ヨーロッパの名山と言っても、小生が訪れたのはスイス周辺の山に限られる。「旅のついで撮り」は毎度のことで、自慢できる「名作」を揃えたわけではないが、ヨーロッパアルプスは「迫力で勝負」のヒマラヤとひと味ちがう「個性派・演技派」の山が多いような気がする。
ヒマラヤが大陸プレートにインド亜大陸が衝突してせり上がったのと同様、ヨーロッパアルプスもアフリカプレートが大陸プレートに衝突して出来た山脈で、氷河期に氷河が削り出した地形であることも共通している。ヒマラヤの造山運動が約4千万年前に始まったのに対し、アルプスは約1億年前と言われ、アルプスの方が少し先輩だが、今も隆起し続けているので、尖り方は後輩のヒマラヤに負けない。標高が3~4千mで近付き易く、都市圏に近いこともあって、早くから観光開発されてきた。遠来の観光客だけでなく、地元に住む人たちが家族で日常的に山を楽しんでいるのを見ると、羨望を禁じえない。
93年夏のスイス旅行は、我々(小生+つれあい)にとって初めての「海外観光旅行」だった(海外駐在は別として)。山歩きを予定していなかったが、グリンデルワルトに着いて思い立ち、山道具屋で登山靴と小型ザックとトレッキング地図を買った。今思えば、あの時の「気まぐれ」が、その後の「日本百名山」と海外山歩きの原点だった。
それまで山とは無縁だったが、「アイガー北壁」は知っていた。中学生の頃スペンサー・トレーシー主演の映画「山」を見ていたし、今井通子の北壁登攀(1967年)のニュースも記憶にあった。地図に北壁を眺めながら歩く半日コースがあった。翌早朝にホテルを出た時は冷たい霧雨が降っていたが、ゴンドラでフィルストに上がると雲海を抜け、U字谷の反対側にベルナーオーバーラントの峻峰が朝日に白く輝き、アイガーの黒いピラミッドの先にユングフラウの花嫁姿もあった。
(旅のレポート:スイス前篇)
NIKON F3 35-70mm Fujicolorフィルム、 撮影データなし
スイスと言えば先ず「マッターホルン」が頭に浮かぶ。天を衝く三角錐の写真に「こんなに尖った山が本当にあるのか?」と半信半疑だったが、ツェルマットの駅を出ると「あり得ない山」が聳えていた。旅の荷物を持ったまま、駅前から出るゴルナーグラート行き登山電車に飛び乗った。
ゴルナーグラート鉄道も「あり得ない鉄道」だ。世界初の電車の営業運転は1881年のベルリン市電とされるが、その17年後の1898年に、200パーミル(1mで20cm)の急勾配を三相交流モーターで登る登山鉄道を開通させたのだ。19世紀がヨーロッパの時代だったことを、歴史オンチの「小鉄チャン」はこんな事例で実感する。 (旅のレポート:スイス後篇)
ニコンF3、70-300㎜ Fujicolorフィルム、 撮影データなし
モンブラン(白い山)はヨーロッパアルプスの最高峰だが、麓のシャモニから見上げるとのっぺり頭の「海坊主」で、お世辞にも「カッコイイ山」とは言えない。高い山は高い所から見ると立派に見えるという説があり、エギーユ・デュ・ミディの展望台に登って眺めると、前衛陵の奥に鎮座する「ご本尊」の貫禄が現われた。写真展用の大伸ばしプリントでは、山頂を目指す登山者の列が巡礼のようにも見えた。 (旅のレポート:モンブラン周辺を歩く-フランス側)
ニコンD300s 18-200mm(48mmで撮影) ISO400、F8、1/1000秒 (友山クラブ写真展出展作品)
ヨーロッパアルプスは至るところに展望台やスキー場があり、ロープウェイ、ゴンドラ、リフトで絶景ポイントに容易に行ける。「自然環境保護」の思想が確立する以前に作られた観光施設で、既得権益で存続し、時代と共に改良され架け替えられて今日に至る。山の写真屋は「人工物」を邪魔物扱いするが、大自然のスケールに呑み込まれて点景のようになり、それほど気にならない。
フランス側のエギーユ・デュ・ミディ展望台からイタリア側のトリノ・ヴェッキオ展望台まで、氷河を横切ってゴンドラが架かっている(右写真)。ややこしい説明を省くが、システム上の理由でゴンドラが数分おきに空中で停止するので、地上では撮れないシャッターチャンスが訪れる。
(旅のレポート:モンブラン周辺を歩く-フランス側)
Nikon D300s 18-200mm (18㎜で撮影) ISO400 f8、1/800 (友山クラブ写真展出展作品)
グランド・ジョラス(現地のフランス語では「ゴンジョラ」と聞こえるが)の北壁は、アイガー、マッターホルンの北壁と共にヨーロッパ三大北壁と称される。中でもグランド・ジョラス北壁は最難関で、壮絶な登攀争いの場になった。それにしても、こんな垂直の壁を(しかも冬季に)どうやって登るのか、シロウトには想像もつかない。 (旅のレポート:モンブラン周辺を歩く-フランス側)
