例年12月末に「今年の山歩きレポート」を掲載してきたが、2025年は3月に隠岐島の山歩きツアーに参加しただけで、それも標高324mの赤ハゲ山で大バテして落伍した次第は「隠岐の島」(2025/5/27 )に記した。この体験がトラウマになり、夏の猛暑が追い打ちをかけ、秋は白内障手術で蟄居し(目玉だけ若返り)、不本意ながら「山歩きレポート」断筆に至った。
山歩きレポートの差し替えに「世界の寺院」の特集を思いついたのは、同年の知人友人がバタバタとあの世に渡り、自分の番も遠からずと実感したからかもしれない。これまで無信仰で過ごした小生、この期に及んでも「あの世」があると思っていないが、寺院を訪れれば参拝してきた。寺院の建物や荘厳具は人の心を揺り動かすように造られた芸術で、無信仰でも頭を下げ、時に感動を覚えるのは自然なリアクションだろう。そんなわけで、これまでの海外の旅で訪れた寺院の中から、心に残った寺院を特集する(キリスト教の「教会・聖堂」も「寺院」に括らせていただく)。
「世界の宗教人口」をネットで検索したら以下のデータが見つかったので、画面をコピー・転載させてもらう(出典:「単立 キリスト教研究所」)。

このデータによれば、人類の約8割が4大宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンドウー教、仏教)の信者で、民俗(伝統)宗教も入れれば、84%が何等かの宗教を信じていることになる。「無神論」の7.9億は、国家が国是として宗教を否定する中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバの5ヵ国で無神論に奉ずる人たちで、ある意味「無神教の信者」と言えないこともない。別の角度で見ると、5ヵ国の人口15億の約半数の人が、国是に逆らって宗教を信じているとの計算も成り立つ。宗教はそれ程までに強い力で人の心を捉えているのだ。
中でも2大宗教と言われるキリスト教とイスラム教が6割近くを占める。現時点ではキリスト教がやや優勢だが、逆転するのは時間の問題と言われる。2大宗教は元をたどればユダヤ教から派生した「兄弟宗教」で、共に人類愛の教義を持ちながら、血で血を洗う争いを重ねてきた。歴史オンチが思うに、これらの争いは宗教理念の衝突ではなく、時の権力者による宗教指導者を巻き込んでの宗教の濫用だろう。領民に「あの世」を教え込み、命知らずの戦士に仕立て上げ、勢力争いの戦いに駆り立てる手法は、昔も今も変わっていないのではないか。
キリスト教国でもイスラム教国でもない日本が、中立の立場で仲介の労を執れば世界平和に資するのではないか(あわよくば平和賞)と思ったりするが、世界は日本が宗教的に無色とは思っていないようだ。毎度データを拝借する米国CIAの「The World Factbook」に拠れば、日本人で宗教を持つと自覚している人の48.6%が神道、46.4%が仏教、1.1%がキリスト教の信者で、日本では「神道」が最も有力な宗教と見られている。経典のない神道が「宗教」なのかの議論もあるようだが、明治から昭和にかけて「国家神道」とされたことは事実で、今もその再興を期す団体があり、政権の要職者が中核を占めている。それ故に、それら要職者が神道への帰依を公にする度に、敏感に反応する国が少なくないことを、自覚しておくべきだろう。

撮影:2004年3月
「ピエトロ」はペテロのイタリア読みで、聖(サン)ペテロの墓所を祀る聖堂として4世紀に創建された。現在の大聖堂は1626年に完成した2代目で、晩年のミケランジェロが設計にかかわったという。
ローマの中心部にありながら、大聖堂一帯は「バチカン市国」を名乗る独立国で、城壁に囲まれた皇居の半分ほどの敷地に、大聖堂、宮殿(教皇の住まいと事務所)、礼拝堂、美術館などが配されている。
大聖堂は世界有数の巨大建築だが、正面から見るとそれ程大きく感じないのは、聖堂前の広場の広さに幻惑された目の錯覚に加え、正面(156m)よりも奥行き(211m)が深い構造に拠るもので、一歩中に入ると荘厳に満ちた巨大な空間に圧倒され、カトリック総本山のパワーを実感する。
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撮影: 2004年3月
アドリア海に面するラヴェンナはローマ時代に繁栄した港町で(現在の市街地は海から切り離されているが)、5世紀に西ローマ帝国の首都だった時代があり、初期キリスト教の宗教施設が残っている。その一つが皇女ガッラ・プラキデイアが自分の埋葬所として建てたといわれる建築物で、外見はこじんまりした質素な建物だが、内部の天井と壁に精緻なモザイク画が施されている。中に入ると真っ暗で何も見えないが、眼が慣れると小窓から漏れる微光にモザイク画が浮かび上がり、この世にあらざる気分が生じる。(写真禁止ではなかったが、当時のデジカメでは撮れなかった。)
