 落葉松の新芽に霧が蒸着
13:00 この辺りで富士山の雄大な姿が見えたのだが…
13:06 大菩薩峠介山荘(1900m)までもう少し
13:34 大菩薩峠から下山


上高地→乗鞍五色ヶ原    6月15日~16日

JR系のツアーにまた面白い企画が見つかった。乗鞍岳西麓の「五色ヶ原」の原生林はガイド付きでしか入れないルールがある。ガイド料が怖くて行きそびれていたが、そのツアーがあったのだ。梅雨の季節だが、深い森の中を歩くので、どっちみち展望は期待できない。

ツアー会社は五色ヶ原だけでは集客力不足と考えたのか、1日目は松本から上高地へ直行し、3時間の自由散策で好きなところを歩きなさいという趣向、我々は10年程前に歩いた河童橋~明神池を往復し、アジアからの観光客と野生猿の急増に驚いた。

おなじみの河童橋だが、行き交う言葉は外国語。
湿地帯からの眺め
とにかく、あちこちにサル
明神池
山の朝、福地温泉のホテルのベランダから
ホテル前にJR北海道の気動車が2両。オーナーは鉄チャンかな?

奥飛騨の福地温泉で一泊して五色ヶ原へ。ガイド付きツアーは1日コースが基本だが、我々は3時間弱の短縮コースで、立ち止まって森の木々や草花の説明を聞きながら歩くので、歩いた距離は4km足らずだろう。後半は昼食の予約時間を気にする添乗員に急かされて落ち着かなかったが、松本で時間調整で訪れた味噌蔵の見学は面白かった。肝心の五色ヶ原歩きに少々欲求不満が残ったが、1日コースを歩き通す体力はもう無いかな…

9:00 五色ヶ原のゲートでガイダンスを受ける。
9:02 コースの入口
9:11 原始の森を歩く
可憐な花が迎えてくれる
10:45 布引の滝で折り返し


ポーランド・スロバキアの旅  9月10日~9/19 

冒頭に書いたように、ポーランド・スロバキアの旅で股関節痛に襲われた。前例がなかったわけではない。1年前の米国シアトルの旅でも到着早々に股関節痛を生じて回復に3日を要した。エコノミー席に長時間座り続けて足腰に負担がかかったのだろう。今回も14時間のフライトで、着いた当初はOKだったが、翌日の山歩きで股関節痛を発症、その後の都市観光も両手に杖でやっと歩く始末。帰国後受診した整形外科で鎮痛・消炎剤を処方され、とりあえず治癒したが、心理的ダメージは軽くない。

出発から2時間、コンチスタ峰(2538m)右下の台地にある湖まで、更に1時間を要した。
目的地のバテイゾスケ湖(1884m)
帰りも同じ道を戻る。この辺りで股関節痛が悪化。
翌日は雨模様でホテル前の池の回りをちょっと歩く(関節痛には有難かった)。
崖の上にシャモア(かもしか)が現れた。
その翌日はポーランド側のクズニツェに移動、雨の中を国境の稜線を歩く。


月山・蔵王 麓歩き  10月14日~16日

20年前のヨーロッパの観光ツアーで知り合った旅友達の会があり(小生がバヌアツにいた時も来てくれた)、今も連絡をとりあっている。今回はメンバーの一人が時折利用するという月山の麓のリゾートに行くことになった。グループの中で我々が「若手」なので、旅程は当然控え目になる(若手にも股関節痛のリスクがあり、この程度で良かったが)。リゾートのオーナーが運転手兼ガイドを務め、一行の体調に気を遣いながら2泊3日の旅を目一杯楽しませてくれた。

1日目は山形駅から月山に直行、この日が運転最終日のリフトで月山の中腹に登って紅葉を楽しんだ。駐車場からリフト乗り場まで片道30分の登りと、リフト終点から姥ヶ岳中腹までの往復は何とか無事に歩くことが出来た。

月山山頂は雲の中、中腹に遅い紅葉が輝く。
リフト運転はこの日が最終日。冬は雪が多すぎて春まで運転しないヘンなリフト。
リフト終点(標高1500m)
遊歩道脇のお地蔵さん
月山上部は雲の中
下りのリフトで紅葉を楽しむ。