Nikon D300s 18-200mm(50mmで撮影) ISO400 F7 1/600
我々の「ツール・ド・モンブラン」(モンブラン山塊を一周するトレッキング)の終着点がバルム峠だった。1週間のハードなトレッキングを終え、達成感より疲労感の方が強かったと思う。峠からの眺めは水蒸気にやや霞んでいたが、モンブランを隠す怪異な岩稜と黄色のお花畑の対比にシャッターを押した(作品はデジタル処理で多少スッキリさせた)。中央の岩塊はグランド・ジョラスと思い込んでいたが、写真展に出した時に川口先生が「これはエギーユ・ヴェルト、右に突き出た岩塔はドリュです」と教えて下さった。
(旅のレポート:ツール・ド・モンブラン-後編)
Nikon D300s 18-200mm(50mmで撮影) ISO400 F7、1/1000 EV -0.7 (友山クラブ写真展出展作品)
ドリュはメール・ド・グラス氷河の入口に衛兵の槍のように立っている。その直下まで登山電車で20分で行けて、屋外カフェのパラソルに違和感がないのも、ヨーロッパアルプス的なのだ。(旅のレポート;モンブラン周辺を歩く-フランス側)
Nikon D300s 18-200mm (70mm で撮影) ISO400 f10、
1/320
グレッシャイントは有名な山ではない(山名を地図から拾ったが、間違っているかもしれない)。2016年に娘夫婦とベルニナアルプスを歩いた初日の宿泊地が、中央右下の岩棚にあるコーツ小屋だった。出発した時間も遅かったが、歩くペースが上がらず、日が暮れて夜道になり、疲労困憊してたどり着いた。下の写真は翌日の帰り道で撮った。道標にここから小屋まで40分とあったが、小生は1時間半を要した。ヨーロッパ人のトレッカーは山道をスタスタ歩くので、彼等の標準コースタイムは東洋の老人の参考にはならない。 (旅のレポート:スイス・ベルにナアルプス-1)
Nikon D300s 24-120mm (44mm で撮影) ISO400 89、
1/125 EVー0.7
ヨーロッパアルプス東端の、オーストリアとイタリアの国境に跨る山塊は「ドロミテ」と呼ばれる。マグネシウムを多く含むピンク色の石灰岩「ドロマイト」に由来し、クローダ・ロッサは「神秘の紅い薔薇」の意。このような奇岩が林立するドロミテには、1956年冬季オリンピックで猪谷千春が銀メダルを取ったコルチナ・ダンペッツオ(2026年オリンピックの会場にもなる)などの有名観光地が多い。この写真はトレ・チーメのトレッキング起点の駐車場から撮った。(旅のレポート:ドロミテ+インスブルック)
Nikon D300s 18-200mm (80mm で撮影) ISO200 f8、
1/320
日本ではドイツ名のドライ・チンネン(Drei Zinnen)で知られる(要するに「三本槍」)。山小屋は三本槍が最もスッキリ見える場所にあるが、地図で方角を調べると、垂直の岩壁に光が当たるのは日没直前に限られるようだ。
夕方から雲が湧き、夕食が始まる18時頃、三本槍は雲の中だった。さすがイタリアで、山小屋でも夕食はフルコースで供される。前菜とスープと魚料理を終え、肉料理の前に3杯目のヤケワインを注文した時、小屋の外から叫び声が聞こえた。三本槍が見えているらしい。急いで席を立って外に出てみると、「絵に描いたような景色」があった。三脚を取りに戻る余裕はなく、テラスの柱に抱き付いて酔った身体を固定し、シャッターを押した。
(旅のレポート:ドロミテ+インスブルック)
Nikon D300s 18-200mm (27mm で撮影) ISO200 f9、1/15
キリマンジャロは現地語で「白い山」を意味するという。ヘミングウェイが1936年に短編小説「キリマンジャロの雪」(The Snows of Kilimanjaro)を発表した当時、山頂は厚い氷河に覆われていたが、今は温暖化で消滅の危機にある。
我々が2004年に麓を訪れた頃、山頂の氷河はやっと見える程まで減っていた。キリマンジャロは登攀技術を持たないシロウトが登れる最も標高の高い山とされている。一念発起して2014年に申し込んだ登山ツアーが成立せず、赤道直下の山頂で氷河を見ずじまいになった。 (旅のレポート :ケニア・タンザニア-2)
Nikon D100 18-200mm (85mm で撮影) ISO400 f11、
1/500 EVー1