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撮影: 2004年3月
イタリア中部のスパジオ山(標高1300m)の山頂にあり、1181年にこの地に生まれた聖人フランチェスコの功績を讃えるために13世紀に建てられた。1997年9月に発生した地震で大きく損傷したが、我々が訪れた2004年にはほぼ元の姿に戻っていた。初めてのイタリア旅行でゴテゴテと装飾過剰な教会や聖堂をイヤというほど見た後だったので、この聖堂の簡潔で端正な姿が強く印象に残った。
建物は斜面を利用して上下2段に分かれ、正面から見える上段のゴシック様式の聖堂に、ルネサンス初期の画家ジョットによる「小鳥に説教する聖フランチェスコ」のフレスコ画が飾られている。若い頃放蕩息子だったフランチェスコは、捕虜になった経験と病気に苦しむ中で神の声を聞き、出家して伝道の道に入った。晩年のフランチェスコの手足と脇腹にイエスが十字架上で受けたと同じ槍傷が現れたことから、聖人と認定されたという。アッシジには修道院が多く、街で出会ったショッピング帰りの修道僧の姿も記憶に残る。
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撮影 2000年6月
北欧ノルウェーはバイキング発祥の地で、命がけで荒海に乗り出すバイキングにとってキリスト教は精神的な支えになっていた。14世紀の宗教改革で出現したプロテスタント・ルター派の思想は、バイキングの進取の気性に一層マッチして国教に指定され、聖職者は公務員になった。教会は人と神が理知的に語り合う場で、大げさな建物や華美な祭壇は要らない。北欧の自然に溶け込んだ小ぶりの木造教会と素朴なキリスト像が心に染みた。
21世紀になって信教の自由を求める世論に押され、2012年にルター派は国教の地位を放棄したという。これも時代の流れか…
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撮影 1999年7月
歴史にも宗教にも疎い筆者の理解を超えるが、東西に分かれたキリスト教で三位一体の考え方が微妙に違うらしい。アジア側の東方教会は「こっちが正しい」と「正教会」(Orthodox Church)を名乗り、屋根にネギ坊主を飾って差別化している。
1991年まで旧ソ連の一部だったキルギス共和国では、宗教が禁じられていた。カラクリ湖東岸のカラコルの「村の教会」も、ソ連時代は内部の聖画や聖具を外され、室内体育館に転用された。キルギスは独立して宗教を復活し、我々が訪れた1999年にはこの教会も外側の修復が終わり、ソ連時代に村人が隠していた聖画や聖具を戻す工事が進められていた。日本でも明治時代に廃仏毀釈があり、村人が仏像や仏具を隠して破壊を免れた事を思い出した。
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撮影: 1978年
モルモン教の正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」(The Church of Jesus Christ of Latter-day Saint)で、キリスト教系の宗教団体と分かる。1830年に米国人ジョセフ・スミスがニューヨークで創立したが、聖書の他に「モルモン書」を聖典とし、秘儀的な儀式や一夫多妻を含む独特の戒律があるため、主流のキリスト教から排斥され、迫害を逃れて西に進み、ユタの荒野に本部を設けた。
教団は信徒が収入の1/10を納める献金で成り立つ。高能力・高学歴で超マジメな信者が多く、教団は潤沢な資金で壮麗な神殿を建てた。(小生の職場にいたモルモン教徒の働きぶりは、日本のモーレツ社員も顔負けだった)。
信徒がボランテイアで参加する合唱団は、世界の最大規模で演奏レベルも高い。若い頃にコーラスを経験した小生、日曜の朝に大講堂で行われた演奏を生で聞き、背筋に走った電流を今も思い出す。
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撮影: 1996年6月
トルコ西岸のイズミールは人口400万を擁するトルコ第3の都市で、エフェソス遺跡などの観光拠点になっている。朝食前にホテル近くの丘に登った。複雑にからみあった坂の小路に小屋としか言えない小住居が密集し、目つきの悪い人たちもたむろして少々怖気づいたが、頑張って登りきると眼下に市街の景観が広がった。目についたのはモスクのミナレット(尖塔)で、望遠レンズの狭い画角の中だけでも4本立っている。塔の間隔は100mも無いだろう。