2日目は蔵王へ。今年は夏の高温が続いたので紅葉はさえないが、蔵王でダメならあきらめがつく。幸い好天に恵まれ、それなりに華やかな紅葉が迎えてくれた。3日目は山形市周辺の道の駅で名産品を漁り、「こんにゃく会席料理」で旅を打ち上げ、午後の新幹線で無事帰宅した。

片貝沼(1350m)から三宝荒神山(1703m)を望む。
紅葉と秋の空を眺めながら、蔵王名物の稲花餅(いがもち)をいただく。
ドッコ沼(1280m)の紅葉。
旅の仕上げは上山市でこんにゃく料理の昼食。店舗は宿場の旧本陣の由。
こんにゃく会席の一部。

なんちゃって富士登山  標高143m  11月23日

富士山は2017年(76歳時)に標高差があって最もキツイ御殿場口から登り、その後も「海抜ゼロから…」などと嘯いていたが、コロナ渦で果たせぬ内に歳を重ねてしまった。最後のあがきで、この夏に6合目の宝永山(2693m)に登るつもりで計画を立てたが、超猛暑とグズグズ台風で機を逸した。スロバキアでの股関節痛を思うと、行かないで良かったかもしれないが…

日本には「何とか富士」が2百以上あり、中にはズバリ「富士山」を名乗る山もいくつかある。拙宅から車で1時間足らずにも富士山(「フジヤマ」と読むが)があったので、遅い紅葉見物を兼ねて登りに出かけた。

この富士山は陶芸の里として知られる茨城県笠間市内にあるが、市営駐車場でトイレ掃除をしていたおばさんに「富士山に行くには?」と尋ねると、そんな山は聞いたことがないと言う。案内書に拠れば「つつじ公園」の近くで、道標に沿って10分程歩くと、季節外れのつつじがチラホラ咲く丘があった。登りきって広場に出たが「富士山頂」の標識はどこにもない。案内書に「山頂に座頭市の碑と長塚節の歌碑」とあり、その広場が富士山頂(標高143m)と確認。ガイド本には「富士山」とあるが、笠間市は富士山の呼称をビビッているのかもしれない。

富士山から隣りの佐白山(205m)に縦走。戦国時代に笠間城が築かれた山で、残された石垣や掘割の間を縫って山頂の佐志能神社を目指したが、石段の下に「東日本大震災の影響で崩落・倒壊の危険あり、この先立入禁止」の立看板があり、神社裏の最高点(展望台)に立てなかった。

10:50 駐車場の先に秋の景色。
11:05 ここが「富士山頂」。
山頂から南側の眺め
11:45 佐白山の天守閣跡
11:50 崩落危険のため、山頂の神社には行けず。
12:30 下山して見事なモミジに出会う。


番外 山岳写真展「八千m峰」 11月5日~16日

山や旅のレポートではないが、近隣で11月に開いた山岳写真展についてふれておく。

我々が居住するのは約40年前に出来た1640戸の建売住宅団地だが、御多分にもれず商店街はシャッター街になっていた。2006年にボランティアが空き店舗を借りて喫茶室「はなみずき」を立ち上げ、小生も10年ほど前から雑用係を務め、2年前からウェイターの当番も務めている。

この喫茶室の壁面(2面)を使って住民が様々な作品を展示する企画があり、小生も毎年写真展を開いてきた。今回は「八千m峰」と題してヒマラヤの高峰8座の写真を展示し、「ギャラリートーク」で8千m峰にまつわる話をさせてもらった(右写真)。

以前の写真展では、クラブの写真展に出した旧品や、自分でA3判にプリントした作品を展示していたが、他のボランテイアの用事でネット印刷で大判ポスターを作った経験を基に、A1判のポスター(90cm×60cm)にプリントして展示した。1点1枚の注文でもリーズナブルな値段で、8点でも呑み会2度分の費用で済む(会場費は無料)。プリントの画質も良好で、下手な写真でもサイズが大きい分だけ迫力が出るメリットもある。

地元での写真展開催で多少の知名度を生じ、有償ボランティアのNPO「ビレジサポート」などでも「写真がらみ」の用事を仰せつかっている。この歳になって趣味を生かせる場を得たことは、誠に有難いと思っている。