4大宗教の中で最も人々の日常の暮らしに入り込んでいるのはイスラム教だろう。1日5回の礼拝の合図(アザーン)は堂守が尖塔に登って大声で告げる。拡声装置が出来る前は、肉声が届く距離内に尖塔が必要だったのだ。
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撮影: 1999年8月
ウズベキスタンの古都ブハラには360のモスクと80のメドレセ(神学校)があるという。とにかく数が多く、どれも同じように見え、道路が入りくんで方向感覚を失い、何処で何を撮ったのか分からなくなった。この場所を憶えているのは写真の構図作りに苦労したからで、1万人収容の大モスクの門とミナレットと広場の雰囲気を1枚に入れようとしたが収まらず、壁際に店を構えた露店のオジサンにどいてもらい、体をよじってシャッターを押した記憶がある。
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撮影: 2004年7月
ヒンドウー教はインドの伝統宗教だが、小生はインドでヒンドウー寺院を見たことがない。インドネシアはイスラム圏だが、バリ島だけがヒンドウー圏で、穏やかな南の島に溶け込んだ美しい寺院があちこちにあった。特に山上の湖に浮かぶウルン・ダヌ・プラタン寺院は、芸術作品と言ってよい。
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撮影:2011年3月
チベット仏教を国教とするブータンでは僧院が行政を担当する。つまり僧院(ゾン)=役場、僧侶=公務員で、政府は公務員を雇わなくても仕事が進む。仏教を学ぶ若者はゾンで学業と修行を積みながら、公共事業の労働力にもなる。小国で豊かとは言えないブータンは、この仕組みを通して「国民総幸福」を実現している。
各地のゾンは、チベット仏教をこの地にもたらしたパドマサンババ師を讃える大規模な法要(チェチュ)を行う。開催時期は夫々のゾンが時々の事情を勘案して決めるので、見学ツアーの日程は土壇場まで流動的になる。幸い我々のツアーはバロ村のチェチュにタイミングを合わせることが出来た。
5日間にわたって行われる法要のハイライトは最終日の未明に行われる大仏画(トンドル)ご開帳で、村人は伝統衣装をまとい、長い列を作って仏画に触れて礼拝する順番を待つ。
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撮影: 1997年10月
インド系の住民が多いネパールの首都カトマンズではヒンドウー教が優勢だが、西の外れのサワヤンブナートの丘にびっしりと並ぶ寺院は仏教の寺院・僧院で、中でも仏陀の聖骨を収めた舎利塔が目を惹く。金張りの壁に描かれた仏陀の目玉は、カトマンズ盆地に暮らす人々にあまねく注がれている。

撮影: 2017年5月
世界で最も標高の高い場所にある常住の寺院は、エベレスト(中国名チョモランマ)の中国側ベースキャンプ手前のチベット仏教のロンブク寺で、寺の前をチョモランマ観光の客を満載したバスがひっきりなしに通るが、高度順応せずに標高5200mに運ばれた観光客は、1時間以内に下山しないと高度障害が致命的になるので、寺を素通りするしかない。
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撮影: 2017年5月
チョモランマ・ベースキャンプを訪れる高度順応でシガール(4300m)に連泊し、古名刹の曲徳寺を訪れた。往時は僧侶5千人を擁する大寺だったが、1950年に人民解放軍が侵攻、文化大革命も重なり、寺は破壊されて廃寺状態になった。
チベット族の反乱に手を焼いた中国政府は近年になって融和政策に転じ、我々が訪れた2017年に寺の修復が急ピッチで進んでいたが、裏の急斜面に築かれた修行小屋の修復まで手が回っていなかった。山頂にある鳥葬場(立ち入り禁止)はとりあえず現役復帰したが、鷲の数が減って実施が難しくなったという。
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撮影: 2011年11月
中国雲南省西部のミャンマーとの国境に近い梅里雪山の辺りはチベット族の領域で、彼等は主峰の太子峰(6740m)を聖山と崇める。
1991年に太子峰の初登頂を目指した京大と中国山岳会の合同登山隊が雪崩に遭い、17名が氷河に呑まれた。地元のチベット族は登山隊が聖山を汚した天罰として捜索に強く抵抗したが、捜索隊の真摯な態度にほだされて協力するようになった。遭難から7年後に標高3150mの太子廟の横を流れる明永氷河に最初の遺体が現れ、その後数年間で10体が収容された。捜索拠点になった太子廟は村人手作りの寺で、庭の香炉が煙を絶やさない。
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